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ことば談話室

膨張するカレー

三原 紀子

 先日、他紙を眺めていたときのこと。「日印EPA(経済連携協定)大筋合意」という記事があり、去年初めてインドに行った私は興味深く読んでいたのだが、ある個所で目がくぎづけに。「農林水産省はインドの輸出品について(中略)カレーや紅茶などは無税」とあったのだ。「カレーは無税」?

 インドに行かれたことのある方はご存知と思うが、インドの家庭やレストランで、出された料理の名前を尋ねても「○○のカレーです」と答えが返ってくることは、まずない。だから何でも香辛料の効いた料理を「カレー」と呼ぶのは、香辛料慣れしておらず、違いの分からない日本人や他の外国人がひとくくりにしてしまっているからで、インドには「カレー」はない――と思っていたのだ。

 ではインドの人は何を輸出しようとしているのだろうか。そもそもカレーと言えばインドなのに、かの地でお目にかからないのはなぜだろう?

◇ガラムマサラなの?

ターリー拡大インドの定食、ターリー。食べ放題で器が空くとすぐ追加しようとするので断るのに必死
 疑問の発端である日印EPAの文言について、農水省の担当者に聞いてみた。EPAの輸出入品目は世界的に統一された「輸出入統計品目番号」に沿って決められているという。だが、教わった番号のところには「カレー」としかない。

 ならば、と財務省の貿易統計のHPを見ると、統計品目番号の解説に「カレー粉」が。期待をこめて見ると「カレー粉は、うこんその他各種の香辛料(例えば、コリアンダー、黒こしょう、クミン、しょうが、丁子)及びこの類に該当しないがしばしば香辛料として使用されるその他の香味物質(例えば、にんにくの粉)を種々の割合で混合したものである」

 これって、要は「何でもあり」?

 インドでは「ガラムマサラ」というカレー粉に似たものは見かけた。エスビー食品の広報担当者によると、インドでは基本的に家庭で個別の香辛料を混ぜ合わせて料理を作るが、数種類の香辛料をすりつぶして最初から混ぜ合わせた「ガラムマサラ」も販売されている。

 カレー粉との違いは、色づけの役割を果たす黄色いターメリックが入っていないこと。また、日本のカレー粉は数十種類の香辛料が使われており、カレーの味の決め手となる。インドのガラムマサラは、最後に香りづけとして使うのが主な使い方だそう。

香辛料店拡大アーメダバードの香辛料店
 辞書では「カレー」をどう定義しているのだろう。日本国語大辞典では「英語(curry)」とした上で、「(1)黄茶色をした粉末の香辛料。薑黄(きょうおう)、こしょう、とうがらし、にんにく、しょうが、フェンネル、コリアンダーなどを混ぜて作る。カレー粉(2)カレー粉を用いた料理(3)『カレーライス』または『ライスカレー』の略」とある。薑黄とはターメリックのことだ。

 (1)と(2)の定義だと、インドの料理ならどれでもあてはまってしまいそうだ。でも英語由来の外来語とあるし、インドからはますます遠ざかる。「カレーライス」の項でようやく「インド風の料理の一つ」と出てくるくらいだ。なぞは深まるばかり。

◇印にはなくて英にある

 インドでカレーに出会わなかったと書いたが、「カレー」の語源はインドであることには間違いなさそうだ。しかし紙幣に17の言語が記されている多民族・多言語国家のこと、どの地域の何語からなのかは諸説ある。

 まずは南インドで話されているタミル語でソース(料理の「具」との説もある)を表す「カリ(kari)」を、16世紀から17世紀にかけてインドに来ていたオランダ人やポルトガル人が紹介したとするもの。または連邦公用語であるヒンディー語で香り高いものやおいしいものを表す「ターカリー(turcarri)」、さらに、インド北部の豆の煮込み料理「カディ(kady)」から来ている、などである。ここからカレーが「日本の国民食」となるには、英国を経由しなくてはならない。

 カレーが英国に紹介されたのは1772年。英国が東インド会社を糸口にして、インドへの実質的支配を深めていたころで、後にベンガル総督となるウォーレン・ヘイスティングスが、ガラムマサラや米などを持ち帰ったのが最初とされている。

 英国でお披露目されたカレー料理。食品会社のクロスアンドブラックウェル社はカレーを簡単につくるため、香辛料を混合したものを、カレー粉として初めて商品化した。ビクトリア女王にも献上され、上流階級に浸透していったようだ。

 日本では、カレーの作り方は1872(明治5)年、敬学堂主人著「西洋料理指南」と仮名垣魯文編「西洋料理通」で初めて紹介された。「西洋料理」なのである。しかも作り方をみると香辛料らしきものは、はなからカレー粉のみである。インドでは使われない小麦粉も入っていて、日本ではまさに明治維新後に入ってきた西洋の香りがするものであったことが分かる。インド由来の料理であることさえ知っていたかどうか。

◇カレー大国、日本

スーパー拡大東京の食品スーパー。レトルトカレーだけでも63種類あった
 そして今や日本人が1カ月に食べるカレーは4.05皿(全日本カレー工業協同組合調べ)。旅先でインド人に「週2、3回は『すし』?」と言われたものだが、すしは月に1.4回(ミツカン調べ)。「インド人もびっくり」だ。

 インド西部のアーメダバードにあるマハトマ・ガンジーが暮らした簡素な修道所には、廊下の隅に小さな半球状のくぼみがあり、香辛料をすりつぶすためのものだと教えられた。ただ、近年はインドでもお手軽な「カレー粉」を使って料理する家庭が増えているとも聞いた。ひょっとすると日本製のカレー粉がインドを席巻することもないとはいえない。

 ちなみに私はインド料理ならアルゴビとパラクパニールがお気に入り。ご興味のある方は調べてみてください。

(三原紀子)