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ことば談話室

八ツ場ダムの地から

中島 克幸

川原湯温泉駅拡大ダムが完成すると水没するJR吾妻線の川原湯温泉駅
 群馬県の八ツ場(やんば)ダム建設現場は、私の住む群馬県高崎市から電車で1時間ほどで行ける所にある。周辺には地元の人々に草津温泉の上がり湯として古くから親しまれ、大寒に奇祭「湯かけ祭り」が行われる川原湯(かわらゆ)温泉や関東の耶馬渓と言われる吾妻(あがつま)渓谷があり、ダム建設現場一帯は観光地としても知られている。私にとっても何度となく訪れている馴染みの土地である。

 民主党を中心とした政権が看板政策として掲げた「ムダな公共事業見直し」。その象徴的存在であった八ツ場ダム。政権発足当初から国側の対応が混乱し、地元の方々は行く末に不安を募らせているのではないか。

◇「ツ」がなぜ「ん」に

 ところで「八ツ場」はなぜ「やんば」と読むのだろう。由来ははっきりせず諸説あるようだが、地元群馬県長野原町のホームページを見ると①狭い谷間に、獲物を追い込んで、矢を射った場所「矢場(やば)」が転じ、「やんば」となった②狩猟を行う場所に八つの落とし穴があったことから、「八つの穴場」→「やつば」→「やんば」となった③川の流れが急であることから「谷場(やば)」が転じ「やんば」となった――とある。また「『やば』では短すぎるので、撥音(はつおん)を入れて調子をつけて発音しやすくしたのではないかとも言われている」ともあった。

 都丸十九一(とまる・とくいち)著「続・地名の話」(煥釆堂刊)によれば、――「谷のある場所」という意味で「やば」と呼ばれていたが、いつしか谷を表す「や」の意味が忘れられ、八や矢の文字が用いられた。さらに「やば」では短すぎて安定しないので、撥音便の「ん」を補って落ちつかせたのだろう。こういう類例は、例えば鳶(とび)をトンビ、姉をアンネなど数多い――ということであった。訪れるとよく分かるのだが、ここはまさに谷間である。谷の底を利根川の支流、吾妻川の清流が流れている。「谷のある場所」から「やば」と呼ばれていたという説には合点がいく。

 「やんば」を「八ツ場」と書くことについては、なかなか資料が見つからなかった。それで私なりに推理してみた。

やんば館拡大「やんば館」。1999年、国土交通省がダム建設の必要性を解説するために開館した
 おそらく昔は長野原町ホームページの②のように実際に「やつば」と呼ぶ場合もあって、それに「八ツ場」と字を当てたのだろう。しかし後には一般的に「やんば」と言われるようになったが、「八ツ場」という表記はそのままにして、「やんば」と読ませたのではないだろうか。

 この「ツ」については、工事現場近くにあるダムについての資料館、「やんば館」の展示物で見る限り、全て小さい「ッ」だった。これが地元で広く用いられている表記なのだろう。「ッ」がそのまま残ったのは、「やん」と調子をつける記号としての意味合いがあったかも知れない。また地元以外の人に「やば」と読まれることを避けようとしたとも考えられる。――校閲記者として裏付けとなる資料を探すのが普段の私の仕事だが、このように想像力を働かせるのも楽しい。

◇ひなびた温泉街に迷走の影

川原湯温泉街拡大寂しげなたたずまいの川原湯温泉街
 久しぶりに川原湯温泉を訪れ、その変容ぶりに心が痛んだ。最寄りの「川原湯温泉」駅前の郷土料理屋は取り壊されていた。廃業した温泉宿も多く、更地が目立った。元々ひなびた温泉地で、都会の騒がしさから離れ心を癒すために訪れるのに、これでは来るのがかえってつらいではないか。

 馴染みの温泉宿に行くと、飼われている犬の様子がどことなくおどおどしているように映った。人間達の心の動揺を感じ取っているのだろうか。声をかけても反応がない。しばらくして、ちらりとこちらを見たその表情(犬に表情があるのか知りませんが)は寂しそうに見え、小さな目は不安でいっぱいという感じだった。近所の知人が飼っている犬の安心しきった様子とは明らかに違うと思った。

 ダムが完成すると温泉街は完全に水没する。駅もダムの底に沈むのでJR吾妻線は路線が変更される。すでに代替地は整備され、移転を待つだけになっている。しかし国の方針が定まらないので、ダム本体の工事は凍結されたままだ。

不動大橋拡大4月に完成した「不動大橋」。完成時には見学者が多数訪れた
 付帯工事の方は着々と進行中で、4月には移転代替地のあるダム両岸を結ぶ「不動大橋」が完成した。橋は皮肉にも新たな観光スポットになっている。全長590メートル、高さ86メートルの、スマートな白い橋脚に支えられた陸橋は、見た目は確かに美しいと感じた。しかし奇麗な景色を見て、感動した時にわきあがる感情とは違った。豊かな緑の渓谷とは明らかに不つり合いであったからだ。

 「やんば館」の資料によれば、八ツ場ダムは死者が1100人に及んだ1947年のカスリーン台風の大被害の教訓から、洪水防止のための治水事業の一環として計画された。また年々増加する首都圏の水の使用量を支えるための利水も大きな目的となった。しかし計画から60年以上たった現在でもまだダムは完成していない。迷走するダム建設問題は、いつどういう形で決着するのだろう。

◇渓谷美よ、いつまでも

拡大
 ダムが完成すると、土地や家屋、人々の絆など生活基盤のすべてがダムにのみ込まれる地元の気持ちを考えると、本当にやるせない。ダム建設を中止すると言ったり中止しないと言ったり、住民を置き去りにして、自らの都合でダム問題を論じているように映る政治家の姿が腹立たしい。

 四季折々に違う表情を見せ、訪れた人々を魅了する吾妻渓谷の澄んだ流れも、ダムの影響を受けるのだろうか。渓谷の中心部分は残すので景観は保護されると言われているが、「想定外」の事態は常に起きうる。長期的な目で眺めれば、ダム建設の影響は免れないのではないだろうか。地元の宝たるこの渓谷はぜひとも守っていかなければならない。 

若山牧水の歌拡大吾妻渓谷を詠った若山牧水の歌碑。渓谷の入り口にある
 うずまける白渦 見ゆれ落ち合へる 落ち葉の山の 荒岩の陰に

 川原湯温泉に滞在した若山牧水が、渓谷の吸い込まれるような情景に感動して詠んだ歌である。渓谷の深い豊かな林がいつまでも茂っていくように願っていたという。ダムが完成してもやはり同じ歌を牧水が歌う渓谷であって欲しい。

中島克幸