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ことば談話室

料理も呼び名も多彩な「油揚げ」(下)

三原 紀子

 横浜の実家に住んでいた頃、食事は完全に消費専門だった私ですが、料理本を眺めるのは妙に好きだったので、「しのだ」というのが油揚げを指すことは何となく知っていました。ただ、油揚げに対する思い入れの強さは、西高東低ではないかという印象もあったので、大阪に来てみて、「しのだ」を知らない人が結構いるのがちょっと意外でした。とはいえ、私もなぜそう呼ぶかはよく知りません。そこには「稲荷(いなり)」と同じく深いわけがありそうです。

拡大信田巻き。油揚げで巻いてあればなんでも「信田巻き」です

◇ルーツは浄瑠璃のヒット作

 みなさんこんな和歌をご存じでしょうか――「恋しくば尋ね来てみよ和泉なる 信田の森の恨み葛の葉」。これは歌舞伎「芦屋道満大内鑑-葛の葉」という演目に出てくる歌です。白ギツネが男に命を救われたお礼に、男の婚約者である葛の葉姫に化け妻となります。子も出来、幸せに暮らしていたところ、本物が現れ、キツネはいとしい夫や子と別れる決心をします。子別れの場面で、真偽2役の葛の葉姫を演じる役者が、障子に左手で、鏡文字で、最後には筆を口にくわえてこの歌を書き連ねることで、キツネの妖力が取り戻されていくのを表現するのが最大の見どころです。

拡大JR北信太駅に飾ってある「子別れ」の場面の絵
 ここに出てくる子は陰陽師として名高い、のちの安倍晴明とされています。「信田の森」は今の大阪府和泉市の北信太駅周辺に位置します。「信太の森のふるさと館」の方によると、ふもとには熊野詣でに向かう人でにぎわう熊野古道が走り、清少納言が枕草子で「もりは信太の森」というほどにあこがれの場所だったとのこと。「葛の葉」は1734(享保19)年、大坂の竹本座で初演された人形浄瑠璃が元になっており、翌年には京都で歌舞伎としても披露されたとのことですから、当時としては大ヒットでしょう。
拡大平成中村座で上演された「葛の葉」のポスター。葛の葉姫は中村扇雀
その人気からきつねと言えば「しのだ(信太)」が連想され(パンダと言えば上野、みたいなもの?)、油揚げ→きつね→しのだという言葉遊びが生まれたのでしょうか。

 さて、稲荷、しのだと由来を探りましたが、今の私たちの食生活になじみ深い、油揚げの呼び方がもう一つありますよね。「きつね」です。これはどういう成り立ちがあるのでしょう。

 きつねとくればうどんです。

拡大マツバヤにて。こちらのお店の場合、お揚げ2枚だとしのだ、1枚ならきつね
 きつねうどんの発祥の地は、大阪・船場の「松葉屋」。のれんを引き継いだ「うさみ亭マツバヤ」のご主人によると、松屋町のすし屋「たこ竹」のうどん部門で働いていた初代の宇佐見要太郎さんが、1893(明治26)年に独立し、松葉屋を開きます。当初は甘く煮た油揚げをうどんと別々に出していましたが、うどんに入れて食べるお客さんがいたことから、乗せて出すようになったそう。当初は「こんこんうどん」と呼ばれていましたが、いつしか「きつねうどん」が定着し、今ではどこのうどん屋さんでも定番の品となりました。

拡大棒状のいなりずしを切り売りしている。幕末の史料「近世商売尽狂歌合」から
 一方、きつねうどんに入るような甘く煮たお揚げに、ご飯を詰めたいなりずし。「たべもの語源辞典」(清水桂一編)によると、こちらは1833~37(天保4~8)年にかけて飢饉(ききん)があったころ、名古屋で考えられたそうです。一方、江戸後期の風俗を江戸と京都・大坂で比較し、読み物としても大変面白い「守貞謾稿」(喜田川守貞著)には、天保の末には売り巡られていたが、天保以前にも両国などの田舎人を客とする鮨店には前からあったとしています。値段は豆腐1丁が14~15文なのに対し、いなりずしは5文。コハダやマグロの握りが8文なのをみると、思ったより安くはないなという印象です。江戸後期には各所の辻でいなりずしを売る商人が現れたとのことで、人気のほどがうかがえます。

◇本当に食べるの?

 油揚げ好きが高じて、油揚げ入りの料理を食べ歩いてきましたが、どうして油揚げをいなりやきつねと呼ぶのかと聞くと、お店の人からは異口同音に「キツネの好物だから」という返事が。本当にそうなのでしょうか。やっぱり直接聞いてみるしかないでしょうとのことで、キツネがいる京都市動物園に行くことにしました。こちらにはヒメキチ(オス)とコン(メス)という2匹のホンドキツネがいます。ヒメキチは姫路で、コンは京都で、子ギツネのころに親とはぐれていたところを保護されました。タヌキは雑食なので、人間の手で育てられても野に放てば再び自分で餌をとれるようになるのと違い、キツネは狩りをするため、親から離れるとその方法が学べず、その後は人間から餌をもらうことでしか生きられないとのこと。

拡大ヒメキチ
 私は野生のタヌキは見かけたことがありますが、ホンドギツネはありません。今でも京都の北山あたりにはすんでいるそうですが、数は減少しているそうです。動物園では、餌として主に馬肉と鶏の頭、それに果物を少しやっていますが、野生のキツネは主にネズミを捕っているとのこと。油揚げは好きでしょうか?「油のにおいがすれば食べるとは思いますが、やったことがないので……」と飼育員の方。「やってみたいんですけど……」と言いたかったのですが、動物たちの健康を真剣に考えている飼育員さんに何だか失礼な気がして、とうとう言えずじまい。読者の方、すみません……。
拡大コン

 実際に食べるところは確認できなかったものの、油揚げは人間の加工品。本当に野生のキツネの好物だとは考えにくい気がします。ではなぜ油揚げなのでしょうか。これは、油揚げの元になる豆腐が関係していそうです。奈良時代に中国から入ってきた豆腐は、江戸後期の頃までは、獣肉食に代わる貴重なたんぱく源を必要とした僧侶や、ぜいたくな暮らしができる貴族などの特権階級の食べ物でした。「日本の食文化」(芳賀登、石川寛子監修)によると、福島の会津坂下町の町史には、1643(寛永20)年に豆腐屋に対して、大豆は五穀の一つであり、豆腐はその大豆を消費するので商売無用との禁令が出されたとあります。なかなか口にすることの出来ない豆腐は特別なハレの日の食べ物であり、その豆腐を、これまた貴重な菜種油で揚げてつくる油揚げも同様に、冠婚葬祭やお正月に欠かせない食べ物でした。そんな大切な食べ物だからこそ、神様の使いであるキツネにお供えするようなったのが、年月を経て、キツネの好物だからお供えするという、本末の入れ替わった解釈に変わったのではないでしょうか。

 また「油鼠(あぶらねずみ)」という言葉があります。これは狂言の大曲「釣狐(つりぎつね)」に出てくる老狐が、わなであることを知りながらも心を奪われてしまう、油で揚げたネズミのこと。実際わなを仕掛けるのに手間ひまかけて揚げていたとは思えませんが、こちらも、キツネが油揚げを好むといういわれと密接なつながりがありそうです。

拡大お品書き。結構いいお値段です
◇「えびな」の真実

 最後にとけなかった謎をとくため、もう一度京都のうどん屋さん「萬屋」へ。ショウガと九条ネギと油揚げがたっぷり乗った「えびな」を頼みつつ、名前の由来を聞いてみました。すると「この九条ネギにお揚げの入ったうどんがお好きな常連さんがいらっしゃって、その方のお名前からつけたんです」。うーん、それは想定外でした。そうでしたか……。祇園で創業して「まだ35年(お店の方談)」というお店。これから100年、200年と続けば「えびな」はねぎとお揚げの入ったうどんの代名詞になるかも? そこまで見届けるのは難しそうですが、私も好きな油揚げがいつでも食べられることをお稲荷さんに感謝しつつ、末永く過ごしたいなと思いました。

(おわり)

(三原紀子)