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ことば談話室

銀座のブラの物語――上

中原 光一

 大阪から東京に転勤してきて早1年8カ月……って「書き出し先週のパクリか!」とか言わないで下さい。江戸の水にもすっかり慣れて、今やすっかり帝都東京の暮らしを満喫する、ちょっとシャレオツなシティーボーイて感じ?(死語) 会社に近い銀座だってもう迷わず歩けるし、行きつけのバーとかだってあるし。

 そんなある夜。銀座のとあるバーで。

「どうマスター?もう僕もすっかりシティーボーイじゃない?(だから死語)」

「……そうですね(苦笑)。ボーイかどうかはさておき(失笑)」

「(軽く失礼!)銀ブラだって余裕だしー。花椿通り、すずらん通り、交詢社通り、みゆき通り……目隠ししても歩けるもんねー」

「ちょっとお待ちを」

「へ?」

「銀ブラ、とおっしゃいましたね」

「うん」

「どういう意味でお使いですか?」

「銀座ブラブラ歩くことでしょ?」

「そういう意味もありますが……他にもね……その辺を押さえて頂かないと……」

「えー。教えてよー」

「それは新聞社にお勤めなのですから、調べるのがお仕事では?」

「なんやねん! ケチ! ほんま関東人は! すかしくさって!」

「(苦笑)」

「調べたらええんやろ!調べるわ!」

 くそ……やはり関西弁の方がなじむわ。(敗北。

◇コーヒーって何よ?!

 と、いうわけでまずは辞書を引いてみる。

ぎんぶら【銀ぶら】

広辞苑・日本国語大辞典

→東京の繁華街銀座通りをぶらぶら散歩すること。

 ほら見ろ! 完全勝利! もう一つくらい見ておくか。

日本俗語大辞典

銀座をぶらぶらすること。大正初期にできたことば。語源に諸説ある。慶応義塾の大学生が言い出したという説のほか、社会部記者用語という。また「銀座のブラさん」と言って、銀座にたむろして、ぶらぶらしていた連中のことという。

 へー。「ぶらぶらする人」の意味もあるのか。

 しかし語源に諸説ある、が気になるなあ。

 ネットでも調べてみるか。

 すると……。

銀ブラコーヒー拡大カギを握る?ブラジルコーヒー

「銀ブラとは、銀座でブラジルコーヒーを飲むこと」

 え? 何それ? 歩かなくていいの?

 これはちょっと、語源を掘り下げる必要が出てきたみたい。

 「諸説ある」なら諸説探すまで!

 それが記者のお仕事! やったるわ!(さっきキレたくせに)

 いくつか文献を漁ってみる。

◇慶応ボーイの流行語?!

 まずは日本画家・随筆家・漫画家である水島爾保布(1884~1958 )の「新東京繁盛記」。

 ここには「『銀ぶら』という言葉は、其最初三田の学生の間で唱えられたものだともいうし、また玄文社の某君の偶語に出たものだともいう。勿論文献の徴すべき何ものもないが、これでも十数年乃至数十年の後にはいろんな内容いろんな伝説なども付会されて、随筆家の飯の種にもなれば考証家のヨタの材料にもなり社会学者の世渡りの資料にもなり、百年二百年の後には博士論文の題材になり、天ぷらの起源に山東京伝が参加したように、夏目漱石先生でも関係するなどということになろうも知れない」とある。

 なるほど。語源はこのころですらよく分からなかったのね。

 しかし皮肉交じりの100年後の予想、あながち外れてない(笑。

 記者の飯の種になってるんだから。

 美術史家・安藤更生(1900~1970)の「銀座細見」には、まさに“銀ブラの語源”と題した一章がある。

「銀座を――特別な目的なしに、銀座という衢の雰囲気を享楽するために散歩することを『銀ブラ』というようになったのは、大正四五年頃からで、虎の門の『虎狩り』などと一緒に、都会生活に対して、特別警抜な才能を持っている慶応義塾の学生達から生れて来た言葉だ」

 やはり慶応ボーイ(笑)のはやり言葉だったわけか。

 しかし、「何かのために」歩くのではなくて、ただひたすら「歩くこと」自体に意味があるのね……。

 ちなみにこの文章のあとに続き、

「近頃は、新らしいものなら何でも真似たがる関西人が『頓ブラ』だの『四条ブラ』だのという言葉を造り出したが、場所といい、韻(ひび)きといい、一寸段違いの感じだ。これらはただ滑稽な感じがするだけだ」

 ……くそ! すかしくさって!(2回目)

 まあ確かに格好悪いけどさ。今じゃ言わないし。(汗。

 また同書の別章「銀ブラの時代的考察」には、

「銀座を酒を飲む為めでもなく、買物をするためでもなく、また見物のためでもなく、純粋に都会を享楽するための対象として歩るくこと、謂わば街衢鑑賞ともいうべきものが発生したのは、明治も末期になってから起ったことである」

とより詳しい。

 お酒はもちろん、買い物もダメなんや……。

 今では「ウインドーショッピング」的な意味で使われる事が多い気がするけど、それも本来の趣旨(?)からは外れるのかな。

 日本文学研究家エドワード・G・サイデンステッカー(1921~2007)の「東京―下町山の手」にも

「銀ブラを楽しむ大衆というのは、値の張る品物を買うような種類の人たちではなかった。銀ブラはただ二十歳前後の若い人々が、おたがい同じ年頃、同じ階層の群衆の中に埋もれて、浮き浮きと時間を潰すことだったのである」

とまとめられている。

 セレブなご婦人や金持ち紳士がそぞろ歩く銀座のイメージ(それこそ関西人が考えるステレオタイプ?)とはだいぶ違うな。

 もっとも同書には「実は『銀ブラ』という言葉は、元来はここに四六時中うろついていた浮浪者の有様を言ったもののようで~」とあり、語源に関してはちょっと異色の説を紹介している。

 さて問題の「ブラジルコーヒー」だが、こちらは少し長くなったので次回に。

 引っ張るよー。

(中原光一)