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ことば談話室

文化住宅にしひがし

 校閲センターでは、その日の作業の終わりに簡単な引き継ぎを書くことになっています。昨年、同僚の書いたものを読んで思わず「そうだったのか」と唸ったことがありました。大阪発の記事に出てきた「文化住宅」という言葉が、関西以外の人にうまく伝わらない可能性があるため頭を悩ませたという内容でした。

 辞書をひいてみるとしっかり解説が載っています。

<日本国語大辞典>

サツキとメイの家拡大サツキとメイの家。和洋折衷の文化住宅はこんな感じで、私の念頭にあった「文化住宅」も同様=愛知県のモリコロパーク
1、大正から昭和にかけて流行した洋風を採り入れた住宅。和風住宅の玄関脇に洋風の応接間をつけたものが多い。

2、多く関西地方にある木造二階建の棟割アパートをいう俗称。

 「文化住宅」といえば古いけれどちょっとおしゃれな一軒家を思い浮かべていた、関西に住んだことのない私は苦い思いが湧いてきました。1995年の阪神大震災の記事でたびたび出合っていた「文化住宅」を思い出したのです。長い間誤解していました。思えば記事には「2階建て」とか集合住宅を思わせる記述もあったのですが、そういう文化住宅もあるのだな、くらいにしか受け止めていなかったように思います。

■文化住宅の誕生

 それでは大正時代の「文化住宅」はどのようにして生まれたのでしょう。神奈川大学の内田青蔵教授(日本近代建築史)に伺うことにしました。

 「文化住宅」という言葉は、大正11(1922)年に開催された「平和記念東京博覧会」の住宅展示場「文化村」に由来するそうです。そのころ啓発を目的とした実にさまざまな博覧会や展覧会が催されており、東京府主催のこの博覧会は第1次世界大戦の終結を記念したもの。東京・上野公園を舞台に3月から約4カ月余にわたり開かれました。

 文明開化で国家としての西欧化を目指した流れが庶民のレベルにまで浸透しつつあった時代。衣食住のうち最も変化に時間がかかると言われる「住」についても改善の動きが目覚ましくなっていました。

 大正期には工業化と教育の普及で「中流層」が誕生し、そういった人々のための新しい住まいが模索されたのです。そんななか博覧会の一企画として建築学会が小規模改良住宅を募集したのが「文化村」でした。募集に応じたのはツーバイフォーの組み立て住宅を米国から輸入、販売した住宅専門会社「あめりか屋」や、銭高組といった建築請負業者、文部省の後押しを受ける「生活改善同盟会」など。今でこそごく普通に存在するモデルハウスですが、実物住宅をまとめて展示するというコンセプトは斬新で、しかもそのほとんどが洋風建築。上野動物園前あたりに立ち並んだこの14棟は人々の人気を博したそうです。

 内田教授によると、文化村を取り上げた雑誌「住宅」の同年5月号に「文化住宅」という冊子が付録としてついており、これが「文化住宅」の初の使用例ではないか、とのことでした。住宅の洋風化は明治の中頃から徐々に始まっていたのですが、この博覧会で「文化住宅」という進歩的なイメージの名を得て、認知度がぐんと上がったようです。文化住宅は都市ばかりでなく地方の富裕層にも広がっていきました。

■意外と短命だった「初代」

 「文化村」の募集条件を見ると、外観は和洋を問わないとあるものの、居間・客間・食堂は必ず椅子座式で、とあります。職場では洋服だが家に帰れば和服に着替える男性、家にいることの多い女性は相変わらず和服、という「二重生活」を解消し、家族本位の、居間中心の間取りを改良住宅として広めようとしたものでした。生活や住まいの改善を提唱していた専門家にしてみればそれは単なる洋風化ではなく、後に大正デモクラシーと呼ばれる民主化の機運を住宅という形で表したものだったのでしょう。

サツキとメイの家の間取り拡大サツキとメイの家の間取り。玄関脇に洋間がひとつ
 ところが一般人はちゃっかりしたもので、「洋風」という形だけを取り入れます。西洋風=上流階級の証しですから。だが普段の生活は和風を捨てきれない。コストの問題もあります。そこで畳に座って生活する在来住宅の玄関脇に1室だけ洋風の書斎をくっつけたりして「文化住宅」と称したわけなのでしょう。

 内田教授によると、そうした風潮に対する専門家からの批判や、「文化住宅」という言葉があまりにあいまいでイメージが拡散してしまったためか、昭和初期にはもう使われなくなっていたと考えられるとのこと。関東大震災後に建てられた同潤会アパートのような集合住宅まで「文化住宅」と呼んでいた例があるそうです。

 一部洋館風の住宅は古くからの住宅地に今でも残っているものがありますが、「文化住宅」という言葉自体は、はかない命だったのですね。当時は便利なもの、新しいものにことごとく「文化」を冠し、「文化せんべい」「文化カミソリ」「文化おむつ」などが続々登場したそうですが、そんな流行語の一つとして時代の波間に消えていったのでしょうか。