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ことば談話室

文化住宅にしひがし

■「2代目」は戦後生まれ

関西の文化住宅の例拡大関西の文化住宅の例
 時は流れて第2次大戦後の高度経済成長期、再び「文化住宅」が関西に現れます。木造2階建て、棟割りの賃貸アパート。こちらの「文化住宅」の起源についてははっきりとは分かりません。民間の不動産業者が宣伝のため使った言葉、との通説を紹介する辞典などはあるのですが。

関西の文化住宅の間取りの例拡大間取りは2K
 大阪府居住企画課によると、「文化住宅」にはっきりした定義はないものの、高度成長期の昭和30年代、地方から多くの人々が働き口を求めて大阪府に移り住み、いわゆる「文化住宅」も大量に供給されたとのことでした。大正時代、第1次大戦後の急激な人口流入で大阪市内はすでに膨張状態だったため、寝屋川、門真、守口、豊中、東大阪といった大阪市の周辺地域に多く建てられたのだそうです。勤め人のベッドタウンですね。それまでの共同住宅が風呂なし、トイレ・台所共同、玄関ひとつで各部屋は中廊下でつながっている、というような形だったのに対し、「文化住宅」は各戸に独立した玄関があり、トイレも台所も風呂もついていることが多かったのです。当時としては最新式、そういう意味での「文化」だったようです。

 大正時代の文化住宅のしゃれたイメージを踏まえて関西圏の「文化住宅」という言葉が生まれたのかと思っていましたが、どうやらあまり関係はないようです。それより「文化」という言葉の第2次流行とでもいうようなものが戦後発生し、これに乗っかったと考えたほうが現実味がありそうです。軍国主義への反省や「ぜいたくは敵」だった戦中の渇望感が引き起こしたものだったのか、「1945年の敗戦直後からしばらくの間、『文化』という言葉は、主として日本の知識人や政治家などの間で流行語であった」(『一語の辞典・文化』柳父章)。憲法にも「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」という文言が使われました。

■関西の文化住宅を訪ねてみると

関西の文化住宅拡大中はコンパクトで小ぎれい
 関西圏の文化住宅を実際に見てみたくて、寝屋川市の不動産会社「明星」を訪ね、物件を見学させていただきました。昭和40年代築のものはリフォームもされていてこざっぱり、こぎれいな空間。1階と2階がつながった、今風にいえばメゾネット形式のものもあれば、1、2階別々の住戸もあります。一続きの建物ですが、住戸ごとに所有者(大家さん)が異なる物件もあるのだとか。「断捨離」に成功すればコンパクトな生活が営めそうです。

 老朽化に伴い建て替える物件も増えているそうですが、街なかで「貸文化」の看板を見かけたり、不動産屋さん店頭の物件張り出しには「貸家」「貸マンション」と並んで「文化住宅」のジャンルが存在したり。関西圏の「文化住宅」という言葉はまだまだしっかり現役でした。

(久保田智香)