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ことば談話室

重千代さん、お誕生日は?

横山 公也

 エジソン(1847年)、徳川家定(1824年)、ドストエフスキー(1821年)、ショパン(1810年)。江戸時代生まれの歴史上の人物と「同い年」が次々出てきた所在不明高齢者問題。「名ばかり高齢者」が流行語大賞の候補にもなりました。1810年生まれは存命なら200歳。日本最長寿記録とされる、泉重千代さんの120歳どころではありません。一連の問題のまとめ記事で、泉さんの「120年と238日」の生涯が引き合いに出されたのですが・・・。

◇「120歳と238日」

 1986年2月21日、120歳で亡くなった重千代さん。死去を報じた当時の記事では「120歳と238日の生涯だった」。生年月日は「戸籍によると、慶応元年(1865)6月29日」とあります。120歳と「足かけ238日」なのですが、年齢を計算する時には初日(誕生日)を含めて数えるのがルールなので、端数は238日でよさそうです。 

鹿児島県伊仙町に立つ泉重千代さんの銅像拡大鹿児島県伊仙町に立つ泉重千代さんの銅像
 ところが弊社刊「現代日本 朝日人物事典」を見ると、誕生日は「1865.8.16(慶応1.6.29)」。つまり6月29日は旧暦の日付と考え、太陽暦では8月16日としています。それなら「120歳と190日の生涯」のはずが、やっぱり「238日」と書いてあるのは解せませんけれど。おまけに、旧暦の慶応元年6月29日を太陽暦に直すと、1865年8月20日。これだと端数は194日。突っ込みどころ満載ですね。

◇旧暦と太陽暦のあいだ

 それはともかく「6月29日」が戸籍に書いてあったというなら、その日付は旧暦だったのでしょうか。

 先の「旧暦あれこれ」でご紹介した通り、日本で太陽暦が採用されたのは1873(明治6)年1月1日。それ以前に生まれた人の誕生日は、生まれたときはもちろん旧暦です。では改暦の後、公的にはどうだったのでしょう。

 戸籍の元締め、法務省に聞いてみると、先に挙げた「年齢計算では初日を含めて数える」と決めた「年齢計算ニ関スル法律」が出た1902年、関連して旧暦の時代に生まれた人についての数え方を決めているとか。とすると、この時点でも結構「旧暦誕生日」をベースにしている人がいたのだろうとは分かります。

 ではみんな旧暦のままだったのか。あちこち聞いてみましたが、肝心なところで決め手が見つかりません。どうも、一律に換算せよともするなとも、何かお達しが出たとの確証はなさそうだ、ぐらいしか言えないようです。心証としては旧暦だったと思うのですが。

 そもそも江戸時代には出生届も戸籍もなかったわけで、最初は自己申告しか根拠がなかったはず。ひょっとすると適当に届けた人もいたのかと考え出すと、だんだんおおらかな気分に・・・。いかんいかん。 

 さてついでに、生年月日にからんで暦の区切りといえばもう一つ、改元があります。昭和生まれは1989年1月7日まで、翌8日からが平成生まれ。当たり前ですね。ところが、やはり一筋縄ではいかないのが、昔のこと。大正と昭和の境目では、1926年12月25日生まれの人は「大正15年生まれ」「昭和元年生まれ」両方がいらっしゃいます。 

 これは当時が「即日改元」で、大正天皇が亡くなった12月25日の途中で大正と昭和が分かれることになったため。「大正15年12月25日以後ヲ改メテ昭和元年トナス」という詔書が、大正15年12月25日付で出ています。昭和から平成へかわる時は、改元の政令は「翌日から施行する」とされたので、きれいに分かれました。

◇あとはご本人しか? 

 さてさて、重千代さんは本当のところ、どうだったのでしょう。最後の望みをかけて、地元の「健康と長寿と子宝の島」、鹿児島県の伊仙町役場に聞いてみました。答えは「特に新暦、旧暦の区別はしていません」。たしかに色々こだわるより、健康と長寿によいかもしれません。先のまとめ記事も、実は「120歳」に丸めて決着しましたし、おおらかに生きて、正解は「向こう」で重千代さんに教えていただくとしましょうか。

(横山公也)