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ことば談話室

茗荷の香り この夏の記憶 -下-

池田 博之

 『〈忘却〉の文学史』という本があります。10年ほど前に書店の棚で見つけました。著者はドイツの言語学者ハラルト・ヴァインリヒ、副題に「ひとは何を忘れ、何を記憶してきたか」とありました(中尾光延訳、白水社刊)。何かと忘れっぽい自分を思い、援軍を得た気になって買い求めました。読み始めたのですが、そのころ忙しかったのか、いくらも進まないうちに頓挫。やがて本のことを忘れました。人間、忘れることを常としながら、「忘却」まで忘れるとは。そしてこのたび、記憶について文章を書こうと思い、本の存在を思い出しました。必要は想起の母。今度は、最後まで読みとおしました。

 著者は、古代ギリシャから現代にいたるヨーロッパの知の伝統の流れの中に浮き沈みする「忘却」の歴史をたどります。ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」やダンテ「神曲」、プルーストの「失われた時を求めて」など、いわば記憶の金字塔のような作品から、甘美な、あるいは宿命的な「忘却」をすくいあげます。

◇忘却を誘う蓮?

 もともと記憶に頼っていたヒトは、文字を得て筆記することで記憶力を後退させ、印刷術の発明がこれを後押しし、文学表現のかたちも、記憶の伝承にふさわしい詩などの韻文作品から小説などの散文に変わっていったといいます。

 この本の原題をそのまま訳すと「レーテー 忘却の芸術と批評」。レーテーはギリシャ神話に出てくる冥界を流れる忘却の河。この河の水を飲むと現世の記憶がきれいになくなるとされました。忘却をつかさどる女神でもあります。記憶の女神はムネモシュネーで、その娘は9人姉妹のムーサ(英語ではミューズ)。詩や音楽など芸術をつかさどり、ミュージックやミュージアムの語源となりました。

 「オデュッセイア」の主人公オデュッセウスは、10年の長きにわたるトロイ戦争に勝利し、海路、故郷イタケの王妃で妻のペネロペイアの元に帰るのにこれまた10年の歳月をかけることになりました。途中、様々な苦難に遭います。「忘却の文学史」によると、最大の難関は「忘却への誘惑」だったのです。三たび島に漂着し、一度目は忘却を誘う蓮(はす)の実を食べた船員が戻らず、あと二度は、ニンフ(女の妖精)の愛の魔力によってオデュッセウス自身がしばらくのあいだ忘却の虜囚となり……

拡大江戸の名残の茗荷坂(東京都文京区の地下鉄丸ノ内線の茗荷谷駅そば)。説明板には「多く茗荷を作りしゆえの名なり」とあります
 「忘却」を語ろうとするあまり、いつのまにか現実を忘れて波乱の長旅(オデッセー)をしてしまいました。現実はこの夏。忘れたいのはこの暑さ。それには、愛の妙薬はともかく、蓮の実ならぬ香味野菜やハーブ類が、ささやかながら効果的に思います。

 手近に求められる夏の代表的な香味野菜の一つは、ミョウガ。近頃は一年通して店に出ているので、夏に味わうありがたみは薄れましたが、独特なほのかな芳香と爽やかな苦みはやはり夏の食卓には欠かせないものです。そうめんやそば、冷ややっこの薬味、刺身のつま、サラダにてんぷら、漬物、お浸しにと、料理を引き立てながら食欲をそそります。

◇ショウガは男性、ミョウガは女性?

 ミョウガは東アジア原産でショウガ科の多年草。めが(芽香)の音変化という。漢字で書くと茗荷。茗はお茶の芽の意味で、茗荷は当て字。ふつう食用にするのは、ミョウガの子とか花ミョウガと呼ばれる花穂。若い芽もミョウガ竹として食べる。暑い盛りの夏ミョウガ、夏過ぎて秋ミョウガ。秋ミョウガはさっとゆでて三杯酢がおいしい。

 日本でのミョウガの歴史は古い。3世紀、魏志倭人伝では、日本で見られた植物をあげて、「薑、橘、椒、蘘荷あるも、以て滋味となすを知らず」と説明されています。蘘荷(じょうか)がミョウガ。薑(きょう)はショウガ。8世紀の正倉院文書(もんじょ)には食用としてのミョウガの記述があります。日本人は古くからおいしく食べることを知っていたようです。冥加(みょうが=神仏の加護)にかけられたのか、戦国武将の家紋にも様々な意匠の茗荷紋が見られます。

拡大新宿区富久町の茗荷坂下にある児童遊園
 ミョウガを食べると物忘れするといいます。これは根拠のない俗説。古典落語に「ミョウガと物忘れ」を筋立てに使った「茗荷宿(やど)」があったり、釈迦の弟子で生前、物忘れの甚だしかった周梨槃特(しゅりはんどく)の墓から彼の「名」を「荷(にな)」って生え出た草を「名荷」「茗荷」と呼んだとするお話があったりするものですから、ミョウガを物忘れと結びつける糸もなかなか切れません。まあ、せめていっときでも暑さを忘れるために、きょうもまたミョウガを味わっています。

 ミョウガの語源とされる「めが」は漢字で「妹香」とも書きます。ショウガを「せうが」と書く文献(江戸時代の「薬品手引草」)もあり、ショウガの「せ」とミョウガの「め」が対になっていると考えられてもいます。「せ」は男性を表し、「め」は女性を表す語。ショウガとミョウガの香りや味覚の違いを言い表しているように思えます。

 

 吾妹子(わぎもこ)にわが恋ひ行けばともしくも並び居るかも妹と背の山

 (万葉集、よみ人しらず)

 (妻のもとに恋い焦がれて訪ねていくのだが、なんといってもうらやましいのは、〈紀の川をはさんでいつも向き合っている〉妹山〈いもやま〉と背の山であることよ)

 

 さて、地中海で苦難の旅を続けるオデュッセウスはどうなったでしょうか。20年ものあいだ留守にした祖国イタケにたどり着いたとき、妻ペネロペイアは多くの武将たちに結婚を迫られていました。オデュッセウスは並みいる求婚者たちを討ち果たし、ようやくペネロペイアとの愛を確かめ合うことができたのです。

 一方、『〈忘却〉の文学史』は、結末近く、エリ・ウィーゼル(米作家、1986年ノーベル平和賞受賞)、プリモ・レービ(イタリアの作家)、ホルヘ・センプルン(スペインの作家、この6月逝去)の3人の生還者について語ります。ウィーゼルはその記憶の「一切を断じて忘れないだろう」と残しました。3人が生き延びたのはアウシュビッツとブーヘンバルトの強制収容所でした。

 これで、忘却と記憶をめぐるオデッセーも終わり。「パソコンに蓄えたら、たちまち忘れた」なんてことにならないように、あすは、記憶力を高めるというハーブ、地中海沿岸原産でラテン語の ros marinus(海のしずく)を語源とするローズマリーを使った白身魚の香草焼きを食べよう。

池田博之