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ことば談話室

恵方・えと・節分

町田 和洋

 2月3日は節分。最近はコンビニやスーパーで売られる「恵方(えほう)巻き」も全国的に定着してきたようです。節分の夜に、その年の恵方に向かって目を閉じて一言もしゃべらず、願い事を思いながら太巻きずしを丸かぶりする習わしです。

 では、「恵方」とはそもそも何だったのでしょうか。「現代こよみ読み解き事典」(柏書房)の著者、岡田芳朗先生(女子美術大学名誉教授)に聞いてみました。この「ことば談話室」でも「旧暦あれこれ」の回でお話しいただいた暦の専門家です。

 恵方巻きの「恵方」は、陰陽道(おんみょうどう)でその年の干支(えと)によって定められたもっとも良いとされる方角です。今年(2011年)は南南東にあたるそうです。

金烏玉兎集拡大安倍晴明が伝えたとされる「簠簋(ほき)内伝 金烏玉兎集」
 <陰陽道> 古代中国で生まれた自然哲学思想「陰陽五行説」を元に、日本で独自の発展を遂げた自然科学と呪術の体系。陰陽道をつかさどる陰陽師の一人には、平安時代に活躍し小説や映画にもなった安倍晴明がいます。

 ◇干支の成り立ち

 今年の「えと」は卯(う・うさぎ)というのは年賀状を書いたりもらったりするときに意識するので誰でも知っているでしょう。けれども、正確には「干支は卯・うさぎ」というのは正しくありません。

 「干支」は、「十干(じっかん)」と「十二支(じゅうにし)」の組み合わせで、2011年の十干は「辛(かのと)」、十二支は「卯(う)」なので、干支は「辛卯(かのとう)」。音読みすれば「しんぼう」です。

 なじみのない人には分かりにくいので少しおさらいをします。

 十干は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類。

 <訓読みは>

 =きのえ  =きのと =ひのえ =ひのと =つちのえ

 =つちのと =かのえ =かのと =みずのえ =みずのと

 <音読みは>

 =こう  =おつ =へい =てい =ぼ

 =き   =こう =しん  =じん =き

 十干は、陰陽五行(いんようごぎょう)説に基づいて「木・火・土・金・水」の五行と、「陰・陽」の「兄(え)・弟(と)」に分けたものです。木(き)は甲・乙、火(ひ)は丙・丁、土(つち)は戊・己、金(かね)は庚・辛、水(みず)は壬・癸。木は、陽である甲が「木の兄(きのえ)」、陰である乙が「木の弟(きのと)」、火は、陽である丙が「火の兄(ひのえ)」……と割り当てられています。「兄(え)」の年と「弟(と)」の年が交互に繰り返されるので「えと」と呼ばれるようになったとも言われています。

 「陰陽」とは天地間の万物をつくりだす、陰と陽の二気。陰は山や丘に隠れて日光の当たらないところ、日陰のことで、陽は日光の当たる方の日向(ひなた)を意味します。古代中国で、森羅万象、宇宙のありとあらゆるものは相反する陰陽二気の働きによって消長盛衰するものと考え、その動きで将来までを予測しようという世界観、思想の元になりました。「五行」は天地間のすべては木(ぼく)・火(か)・土(ど)・金(きん)・水(すい)の五つの要素で成り立っており、自然界・人間社会の諸現象がこの五行の動きに影響されると考えます。太陽系の惑星である、木星・火星・土星・金星・水星の五星の運行も五行説と結びつき、さらに陰陽説と合わさって「陰陽五行説」となり、宇宙の万物を説明、予測する哲学思想となりました。

 十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類。

 <訓読みは>

 =ね =うし =とら =う =たつ =み =うま =ひつじ =さる =とり =いぬ =い

 <音読みは>

 =し =ちゅう =いん =ぼう =しん =し =ご =び =しん =ゆう =じゅつ =がい

 十二支は五惑星のうち最も貴いとされた木星の運行からきたものといわれます。木星が約12年で天を1周(公転)することから、中国の古代天文学において毎年度の木星の位置を示すために天を12分して12の方角にそれぞれ十二支の1字をあてました。また1年12カ月の順序を示すための符号(数詞)としても使われました。子、丑……の文字にはもともとは動物の意味はなかったのですが、庶民にも覚えやすいように後からネズミ、ウシなどの動物が当てはめられたと言われています。

 十二支は時刻にも使われます。子の刻は午後11時から午前1時まで、丑の刻は午前1時から3時まで……、と十二支を2時間ずつ割り当てます。方角では、子が北、卯が東、午が南、酉が西になります。子午線といえば南北を結んだ線、太陽が子午線を通過する時が正午で真昼をさします。

◇年神のおわすところ

歳徳神拡大歳徳神尊像=「暦日諺解」から
 恵方というのは民間信仰・九星術の中の方位神の一つで、歳徳神(としとくじん、とんどさん)の所在する方角をさします。歳徳神はその年の福徳をつかさどる吉神で、略して年徳・歳神(年神)、正月さま・としとくさまなどと呼ばれて民衆にあがめられていました。

 恵方は吉方、兄方とも書き、「えほう」と読みます。また「明の方(あきのかた)」とも言い、その方角に向かって事を行えば万事に吉とされます。運勢がその方角に開かれているとも言えます。かつては初詣も自宅から見て恵方の方角の寺社に参る「恵方参り」の習慣がありました。

方位拡大年によって、黄色の矢印の方向が恵方に
 恵方はその年の十干が何かで決まり、ほぼ四つの方角を循環します。

 甲・己の年=東北東 乙・庚の年=西南西 丙・辛・戊・癸の年=南南東 丁・壬の年=北北西

今年は辛の年なので南南東が恵方ということになります。

 岡田先生によれば、恵方の根拠としては「昔の暦の本にありますよ、ということで、それ以上の根拠はありません」。新しい年を迎えて、その年に良いことがありますようにと願うのは昔も今も庶民の素直な気持ちの表れではあるでしょう。ただ、「信じたい人が信じるのは自由ですが、他人に押し付けるようなことがあっては困ります」。

◇明治改暦と「おばけ暦」 

おばけ暦拡大おばけ暦の「明治廿六年九星早見全」「明治十六癸未年九星日課吉凶便覧」など
 旧暦は明治5年12月2日(1872年12月31日)まで使われていました。翌日の12月3日を明治6年1月1日(1873年1月1日)として新暦(太陽暦=グレゴリオ暦)に改められました。明治5年11月9日に「改暦の詔書」が出され、改暦実施とともに日ごとの吉凶(お日柄)などを書いた暦注は迷信として禁止されました。以後、政府公認の正式な暦には暦注はなくなりましたが、長く暦注に親しんできた庶民にはかえって不便に感じる向きもあったようです。その求めに応じるように、大安などの六曜や運勢の説明を膨らませた「おばけ暦」の出版が非合法ながら、改暦後にむしろ盛んになりました。公的には認められない暦だったため「おばけ暦」と呼ばれるようになりました。現在も年末年始になると書店に並ぶ「○○運勢暦」などはこの明治おばけ暦の末裔(まつえい)とも言えます。

◇二十四節気と節分

 「節分」は「せち分かれ」「せちぶん」とも言い、季節の変わり目、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指す言葉でしたが、とくに現在は立春の前日だけを呼ぶようになりました。

 二十四節気の一つ「立春」の前日に当たる雑節の一つが節分です。二十四節気は月の動きから定められた太陰暦の欠点を補う目的で、太陽暦の要素を年暦として加えたものです。季節の動き、気候の推移を示すため、冬至を基準にして1太陽年を24等分しました。365.2422日÷24=15.2184日となり、約15日ごとに巡ってきます。

 <暦要綱(れきようこう)> 二十四節気は太陽と地球の運行で決まるため、きちんと計算したうえで日付を決めているのは国立天文台(本部・東京三鷹市)です。毎年2月1日に官報で翌年の暦要綱が発表されます。今年の場合は2012年の暦(国民の祝日、日曜表、二十四節気、雑節など)が掲載されます。

◇節分は大晦日?

 今年の2月3日は、旧暦(太陰太陽暦)の元日(1月1日)にもあたります。中国や日本の中華街などでは旧正月として盛大に祝われます。3年に1度ぐらい2月上旬に旧暦元日がめぐってきます。

 今年に限らず、節分の行事というのは年越し、正月の行事と同じ性格を持ったものが極めて多いそうです。今でもよく知られている「豆まき」は、昔は「追儺(ついな)」「鬼遣(おにやらい)」といった宮中の年中行事が元になっているようです。毎年の大晦日(おおみそか)に1年の疫鬼を追い払うために行われていた行事です。

伊勢暦拡大伊勢暦(慶応2年)
 この辺りの事情について、「正月はなぜめでたいか」(大月書店)などの著書がある国立歴史民俗博物館名誉教授の岩井宏実先生に聞いてみました。

 暦が広く民間に行き渡る以前の時代には、庶民は山の雪解けの形、たとえば「白馬」などで季節を知り、種まきの時期を知りました。そのころは1年を春秋の2季に分け、春が年の初めと考えられました。すなわち立春(新暦では2月4日)が新年の初日で、その前夜の節分(2月3日)は旧年の最終日にあたります。節分が大晦日で、冬=寒が極まって翌日に春を迎える日とも言えます。

 正月(元日)はすべての生物が躍動する春を迎え、人々がその生命力の更新を喜び、祝う日でありました。豆まきは新年を迎えるにあたって、悪霊、災厄を払うための作法でした。また正月の「正」には年の初め、年が改まる意味があります。

 「年(歳)」という語は、奈良時代には農事に由来した言葉でした。「とし」は元来、穀物を意味し、五穀、とくに稲を指しました。転じて、稲の耕作・作柄・収穫なども意味します。穀物が1回実る期間が1年に相当するところから、「とし」は「一年」をも意味するようになったとも言われています。その頃、正月に迎える年神は穀霊であり、同時に祖霊である祖先神でもありました。「一年」のネンは稔(ねん)に通じ、トシも稲(とし)であり、穀物の生命(いなだま)と人間の生命(たま)が混然と考えられていたそうです。

 科学の発達していなかった昔の人々にとって、旧年を送り新たな年を迎える行事をきちんすることに、一年の平安を祈り変わらぬ生活を過ごすための知恵が込められていたのは間違いのないことでしょう。

(町田和洋)