メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

ことば談話室

「差別語」隠せば、差別は消える?

石橋 昌也

 「差別語」とされる言葉が原因で、世の中に出なくなってしまった小説や映画、歌があるのはご存じでしょうか。また、差別語とされるものを別の言葉に置き換えるということがされてきたものもあります。

 もちろん、公に出される出版物や作品などで差別語を無批判・無自覚に扱うことは、さらなる差別を助長したり、固定化したりする危険性があるので、使用する際には注意が必要です。だからといって、小説や映画の「文脈」を無視してまで書き換えたり置き換えたりすることが、差別の解消につながるのでしょうか。

 ●書き換えたり「禁止」したり

 少し前の話になりますが、年末恒例のNHK紅白歌合戦をご覧になりましたか?

 いつもよりはニュースの掲載面が少なくて静かなものの、大みそかも紙面の校閲作業をしていました。仕事場に置いてあるテレビのボリュームを抑えながら、紙面とにらめっこしていました。そんなわけで、出場すると知っていながらも見逃してしまった歌手がいました。美輪明宏さんです。

 美輪さんは紅白歌合戦は初出場、演目は往年の名歌、「ヨイトマケの唄」。演目が発表されたとき、ずいぶん驚いたものでした。この歌は、テレビやラジオが「土方」という言葉をやり玉に挙げて、「放送禁止歌」としていたものだったからです(「ヨイトマケの唄」については、「こちら人権報道局」のコラム「ヨイトマケ『放送禁止』はナンセンス」で詳しく取り上げていますので、ぜひご一読ください)。

本2冊拡大差別語をめぐる議論があった「破戒」と「ハックルベリー・フィンの冒険」
 2年前、米国の作家マーク・トウェインの名作「ハックルベリー・フィンの冒険」で、作中に出てくる「ニガー(nigger=黒人に対する侮蔑語)」を、中立的な「奴隷(slave)」という表現に置き換えた版が米国で出版されたことが話題になりました(朝日新聞2011年2月16日付朝刊)。

 国内では、被差別部落出身の青年を描いた島崎藤村の「破戒」が、一時、差別的な用語があるなどとして絶版にされたり、藤村本人による大幅な改訂版が出されたりしたこともあります。

 また、海外の歴史大作映画では、レプラ病(現在のハンセン病)の患者を迫害するシーンで、「レプラ」と呼ぶシーンをそのまま字幕翻訳せずに、わざわざ「病人」と置き換えたりしているそうです。

 たしかに、島崎藤村の「破戒」には、被差別部落に対する無知や偏見に満ちた箇所はあります。また、クライマックスで主人公である教師・瀬川丑松がその出自を知られてしまった際、藤村は丑松に生徒たちに出自を隠していたことを土下座して謝罪させますが、これは藤村自身の思想的限界が露呈したものだと言えます。

 しかし、被差別部落の現状を広く知らしめた「破戒」は、まぎれもない名作で、そのまま世にあるべきものです。現に、最近の文庫版「破戒」では、その藤村の限界や作中で表出する差別感について述べた解説を付して出版されています。ただ差別語を忌避するだけという消極的な態度から一歩すすんで、差別そのものに向き合って差別の解消に資する努力をしているものだと思います。

 「ハックルベリー・フィン」にも限界はあったでしょう。黒人を「ニガー(手元の文庫版では「黒ん坊」と訳出されています)」と差別した時代に多少なりともとらわれていたと思います。しかし、逃亡奴隷ジムを守り、助け出そうとする場面で、逃亡奴隷は厳しく罰するべきだという当時の常識とのはざまで悩んだ末、「よし、それじゃあ僕は地獄へ行こう」(村岡花子訳)と、世の中の「善」に背いてジムを助ける決断をしたハックの姿は、「ニガー」という言葉が一般的に使われていた時代に書かれたからこそ、より輝いてみえるのではないでしょうか。

 ●「言葉」が悪いだけではない

 テレビや出版に限らず新聞社も、差別語を、人を傷つける表現として使わないよう気を付けています。「朝日新聞社行動規範」には「取材・報道に当たっては人権に常に配慮します」とあり、心ない言葉や表現でいろんな人を傷つけないよう気を配っています。当然、校閲センターでも、細心の注意を払って日々の原稿に目を通しています。

 しかし、これまでの「ヨイトマケの唄」の「土方」のように、言葉だけをとらえて差別語として認定し、言い換えたり削除したりしてきたきらいはあります。1970年代に頻発した人権団体などによる抗議に、メディア全体が萎縮してしまったという側面もあります。

 差別は、差別語といった単語として表れるだけではありません。なんでもない表現方法にこそ人の差別観念が潜んでいるとも言えます。例えば、「○○のくせに」「あいつは○○だから」のように、「男」や「女」といった普通の言葉をこの文章に当てはめると、とたんに差別的表現になってしまいます。ただ差別語として認知されている言葉だけに気を使うのでは十分ではありません。

 重要なのは、ただ機械的に差別的だと反応するのではなく、「なぜ悪いのか」をじっくり考えること、差別語を規制して事足れりとするのではなく、差別を放置している社会を問い直すことです。

 朝日新聞社では、定期的に社員を対象にした人権や差別問題についての研修が開かれています。1月には、東京と大阪で全社員に参加を呼びかけた研修が開かれ、私と同僚が、それぞれ上記のような立場から講義しました。他にも部落解放同盟といった外部の方たちを招き、差別の現状や問題点などを話していただきました。非常に意義深いもので、これからも継続的に行っていくべきものです。

 ●もっと積極的に向き合おう

 「ヨイトマケの唄」に戻れば、歌の続きでヨイトマケの子どもは汚いとか貧しいといっていじめさげすむ場面が登場します。私たちメディアが、真になすべきなのは、ただ「土方」という言葉を隠すのではなく、「土方の子どもは汚い」「貧しい」ものといじめさげすむ社会をなくすことのはずです。

 実は、途中で紹介した「取材・報道に当たっては人権に常に配慮します」という「朝日新聞社行動規範」にすこしだけ不満があります。報道で「人を傷つけない」というのは大前提です。その上で、傷つけないよう気を付けるだけではなく、もっと積極的に朝日新聞が差別問題に正面から取り組むことを謳(うた)い、実行していくべきだと思います。そのためにも、朝日新聞の基本姿勢を示した「憲法」といえる「朝日新聞綱領」(1952年制定)も、差別に対する姿勢を示す項目を入れる「改憲」「加憲」をしてはどうかとひそかに思っています。

(石橋昌也)