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ことば談話室

鈍行――ほんとに<のろい>か乗ってみた

平井 一生

 【鈍】どん。広辞苑では、「切れ味が悪いこと。にぶいこと。のろいこと。」とある。通常「鈍」の字はポジティブな意味では使わない。

 われわれはスピード社会に生きている。しかし、ここで筆者は一言いいたくなる。子どものころから動作や理解が鈍く、小学生時代はよく怒られていた。周囲と同じことを手早くできないと小中学校ではつらいものがある。けれど、「のろいこと」というのは、そんなに悪いことなのか。

 「鈍」といえば、「鈍行」という言葉がある。死語になりつつある感もあるが、一定以上の世代にとっては懐かしい表現だろう。やはり広辞苑では、「(急行に対していう)普通列車の俗称」、となっている。目的地には早く着きたいのは当然だ。途中の停車駅は少ないほうがいいに決まっている。特急(特別急行)が重宝がられ、普通列車にマイナスイメージの俗称がつくのも理解はできる。実際、長距離の移動は特急が主流となり、時間がかかる鈍行列車は減っている。

 手元に筆者が生まれた1966(昭和41)年の時刻表がある。数多くの鈍行列車がひしめいている。圧巻なのは函館発釧路行きだ。函館を23時33分に出発、釧路到着は翌日の19時51分と所要約20時間というものだ。かつてはこんな列車があった。

 しかし、現在でも、あえてスピード社会にあらがうような鈍行列車がある。JR北海道・根室線の滝川から釧路まで、300キロを8時間かけてたどる。

 いったいどれだけ「のろい」のか、このたび実際に乗車し、「非日常」を楽しんでみた。

 ●「日本一」めざして北海道に

釧路拡大
 滝川駅1番線。たった1両だけのディーゼル車がエンジン音を響かせて発車を待っていた。「はやぶさ」や「こまち」といった愛称はついていない。ただの鈍行列車だ。この列車、「2429D」は「日本一の鈍行列車」として、鉄道ファンのなかでは有名な存在だ。滝川―釧路間308.4キロ、運行時間8時間2分、いずれも定期普通列車としては日本最長距離を走る最長運行時間の鈍行なのである。

 鈍行は普通列車の俗称と先に書いたが、「普通列車」という言葉も漠然としている。JR北海道釧路支社の阿部真也さん(30)によると、「特別急行券等の料金券が必要との表示が無いものを普通列車と考える」とのこと。ざっくりいえば、乗車券のみで乗ることが可能な列車、といえそうだ。

ぽっぽや拡大幾寅駅。吹雪の中でも駅舎は力強い
 9時37分、定刻に出発した。赤平(あかびら)、芦別(あしべつ)とかつての産炭地の駅にこまめにとまっていく。1時間ほどかかって富良野(ふらの)に着いた。増結のため、18分停車する。スキーシーズンだが、駅はひっそりとしている。11時6分出発。10分ほど走って、テレビドラマ「北の国から」の舞台となった布部(ぬのべ)に着いた。乗降客はいない。この方面、この前の列車は約4時間前の7時27分発帯広行き。この後はやはり約4時間後の15時25分発落合(おちあい)行きまで列車はこない。雪のなか、時間が止まっているようだ。

 出発して、山間部に入ってきた。見渡すかぎり人家がない。11時57分、高倉健主演の映画「鉄道員(ぽっぽや)」の舞台となった幾寅(いくとら)に到着した。北海道の駅名はおもしろい。アイヌ語の音に漢字を当てたものが多いので、変わった表記があったり、字面を見てもわけがわからないものがあったりする。この幾寅にしても、アイヌ語の「ユク・トラシ」(鹿の上るところ)に由来するそうで、もちろん、トラがいるわけではない。

 ●シカの横断を待ち、秘境駅へ

峠越え拡大落合駅。今でも広い構内は往時の名残がある
 12時08分、落合着。ここで、滝川行き上り列車とすれ違いのため、10分ほど停車する。ホームに出て背伸びをしてみる。いつもとは気分が違う。見えるのは、雪と空だけだ。かつて蒸気機関車時代、石狩と十勝を分ける狩勝峠を越えるための基地だった駅だ。ひっそりとしているが構内は広い。上り列車が汽笛を鳴らして遠ざかっていった。

 12時21分出発、峠越えに臨む。エンジン音が大きくなった。81(昭和56)年に石勝線が開業するまでは滝川からここまで走ってきた区間は道東地方への主要ルートだった。ピークを過ぎると、エンジン音は静かになってきた。ようやく人家が見えてきて、12時46分、峠ふもとの新得(しんとく)に到着した。

信号所拡大原野の真ん中にある常豊信号場
 ほとんどの客が降りてしまった。ここから先は特急が走っているので、遠距離の客はそっちを利用する。約4時間が経過、所要時間でほぼ中間地点の芽室(めむろ)に到着した。時間の感覚が鈍ったせいか、さほど時間がたった気はしない。ただ、車内に差し込む陽光は気持ちよく、しばしまどろむうちに音楽ユニット「DREAMS COME TRUE」の吉田美和の故郷である池田(いけだ)を過ぎていた。

 しばらく行くと「常豊」(つねとよ)に停車した。カギかっこをつけたのには理由がある。写真を見ていただきたいが、一見、駅にしかみえないと思う。ここは常豊信号場というところで、原則として旅客の乗降を取り扱わない停車場だ。列車の行き違い、待ち合わせを行うために使用される。北海道にはこのような信号場が多い。

よけてね拡大上厚内―厚内間で遭遇した
 上厚内(かみあつない)を出てまもなく、急に列車がとまった。前方を見ると、線路の中にシカがいる。北海道の列車に乗っていると頻繁にこのような光景に出くわす。シカがよけてくれるまで列車は徐行する。旅行客は「かわいい」ですまされるが、接触・衝突事故は運行に重大な影響を及ぼす。

 厚内(あつない)を過ぎると太平洋に出た。いつの間にか夕暮れとなり、またしても何もないところに列車はとまった。駅名標は「古瀬」(ふるせ)。鉄道ファンのなかでは有名な秘境駅だ。

秘境駅拡大古瀬駅に停車中。もともとは信号場として設置された
 「秘境駅」という言葉をご存じだろうか。この言葉は鉄道愛好家・牛山隆信さんの「秘境駅へ行こう!」(小学館文庫)によって有名になった。本来、駅というものは交通の要衝であり、「秘境」とは相反するもののはず。ひっそりとたたずみ、駅に通じる道も悪く、鉄道以外でたどり着くのが困難なのが秘境駅とされる。ここで、特急との行き違いのため10分ほど停車する。ホームに降りてみた。ホームといっても板をしいただけのもの。周囲は樹木が茂っており、なにもない。しばらくすると札幌行きの特急列車が通り過ぎていき、また静寂が戻った。

 ●スピード社会の失ったものが見えた

どや顔拡大雪の日、列車の後方は巻き上げられた雪が付着してこのようになる。でも「いい表情だなあ」と思うのは筆者だけか
 とっぷりと日が暮れた。つくづく1日は長いなと思う。学校帰りの高校生らが乗り降りして、やっとにぎやかになった。16時53分、白糠(しらぬか)発。ここからはかつて白糠線というローカル線が北へ分岐していた。終着駅は北進(ほくしん)。「鉄路を北へ」の思いが込められたという。80年に施行された国鉄再建法により、特定地方交通線廃止の第1号として83年に時刻表から消えた。

 北海道は広い構内をもつ駅が多い。かつては石炭輸送などのために多くの機関車がひしめき、鉄道員が働いていたのだろう。車社会となり、少子化とも相まって、利用客が減少。多くの路線が廃止になった。線路がはがされた跡が残る構内が痛々しい。各駅停車で旅していると、そのようなことも見えてくる。ゴールまもなくの大楽毛(おたのしけ)着。ここで最後の小休止。「オタノシケ」はアイヌ語の「オタ・ノシケ」(砂浜の中央)に由来するそうだ。

 定刻17時39分、釧路着。旅はあっけなく終わった。長時間乗った気がしなかった。改札口で乗車証明書をいただいた。乗車証明書は2010(平成22)年4月30日から配布が開始された。この日の筆者までで3164枚が完乗者の手に渡った。

乗車証明書拡大約8時間、300キロの旅が終わった。これが完全乗車の証明書(上半分が表面、下半分が裏面)
 「鉄道ファンの口コミで自然に注目をあびるようになりました。これからも多くの人に愛される列車になったらいいと思っています」と阿部さん。

 種々の交通機関のスピードは確かにアップした。しかしわれわれは、それによって捻出できた時間をどのように使っているのか。便利にはなったはずなのに、ゆとりを実感できない。

 各駅停車では、景色がゆっくり流れていく。車窓からいろんなものが見えてくる。小休止の駅では、ホームに降りて背伸びをしてみる。雪は音を吸収するので、しばし静寂の時が訪れる。特急のようなリクライニングシートなんてない。背中と首も痛くなった。でも、今の時代に、これだけ時間をかける旅はそうできるものではない。運行区間全48駅の駅名が記載された証明書を眺めながら、そんなことを考えた。

(平井一生)