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ことば談話室

形見――思い出させてくれる物なら

奈良岡 勉

 夏の甲子園が、今年も幕を開けた。第94回を迎えた全国高校野球選手権大会。各地方大会を勝ち抜いた49校が、頂点を目指して熱い戦いを繰り広げることだろう。

ポスター拡大今年の開幕を告げる夏の甲子園のポスター
 全国の高校球児が夢の舞台を目指した地方大会。

 私たち校閲記者は、激闘の記録や選手のエピソードなどの原稿のチェックに、いつも以上に慌しく追われることになる。

 そんなある日、原稿を校閲中に、同じ原稿を読んだ上司のデスクから問いかけがあった。

 「この『形見』って、ちょっと違和感ない?」

 東日本大震災で被災した選手を取り上げた原稿の中に出てきた言葉だった。

 ◇祖母が履いていたスパイク?

 「スパイクは津波で亡くなった祖母から贈られた形見」とある。選手はそのスパイクを履いて試合に臨んだ。写真説明にも「形見のスパイク」と書かれていた。

 「いや、私はすんなり読めました。『形見』としても特に問題はないと思いますが……」

 念のため、国語辞書で調べてみることにした。ことばの疑問を感じたら、真っ先に辞書をひくことだ。校閲席にはどの机にも「広辞苑」と「大辞林」が用意されている。

国語大辞典拡大小学館「日本国語大辞典」。語源説に「その人の形を見るということから」「ミカタ(身形)の逆語序で、身代り、身のカタの意」を挙げている
 とはいえ、私はここ最近、インターネットでウェブの国語辞書をひくことが多い。校閲作業中は常時、ノートパソコンでネットを立ち上げている。分厚い辞書をひくよりキーボードをたたいた方がはるかに早い。

 ネットの大辞泉には、

1 死んだ人や別れた人を思い出すよりどころとなるもの。残した品や遺品、また、遺児。「父の―の万年筆」

2 過去を思い出させるもの。記念の品。「旅の―とする」

 ネットの大辞林には、

1 死んだ人や別れた人を思い出す頼りとなる品。「母の―の着物」

2 過ぎ去ったことの思い出のよすがとなる物。「青春の―」「春の―」

とあった。

 ネット辞書でおおよその感触をつかんだ。狭義と広義がある。

 紙の広辞苑をひいてみる。

(1)過去の事の思い出される種となるもの。記念として残した品物(2)死んだ人または別れた人を思い出す種となる遺品や遺児。

 よく使われる「形見分け」と言えば、亡くなった人が所有していた物を分け与えることを指す。形見のイメージはこれだろう。「違和感を覚えた」というデスクは、亡くなった人が所有していた物かどうかにひっかかりを感じていたらしい。

 ◇「故人愛用の品」が一般的

 原稿に戻って読み返すと、選手は祖母と一緒にスポーツ店に行き、スパイクを買ってもらったという。スパイクは祖母が所有していたものではない。

 しかし、もっと解釈の広い使われ方もしている。思い出の物、記念の品。「旅の形見」「青春の形見」とも言う。それをもって私は「特に問題なし」とした。読む人によって言葉のとらえ方は違う。

 デスクも辞書を調べていた。あれこれ議論した結果、私の主張する「『形見』で問題なし」という結論に落ち着いた。議論といっても、時間にすれば5分もかかっていない。ほかに読まなければならない原稿が次々と印字されてプリンターから吐き出されてくるからだ。

 ところが――。

 別の原稿を校閲中に、プリンターから原稿の直しを伝える紙が出てきた。

 出稿部のデスクが「形見」を「思い出の道具」と書き換えてきた。写真説明も。

 「うーん」。私は直しの入ったその紙を持って、うなってしまった。

 原稿の中に直しが必要と思われる箇所があれば、校閲センターから出稿部へ「指摘」のファクスを送っている。だが、今回の場合は送ってはいない。

 「違和感を覚えた」という校閲デスクと同じように、出稿部デスクも同じことを感じ、表現を改善してきたのだ。

 「思い出の道具」。字数は増えたが、表現はより易しく、紛れもなくなった。

 念のため、朝日新聞の過去の記事のデータベースで「形見」を検索してみた。2600件以上もあった。「父の形見のベルト」「父の形見の尺八」「母の形見の鏡」「母の形見のネックレス」など。歌壇・俳壇に多く登場している。やはり、故人の愛用の品というニュアンスが強い。

 ◇遺せる何か、探してみても…

 仕事が一段落して、改めて考えた。

 「形見、か……」

ライター拡大使い捨てのライターなら山ほどあるのだが、形見にはちょっと……
 私の形見となる物は、なんだろう。もし形見として遺(のこ)し、子どもたちに分け与えるとすれば、いったい何があるだろう。思いつく物を挙げてみる。万年筆だろうか、腕時計だろうか、本だろうか。いや、そんなたいそうな物はなにもない。一つもない。

 愛用のライターは使い捨てだし、常用のバッグは地元のスーパーで安売りしていたものだ。

 物でなくてもいいじゃないか。「人生の教え」でも「心の支えとなりそうな思い出」でも。いや、やはりそんな立派なものはなにもない。一つもない。

 だいいち、私はまだこの先もずっと、長生きするのだから。

 夏の甲子園が盛り上がりを見せるころ、お盆がまた今年も巡ってくる。

 あなたの「形見」は何ですか?

(奈良岡勉)

  ※次回は23日に更新します。