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ことば談話室

まちがっているとは分かっていても――逆王手

加藤 順子

 東日本大震災の影響で開幕が遅れたプロ野球やサッカーの話題を目にする機会が多くなってきました。被災したチームの選手が、同じく被災したファンの後押しを受けてすばらしいプレーをする姿に感動しました。また、海外でプレーする選手のはげましが続々と日本に届き、少しでも明るい気持ちになれるような気がします。シーズンを通して優勝をかけた好ゲームが繰り広げられるのを期待したいです。

 他の世界でも、一流の人による、汗にぎるような真剣勝負を見るのは楽しいもの。繰り出す技に感心したり、「自分ならこうするかも」と予想したりするのもだいご味です。そんなファンが多いのが将棋の世界。現在戦われている第69期将棋名人戦七番勝負は、挑戦者の森内俊之さんと羽生善治名人との真剣勝負。現地で開かれる大盤解説にも連日多くの人が訪れて、二人の一手一手を見守っていたそうです。

◇将棋由来のことばは様々

 実は、将棋用語の多くが普段使う日常語として浸透しています。例えば急にお金持ちになった人を表現する「成金」、居丈高な態度を表す「高飛車」、相手に取られることを承知で動かす「捨て駒」など。他にも、ものごとの最初、中程、最後をそれぞれ示す、序盤、中盤、終盤や「先手必勝」「待ったをかける」なども、将棋から来ています。

 こうした言葉は、江戸時代やもっと前から使われているものもあるようです。

 一方、比較的最近使われるようになったとみられる言葉もあります。その一つが「逆王手」。野球のセ・パ両リーグの王者を決める日本シリーズや、日本シリーズへの出場を決めるクライマックスシリーズの様子を伝える新聞やテレビなどで、目にしたり、耳にしたりしたことがあるのではないでしょうか?

 野球で使われる場合は、4試合先に勝てば優勝が決まるといった場合、3敗してがけっぷちに立ったチームが五分に戻し、あと1勝で優勝するという時に、「逆王手」をかけるなどと表現されることが多いようです。

 しかし、日本将棋連盟によると、本来の意味からするとこれは誤用にあたるそうです。

◇「受け、逃げ」がポイント

 「王手」は、最終的な勝利を得るまであと一歩の状態をさします。「逆王手」は王手に対して、相手が受けたり、逃げたりした手が、反対に王手になることをさします。

 将棋素人の筆者は、王手から、逆王手、さらに逆王手と火花が散るような戦いが、名人戦の中で繰り広げられているのでは?と想像しましたが、さすが、3手先、10手先を読むというプロ棋士同士の対戦では、あまりおこらないそうです。火花が出るようなのは、コミックの中だけでしょうか。野球のように単純に勝負がひっくりかえるようにはいかないようです。

 ただ、プロ棋士も人の子。王手をかけられて観念して投了した後で、実は逆王手になる手があったことがわかり、勝ちを逃したという珍事も過去にあったそうです。

阪急逆王手拡大この「逆王手」は正しい使い方

 さてこの逆王手の使用方法、気になって調べてみると、実は朝日新聞でも結構前から使われていました。

 社内のデータベースで確認できたのが、30年以上前の1978(昭和53)年9月24日付の朝刊。やはり野球の記事でした。「阪急、近鉄に“逆王手”山田が快投 前後期制覇かけロッテ戦へ」という記事の見出しに登場しています。

 パ・リーグの日程終盤、優勝決定が近い時期の近鉄対阪急戦。近鉄が勝てば優勝決定、阪急は勝てば近鉄の自力優勝が消え、その後のロッテ戦で1勝すれば優勝できるという試合。近鉄の方が「あと一つ」で優勝に近かったのに勝利したのは阪急で、まさに優勝に「逆王手」をかけました。

 この後、阪急は見事に優勝を決めました。この場合は相手の「王手」を消して自分が王手をかけたのですから、正しい使い方をしています。

◇相手の王手が消えてない

西武逆王手拡大こちらの「逆王手」は誤用
 しかし、1993年11月1日付になると「誤用」が登場します。日本シリーズ・ヤクルト対西武の熱戦を伝える「西武“逆王手”」。

 この年はヤクルトの2勝から始まりましたが、その後、西武が巻き返し、10月31日の試合で勝利して、3勝3敗の五分に持ち込みました。7戦目に勝った方が、優勝するので、両チームにとって「あと一つ」ですが、一度は3敗して「王手をかけられた」西武が、追いついて「自分も王手をかけた」ことを「逆王手」としています。相手の王手は消えていません。

 日本将棋連盟は「テレビや新聞で見る逆王手は単に、あと一つ(1勝)という意味で使われているようですね」と冷静な指摘。「統計をとっているわけではありませんが、世間にはこれで認知されているような気がします。将棋用語を使ってもらえるのは、将棋が根付いている証拠なので、うれしいのですが、違和感を感じるのも確かなので、複雑な気分です」とおっしゃっていました。

 昨年もクライマックスシリーズや日本シリーズのさなかに、紙面のレイアウトをする「編集センター」の担当者から「『逆王手』を見出しに使いたい」という相談がありました。

 多くの人が目にする新聞作りをしている身としては、正しい、美しい言葉を使うのが鉄則ですが、こんなに世間で使っているのにかたくなに使わないというのも時代遅れになってしまうかも。なかなか正解が出せず、悩ましく感じました。

◇「おっかけリーチ」がふさわしい?

 インターネット上の掲示板にも、クライマックスシリーズの時期になると「『逆王手』を使うのは違うのでは?」「『両王手』は使えないの?」などといった指摘をしばしば見かけます。この両王手というのは、攻撃側が二つの駒で同時に王手をかけた状態をさすので、あてはまりません。あと一つという意味とはちがうようです。

 実は逆王手よりしっくりくる言葉があると、上司が「おっかけリーチ」という言葉を教えてくれました。これはマージャン用語で、他の人が先にリーチ(あと一つで上がりと宣言)している状況で、リーチをかけることです。筆者はマージャンのルールに詳しくないのでピンときませんでしたが、先んじていた方(先に勝利をあげていた方)より、後からきた人の方が上がりそう、という状態をさすのであれば「逆王手よりぴったり」という人が多くいました。ただ、マージャンは将棋より一般的ではないので、広く知られるようになるのは難しいかもしれません。「おっかけリーチ」の見出しが躍るスポーツ面は、想像しづらいですね。

 将棋用語に詳しくなくても、王手に「逆」という漢字がつくことで、何となく意味が分かってしまうのが、漢字のマジック。単語そのものを知らなくても何となく類推できるという言葉の特徴から出た誤用の広まりかもしれません。ほかにも「無」「否」「未」などがつくことで、「未定(いまだきまっていない)」などの意味が一目で分かるのは便利だなと思いますが、今回の逆王手にとってはちょっと迷惑な話だったのかもしれません。

◇「re」に込めた再生の願い

 言葉の前について一定の意味を表す接頭辞は、英語にもあります。否定や反対を表す「dis」を使ったdislike(嫌う)や、メートルの前に100分の1という意味をもつ「centi」がついたcentimeter(センチメートル)など数えきれません。

 そんな中、ちょっと目にとまったのが、動画サービスサイト「GYAO!」のキャンペーン「REPLAY JAPAN(リプレイ ジャパン)」。 

 再びという意味を表す接頭辞「re」がついたreplayという単語は、再び行うこと=「再生」という意味です。

 音楽プレーヤーなどでも「再生ボタン」といいますね。 

 このキャンペーンは今回の震災をうけて、海外各地の著名人や組織からのお見舞いのメッセージ動画や、人気の歌手によるライブ映像、かわいい動物の映像などを集め、動画の力で人々の復興に役立ちたいという取り組みだそうです。

 動画の再生が、人々の心の復興(再生)につながるようにとの願いがこめられているそうです。

 被災地はもちろん、そうでない地域でも、気分が沈みがちになる毎日ですが、真剣勝負をする人の姿に励ましをもらったり、趣味を気分転換にしたりして、日常生活をきちんとおくることが一番の「再生」につながることだと思います。

(加藤順子)