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ことば談話室

沙翁の春は〈上〉

池田 博之

 沙翁(さおう、しゃおう)とはシェークスピアのこと。「沙」は「沙比阿」などの略。「翁」は高齢の男の人の敬称で、16~17世紀に活躍したイギリスの偉大な劇作家への思いがこめられています。江戸から明治にかけて西洋文明が日本に入ってきたときに、固有名詞の多くを漢字で表しました。イギリスを「英吉利」と書いて「英国」とし、ヨーロッパを「欧羅巴」と書いて「欧州」としたのと同じ発想です。奈良時代、大和言葉に中国の漢字の音を当てはめて万葉仮名にしたことを考えると、とても興味深いことです。

◇帝劇での「ハムレット」初演から100年

帝劇拡大今年開場100周年を迎えた帝国劇場
 坪内逍遥がシェークスピアの作品を翻訳して「沙翁傑作集」(全40冊)の第1編「ハムレット」を世に出したのは1909(明治42)年。そして、ちょうど100年前の1911(明治44)年、逍遥が中心になって結成した劇団・文芸協会は帝国劇場(帝劇)で初めて「ハムレット」完全上演を成功させました。1911年は、日本初の西洋式劇場である帝劇が東京・丸の内で開場した年。上演は5月20日と26日。その日の帝劇には、松井須磨子が演じるオフィーリアの口から発せられた逍遥訳のせりふが響いていたはずです。

〈オフィーリア 「さあ、ここに迷迭香(まんねんこう)がある。万年も替らぬ証(しるし)の記念(かたみ)ぢや。これはお前へ。いつまでも忘れいでや。それからこれが蝴蝶草(こちょうぐさ)ぢや、物を思へといふぞや。」〉

〈オフィーリア 「さあさあ、御前(こなた)には茴香(ういきょう)の花と小田巻草。お前には返らぬ昔を悔み草ぢや、妾(わらわ)も一つ取つておこ。これをば安息日の恵の草ともいふぞや。おお、着け方は更(か)へてぢや。それからこれが雛菊。お前には、菫(すみれ)をば与(おま)したう思うたれど、父親(ててじゃ)がお死にやつたら悉皆(みんな)萎れてしまうた。めでたい往生ぢやと言うてぢや。」〉

 隔世の感があります。でも逆に逍遥の言葉が新鮮に感じられもします。新しい文化に接している熱気が伝わってくる気がします。

 オフィーリアは、愛するハムレットに「尼寺へお往きやれ」(尼寺へ行け)と冷たくされ、父親がハムレットに殺されて心乱れ、身に付けたいろいろな草花を身近な人に手渡しながらさまよい、語り、かつ歌います。

 1996年の松岡和子訳(ちくま文庫)では次のようになります。

〈オフィーリア 「はい、ローズマリーよ、思い出のしるし――ねえ、お願い、忘れないで。それからこれは三色スミレ、もの思うしるし。」〉

〈オフィーリア 「あなたにはおべっかのウイキョウと不倫のオダマキ。あなたには悔いと悔やみのへンルーダ。私の分も少しね。これは安息日の恵み草とも言うのよ。それぞれ違った意味を込めてつけましょう。これは悲しい恋のヒナギク。忠実なスミレもあげたいんだけど、お父さまが亡くなったとき、みんな萎れてしまったの。幸せなご臨終だったんですって。」〉

◇名作の中の「春」さまざまに

スミレ拡大東京都薬用植物園で見つけたニオイスミレ=東京都小平市
 さて、沙翁の戯曲の中の「春」を拾って、言葉のイメージのつぼみを膨らませてみましょう。「蝴蝶草」とはパンジー(三色スミレ)。ほかに春の花を挙げれば、雛菊(ヒナギク)と菫(スミレ)。日本で古くから親しまれている、春に欠かせない花は野に咲くスミレ。万葉集に、

 春の野にすみれ摘みにと来し我れぞ野をなつかしみ一夜(ひとよ)寝にける(山部赤人)

の歌があります。春、スミレを摘みにきて、野の美しさに心ひかれて一晩泊まってしまった。ちなみにすみれは万葉仮名で須美礼と書き表しました。

 芭蕉は「山路来て何やらゆかしすみれ草」とよんでいます。明治30年代、与謝野鉄幹・晶子ら浪漫主義の詩人・歌人による明星派は星菫(せいきん)派とも呼ばれました。何やらロマンチックな雰囲気を醸しますが、スミレの名前の由来は、花の形が大工の使った墨入れに似ていたからとも言われます。「摘まれる」から転化してスミレになったとの説もあり、この方が赤人の歌の気分にぴたりと寄り添っているように思えます。多年草。日本には数多くの自生種があります。

 英語ではバイオレット(violet)。ラテン語のviola(スミレ)に由来します。花の名が紫の色の名前になるほど紫色が印象的です。日本でもスミレ色は濃い紫色。スミレの仲間には「ツボスミレ」という白い花で紫色の細いすじが入っている種類もあります。「ツボスミレ」は古くから和歌によく歌われてきました。植物学者の牧野富太郎は、この「ツボ」とは、源氏物語に出てくる藤壺の壺(つぼ)と同じで「庭」を意味し、ツボスミレは庭先に咲く紫色のスミレだと言っています。

 雅の世界から離れ、庶民の生活の中では、スミレは地方によって様々な名前で呼ばれていたようです。民俗学者の柳田国男によると、命名には、花の形を馬(駒)や牛の顔に見立てたもの(コマヒキグサ〈筑後〉、ベコノツノツキ〈羽後〉など)と、スモウトリグサ(角力取草)の系統(カギトリバナ〈仙台〉、ヒッカケ〈越後〉、タロンボージロンボー〈三河〉など)があるそうです。子どもたちは、摘んだスミレの茎を引っ掛け合って草相撲をして遊んでいました。

 英国でもスミレは春の訪れを告げる花。その楚々(そそ)とした花姿から「つつしみの美徳」を、花期の短さ、つかの間の香りから、愛や命の「はかなさ」を表します。日本では「一夜ぐさ」とも言われますが、あまり香りについては注目されてきませんでした。ヨーロッパで珍重されたのはニオイスミレ、英語でスイート・バイオレットと言われる香り高い種類のものです。ギリシャ神話にも出てきます。日本でも西洋でもスミレはそのイメージを膨らませてきました。

デージー拡大筆者自宅庭に植えられているデージー
 雛菊は英語でデージー。歴史の舞台への登場は古く、古代エジプト紀元前14世紀のツタンカーメン王の首飾りにもその意匠が使われていたといいます。聖母マリアの涙がデージーになったとの伝説もあります。デージーの名の由来は、デイズ・アイ(日の目、太陽)。日が出ると開き、日が陰ると閉じる花の生態を表しています。花の様子も光を発する太陽のようです。14世紀の英国の詩人チョーサーは、花の女王、花のなかの花とたたえました。

 小学唱歌「蛍の光」の元歌はスコットランド民謡「オールド・ラング・サイン(過ぎ去りし日々)」で、友が老いて再会し昔を懐かしむ歌ですが、その詩には、若き日の象徴として、デージー摘みが出てきます。

 デージーは、明治の初めごろに日本に入ってきたようです。雛菊、まめ菊、また花期の長さから、延命菊、長命菊などと呼ばれました。

 パンジーは江戸時代に渡来しました。

 今の園芸品種のパンジーが交配により作られたのは19世紀のイギリス。パンジーの名は、フランス語のパンセ(考え、思い)に由来すると言われます。つぼみが下を向く姿が人がもの思うようすに似ているからとされます。オフィーリアのせりふでも「もの思うしるし」の花と出てきました。園芸種のもとになった野生種はハーツイーズ(心の慰め)と呼ばれます。学名はビオラ・トリコロール。これを訳して三色スミレとなりました。日本では、その花のかたちから胡蝶花、遊蝶花とも呼ばれました。

(池田博之)