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ことば談話室

料理も呼び名も多彩な「油揚げ」(上)

三原 紀子

 水ぬるむ季節となりました。お花見の計画を立てている人もいるのではないでしょうか。お花見にはお弁当がつきもの。みなさんお好みの弁当はありますか?

 私は断然おいなりさんです。お花見用の弁当を買ってくるよう頼まれ、悩んだ末に3店でおいなりさんを買ってきて友人にあきれられたことも。油揚げは、いなりずしにするのはもちろん、軽くあぶってショウガじょうゆで食べるのもいいですし、うどんに入れれば、菜種油のコクで肉がなくてもぐっとおいしくなります。油揚げ、なんて優秀なんだ!

 京都・祇園にあるねぎうどんが人気のお店「萬屋」に行った時も、お品書きを見ると、ねぎうどんに刻んだ油揚げが入ったものがあったので、すかさず頼みました。

拡大萬屋の「えびな」。ショウガとねぎの相乗効果で上着を必ず脱ぐほどあったまります

 うどんに没頭しながらも、油揚げの入ったうどんに「えびな」という名前がついているのが頭の片隅にひっかかり、ぽつぽつと考えていると「稲荷(いなり)」や「しのだ」などの言い方があるのも気になってきました。どんな物語があるんだろうか。

◇稲をになう神

 そもそも「稲荷」の語源がよく分かりません。手始めに稲荷と言えばいわずと知れた京都の伏見稲荷大社について文献をあたってみます。奈良時代の記録が記されている「山城国風土記」逸文(一部分のみ他の書物などに引用されている文章)に伏見稲荷の創建の話がありますが、そこには「伊奈利社」「伊禰奈利生」の字がみられ、「稲荷」はありません。ただ、「伊禰奈利生」を「稲が生えた」という意味と解釈し、稲との関係を推測する見方があります。「稲荷信仰事典」(山折哲雄編)によると、「稲荷」の文献上の初出は「類聚国史(るいじゅうこくし)」の淳和天皇天長4(827)年。また北畠親房著とされる「二十一社記」には、弘法大師が稲を背負った神にお願いして東寺の守護をしてもらうようになった話が記されていて、少なくとも9世紀前半には稲を背負った(荷なった)神=稲荷神、の表記があったことが分かります。

拡大伏見稲荷。青い空に朱の鳥居が映えます

 ではキツネは稲荷とどう関わりがあるのでしょうか。「稲荷信仰の研究」(五来重著)では、キツネの古語「ケツネ」は食物の根元霊(「ケ(食)」「ツ(の)」「ネ(根元霊)」)という意味であり、稲荷神以前から雑穀や木の実、魚、肉などを表していたとしています。

 また伏見稲荷の祭神で、稲の神である宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)は別名を御饌津(みけつ)神といい、その字に三狐神をあてたからという説、またキツネは稲田の近くに現れ、米の害獣であるネズミを捕ってくれる身近な存在であったことから、稲荷神の使いとされたという説もあります。

拡大祢ざめ家のいなり寿司。関東は俵形が主流ですが、関西は三角形がほとんど
 近畿、中国地方には寒施行、野施行という風習があります。これは寒中に「せんぎょう、せんぎょう」と言いながら、キツネの巣や稲荷のほこらの辺りにお赤飯や油揚げを置いていくというものです。兵庫県尼崎市北部にある富松神社の辺りでは、宅地化が進み、実際にはキツネはすんでいないとのことですが、寒の入りのころになると、今でも葉ランに包んだ小豆飯や油揚げを以前巣のあったところに投げ込む人がいるそうで、聞いているこちらもほっこりした気持ちになりました。

 稲荷のいわれが分かったような気になったところで、伏見稲荷の北参道からほど近い食事どころ「祢ざめ家(ねざめや)」へ。お店の名前は秀吉がつけたと伝わるほどの老舗です。店先でスズメやウナギを焼く香りが鼻をくすぐる中のれんをくぐり、いなりずしを頼みました。酢飯とゴマ、ゴボウ、おの実(麻の実)が入っています。おの実は2年前に古来の製法に従って入れるようになったとのこと。やわらかく炊きあげたゴボウに、おの実のアクセントがほどよく効いていました。

◇豊川は「西の魔女」から

 伏見稲荷の後、次に思いついたのは豊川稲荷です。下調べの最中、私にとっては衝撃の事実が判明しました。「豊川稲荷はお寺であって神社でない――」。豊川稲荷は「豊川閣妙厳寺」という曹洞宗の由緒あるお寺で、法堂(はっとう)にはご本尊の千手観世音菩薩がまつられています。

拡大JR豊川駅に貼ってあったポスター。左側の文を見てください。誤解しているのは私だけではないようです

 ではなぜ「豊川稲荷」と呼ばれるのか。それは山門を守っているのが「豊川枳尼(だきに)真天」、通称・豊川稲荷だからなのです。これは鎌倉時代の高名な曹洞宗の僧である寒巌義尹(かんがんぎいん)禅師が、修行をしていた中国の宋から帰る途上で、白ギツネにまたがり、右肩に稲穂を背負い、左手に宝珠を捧げた枳尼真天の姿を感じて宿願を得て、帰国後に像に刻んで祭ったことに由来するものです。稲穂と白ギツネが出てくることで、いつしか「稲荷」と呼ばれるようになったとのこと。同じ「稲荷」と称していても、伏見稲荷は神道系稲荷であるのに対し、豊川稲荷は仏教系稲荷であるといえるでしょう。

 豊川閣妙厳寺が稲荷と呼ばれる理由となった枳尼真天ですが、元々はインドの魔女ダーキニー(ダキニ)で、シバ神の配偶者パールバティーの従者とされています。密教に取り入れられてからは、人の死を半年前に知り、その心臓を食べる鬼神とされ、その法を修めれば、善悪を問わずどんな願いでもかなえてくれるとされたことから、さまざまな階級の人々から信仰の対象となりました。しかし、インドに伝わるダーキニーは、動物にまたがったりはしておらず、このスタイルは日本固有のもののようです。

 「狐の日本史」(中村禎里著)によると、西インドで成立し、唐で漢訳された真言密教の経典である「大日経」には、野干(やかん)という動物が出てきます。野干は中国でキツネに似た想像上の動物のこと。インドにはキツネはいないので、野干はジャッカルを指すと思われます。ジャッカルはハイエナのように、死肉をあさる動物です。ダキニが野干に乗ったという記述はありませんが、野干とダキニの両方に死の匂いを感じたこと、また日本に古来からあった農耕信仰から来るキツネへの親しみや恐れが、キツネを神の従者とすることにつながったのではと想像できます。

 豊川稲荷がお寺だったのには驚きましたが、実際に足を運んでみると、入って正面に大きな鳥居がありました。

拡大豊川稲荷の鳥居。奥に見えるのが本殿。法堂よりだいぶ目立ちます

 あれれ、今度は逆の疑問です。お寺なのに鳥居なの? 境内で宝物を展示している寺宝館の方に聞いてみると、鳥居は元々境内の別のところにあったものを戦後に移築したそう。「横から鳥居を見てみてください」と言われ、目を凝らすと、おおっ、島木の面に卍が刻まれています。

 
拡大見えますか?
拡大さらに拡大

 明治の神仏分離政策により、豊川稲荷もあやうく枳尼真天を手放さなくてはならないところでしたが、今川義元をはじめ名だたる武将や、庶民からの稲荷信仰で人気を博していた寺側は、枳尼真天は元々インド由来の仏教神であると抵抗し、分離は免れました。説明によれば、寒巌禅師が順徳天皇の子で、皇室と縁が深かったことも免れた一つの原因だったかも知れないとのこと。伏見稲荷にあった愛染寺というお寺はその時に廃されたと聞き、いたましい気持ちになりました。

 平安時代初期に大陸から来た曼荼羅(まんだら)図のダキニは座り込んで刀を背負い、死人の手足をむさぼり食べており、密教に伝わったころとの違いはさほどないように見えますが、現在仏教系稲荷をまつるお寺が出すお札や、お堂内の彫像のキツネに乗り、右手に宝剣、左手に宝珠を持っているダキニ天の姿は、鎌倉時代のころからみられるようになり、近世以後に固まったようです。

拡大山彦の「いなほ稲荷寿司」。こちらは四角
 稲荷詣でに来たからにはやっぱりいなりずし。総門の目の前に店を構える1904(明治37)年創業の「山彦」に行ってみました。こちらのいなりずしはひじき、ニンジン、シイタケ、クルミ、タケノコの五目入りです。

 いなりずしは創業当時から出しているそうですが、お米が高価だった時には、代わりにおからを入れたこともあったそう。おからも嫌いじゃないけど、やっぱりお米の方がいいなあ。おいしくいただきました。

 稲荷とキツネの関係はなんとなく分かってきました。でもどうして「しのだ」というのか、油揚げとキツネの関係は――。なぞはまだまだ解けません。その辺りはまた次回。

(つづく)

(三原紀子)