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ことば談話室

銀座のブラの物語――下

中原 光一

 「銀ブラ」って「銀座ブラブラ歩くこと」じゃないの?と思いきや、なんと、「銀座でブラジルコーヒーを飲むこと」との説もあるとか! 驚き!

 ここまでが前回。

 そんな文献ホンマにあるの?

 ……あった。

 作家・小島政二郎(1894~1994) 「甘肌」の第2章「青春」に、主人公砂村がまだ三田の大学生(=慶大生)だったころ、とのくだりで

「同窓に成毛五十六と云う詩人がいた。授業が終ると、三田の通りから芝公園を抜け、日蔭町の狭い通りをブラブラ歩いて、芝口から新橋を渡って、銀座へ出る。これを銀ブラと云い出したのは、成毛五十六の造語であった」

「今の交詢社のところに、その頃、時事新報社があり、その前に、宇野浩二が何かと云うと書くカッフェ・パウリスタと云う、五銭でブラジルのコーヒーを飲ます木造二階建の洋館があった。三田からここまで歩いて来て、コーヒーを一杯飲む、それが何よりの楽しみだった」

と出てくる。

 佐藤春夫の「詩文半世紀」にも同様の記述があり、慶大生の散歩コースのシメとして、コーヒーを飲むのがお決まりだったことが分かる。

 ここから「銀座でブラジルコーヒー」が出てきたワケね。

◇じゃあ飲みに行って……みる?

 ん……?

 よくよくこの「甘肌」見直すと……銀座「で」ブラブラすることではなく銀座「へ」ブラブラ向かう事とも解釈できるじゃないか!

 なるほど……これは興味深い。

 

パウリスタ拡大ジョン・レノンとオノ・ヨーコも来た
 このカフェ「パウリスタ」、今も銀座にある。

 そして「ことば談話室」に登場するのは2回目(昨春の「おしゃれな『カフェ』」)。我々のネタの宝庫?

 これはお世話になっているお礼もかねて直接話を聞かねば! そしてコーヒーを飲まねば!(待て。

 というわけでお邪魔した。

 店長の矢沢秀和さん(39)、ちなみに記者と同い年(どうでもいい)。

――「銀ブラ」の語源って、やっぱり「銀座でブラジルコーヒー」なんですか?普通「銀座をブラブラ」だと思うんですが……「銀座へ」との説もあるみたいですけど。

「なかなかどれが、と断言するのは難しいですね。仰るとおり、人口に膾炙(かいしゃ)しているのは『銀座を~』だと思います。ただ当時の慶大生が、ここでブラジルコーヒーをよく飲んでいたという事実があって、それが一種の若者言葉というか、自分たちだけに通じる符丁のような感じで使われていたのではないか、という考え方もあると思うんです」

――ダブルミーニング的な。

「それもあったかもしれませんね」

――当時のいわゆる「カフェー」、どちらかというと今で言う「クラブ」に近いものとは違ったんですよね。純喫茶というか。値段も安かったとか。

「ええ。当時普通は10~20銭したコーヒーが、当店では5銭でした。初代社長がブラジルから豆の無償供与を受けていたので」

――それで学生たちが集まったんだ。ちなみに5銭ってどれくらいですか。

「当時は銭湯が8銭だったそうです。いわば『高嶺の花』だったコーヒーを、手の届く価格で提供していたことから、学生はもちろん文化人が集うサロンや情報発信基地の役割も果たしていたようです」

パウリスタのコーヒー拡大苦味も酸味もほどよくて飲みやすい
――お話を聞いていると、今のハイソな「銀座」とはイメージがだいぶ違うのですが。

「学生や若者が集まる街ですね。当時は早稲田は新宿、慶応は銀座、というすみ分けがあったそうです」

――関西人にはその辺の「早慶」カラーの違いが分かりにくいのですが(苦笑)。やはり、若者のはやり言葉だったわけですね。

「そうですね」

 それが1世紀近くを超えて、今でも通じるのだから、はやり言葉といってバカには出来ない。

 銀座という街の歴史を彩る、ひとつの象徴とも言えるのかも。

 2年弱のエセ関東人(笑)には、まだまだ学ぶところ多そうやわ。

◇じゃあ歩かなきゃ……ダメ?

 ちなみにパウリスタも12月12日で、銀座に店を構えてからちょうど100年。

 慶大生が通ったかつての店とは場所も少し変わったし、一時は関東大震災の影響で銀座を離れていた事もあったそうだけど、今でも「銀ブラ」のシメにコーヒーを頂くことが出来る。

 ぜひご賞味あれ。

 ……あ。

 もう一つの「銀ブラ」体感するには、慶応大三田キャンパスから銀座まで歩かなきゃあかんやん。

 地図だと1時間弱やけど、方向音痴の関西人、無事たどり着けるかなぁ……。

(中原光一)