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ことば談話室

万年筆は永遠か

小汀 一郎

 新年度が近くなると、卒業や入学、就職といったことで、お祝いに何かをという方も多いと思います。「ぼくたちゆっくり考えたい」というフレーズで、テレビで宣伝していた文具券はなくなりましたが、時代遅れ?の筆記具、万年筆はしぶとく生き残っています。万年筆でこの文章を下書きし、パソコンで清書した私。そのいわれについて、ちょっと調べてみました。

万年筆拡大いろいろな万年筆。左から5本目は半世紀以上のもの。今も使える
 万年筆ということばは、誰が発案したのか。これについては諸説があるようですが、日本大百科全書(小学館)によれば、内田魯庵(1868~1929)がつけたというのが通説になっているとのこと。

◇私を愛した文豪

 内田魯庵は、明治に活躍した評論家・小説家で、読書文化普及にも取り組んだ人物でした。文筆活動を通じてこの道具に出会い、万年筆と名付けた。確かに、筋は通っています。夏目漱石も、「余と万年筆」という文章(「万年筆の印象と図解カタログ」所収、1912年)で、オノトという万年筆について述べています。魯庵は1901年から、輸入筆記具を取り扱う丸善が発行していた「学びの灯」(後に「学鎧」と改称)の編集長も務めるなど、丸善とかかわりが深く、販売促進を考えて、PRを兼ねて、オノトを漱石にプレゼントしたのかもしれません。

1886年の万年筆の広告拡大1886年の万年筆の広告
 ただ、その丸善のウェブサイトで「丸善の歩み」のコーナーを見ると、魯庵が命名したといったことは出ていません。万年筆の由来としては、魯庵が「学びの灯」編集長になるより17年前の欄に、販売担当者の「万吉」さんにちなんで万年筆になった「という説があります」と、何やらはっきりしません。

 古い新聞を見てみると、1886年11月21日付の大阪朝日に、万年筆の広告が出ていました。イラスト付きで(私は体温計かと思いましたが)、「万年筆 おろし 小うり」「時計師 山内住智」とあります。魯庵は名付け親ではなく、万年筆という名を広めたということではないかと思えてきます。

1915年の記事拡大1915年の記事。赤線部が「万年筆」
 魯庵と丸善による成果でしょうか。1915(大正4)年、東京朝日の「学生向のXマスのおくり物」という記事では、文房具については、万年筆が挙げられています。当時の紙面は総ルビだったので、ちゃんと「まんねんひつ」と読みがついています。

1910年の記事拡大1910年の記事。ふりがなは「まんねんふで」(赤線部)

◇「ふで」より愛を込めて

 ところが、その5年前、1910(明治43)年の東京朝日の紙面では、万年筆に「まんねんふで」という読みがながついていました(11月6日付)。さらには、1908年には、「丸善新着のクラフト万年筆(まんねんふで)」という記事(11月15日付)や、「万年筆(まんねんふで)」というタイトルのコラムまであるではありませんか(いずれも東京朝日)。明治のころは「まんねんふで」という読み方が主流であったと推測させます。やはり当時は「ふで」(毛筆)という音のほうが、人々の耳にはなじみがあったということなのでしょうか。

1908年の連載拡大1908年の「まんねんふで」コーナー
1908年の記事拡大1908年11月の記事。やはり「まんねんふで」
 と、ここまで書いていて、幼少時、漫画で知った「矢立(やたて)」のことを思い出しました。携帯に便利なように筒状の部分に筆を入れ、先端部に墨つぼをつけたもの。携帯筆記具は、西洋からの万年筆を待つまでもなく日本にありました。「まんねんふで」という呼び名を考えた人は、あるいはこの矢立が頭の中にあったのではないかと、想像してしまいます。

 日本国語大辞典(小学館)には「まんねんふで」の項目がありました。「まんねんひつ」と同じ、というのは2番目にあり、1番目としては「矢立の異称」が挙げられています。明治の初期、西洋の万年筆を見た日本人が、矢立の異称をその名前に転用したのかもしれません。

 同辞典などによれば、1905(明治38)年10月の東京横浜新聞が、時計商大野徳三郎という人が発明した物に、万年筆という名を付けたと報じています。先ほどの大阪の山内住智という人も「時計師」でした。西洋の万年筆を見よう見まねで作ろうとした、手先の器用な職人が何人もいたのではないでしょうか。

◇万年筆は二度死ぬ

 20年前の朝日新聞夕刊1面(東京本社版)。東京・神田神保町の万年筆店、金ペン堂の店主、古矢健二さんが「3万~5万円の万年筆の寿命は20~30年。3年も使い込むと、手の癖を覚えてくれる。そうなると、もう手放せなくなります」と語っています。その頃の万年筆も、まだ現役ですね。万年筆の修理や調整のために全国を回っているセーラー万年筆のペンドクター、川口明弘さんは、経験に基づいて「何十年ももつ」といいます。使い方にもよるのでしょうが、80年前の劣化したものでも、手を加えれば今でも使えるものがあります。

 1990年代初め、万年筆は消費者物価指数の構成品目から外れ、ワープロと交代しました。それからほぼ20年。ワープロといえばパソコンの機能の一つになり、専用ワープロはすでに物価指数の品目から外れています。一方で、万年筆はやや復権の兆し。「1万年」消えない保証はありませんが、絶滅はしていないという意味では、名前の由来がどうであれ、万年筆は、その名に恥じないロングセラーであるようです。

小汀一郎