ことば談話室
(2013/03/21)
東京と東北がさらに近くなった。物理的な距離が短くなったわけではもちろんない。今月16日のJRのダイヤ改定によって、東北新幹線「はやぶさ」の最速列車で東北の北端に近い新青森駅と東京駅が3時間を切る2時間59分で結ばれたのだ。
青森へ向かう列車――。筆者は「夜汽車」という言葉を思い浮かべる。
「広辞苑」には「夜間運行する汽車。夜行列車」とある。じゃあ「夜行列車」とは何かというと、「夜間、運行する列車。夜汽車」。広辞苑の定義では、要はどちらも「夜走っている列車」ということだ。
ここでケチをつけたくなる。じゃあ、勤め人たちが大勢乗り込む夜8時ごろの大阪環状線や東海道線・東京発熱海行きも、夜汽車なのか。
鉄道を愛する「鉄ちゃん」ではない職場の同僚に「夜汽車とは」と問うてみたら、「夜、故郷に向けて長距離をゆっくり走る列車をイメージする」と答えてくれた。さらに、「雪国へ向かう」あるいは「雪国からやってくる」が加わった。「♪雪解け間近の北の空に向かい」(いい日旅立ち)といった状況などはまさに「夜汽車」のイメージだ。
過日、当欄で「鈍行」についての拙稿をお読みいただいたが、鈍行が「各駅にとまる普通列車」だといっても、ラッシュアワーの大阪環状線や東海道線・熱海発東京行き普通列車を「鈍行」と呼ぶのは違和感がある。単なる各駅停車ではないニュアンスが、その語には含まれている。
「夜汽車」もそうではないのか。今回も鉄分豊富な言葉探求の旅にお付き合いいただきたい。
●ブルトレ、全盛から衰退へ
夜行列車といえるものは、1889(明治22)年に新橋―神戸間を走ったのが元祖とされる。この年、東海道線が全通した。現在ほどの速度が出せるわけではなく、長距離列車は必然的に夜行となった。
筆者の手元に「旅と鉄道」(2012年3月号)がある。夜行列車を特集したこの号によると、75年には、約140本の夜行列車が走っている。
しかしその後は新幹線網の充実、飛行機や夜行バスに押され、利用率が低下した。夜間の要員問題、車両の老朽化もあり、次第に運行本数が減少。ここ数年は、立て続けにブルートレインの元祖ともいえた「あさかぜ」「さくら」「はやぶさ」などが廃止になり、13年3月現在、「ブルートレイン」は「あけぼの」「北斗星」の2本だけとなってしまった。くしくも「北へ向かう、北からやってくる」列車だけである。
かたや「あけぼの」は鉄道ファンのなかでは「絶滅危惧種」といわれる。国鉄時代から継続して走り続けている定期運行の寝台特急列車は他にはない。「上野発の夜行列車」で「雪の中の青森駅」に到着するのも、この1本だけになってしまった。
●絶滅危惧種に乗り込んだ
今月初め、青森発上野行きの「あけぼの」号に乗った。上り寝台特急「あけぼの」は東北新幹線のルートとは異なり、青森駅から奥羽線、羽越線、信越線、上越線、高崎線、東北線経由で上野を目指す。
個室寝台はあるものの、食堂車とロビーカーはなく、開放式B寝台が並ぶ「国鉄時代の夜汽車」の雰囲気が残る貴重な列車だ。
青森駅での乗車前、改めて、昔からある跨線橋(こせんきょう)から列車を眺めた。初めて来たのは高校1年の春休み。長いプラットホームの向こうには巨大な青函連絡船が見えた。今、背景には青函連絡船の姿はなく、青森ベイブリッジが見える。「あけぼの」だけが変わらず、当時の姿のまま、出発の時を待っている。
午後6時22分、遠くに汽笛が聞こえると、かすかな衝撃があり、列車は動き出した。
上野着は翌朝6時58分。所要12時間36分。新青森からほぼ同じ時刻に出発する「はやて40号」に乗れば、当日午後10時には上野に着く。青森空港から羽田までの空路なら、所要わずか1時間20分だ。我ながら物好きだと思う。
秋田を過ぎると車掌の「おやすみ放送」があった。「時間も遅くなってまいりましたので、放送によりますご案内はいったん中断させていただきます。放送再開は明日の朝、大宮到着20分前からとさせていただきます」。翌朝午前6前ごろまで車内放送はなくなる。
いよいよ「夜」がやって来た。
=次回に続く
(平井一生)