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ことば談話室

和製自動車用語、輸出大国になっても消えず

菅野 尚

 日本も交渉に参加することになった環太平洋経済連携協定(TPP)。加盟が実現すれば、国内の自動車メーカーは輸出に関税が原則かからなくなることで、売り上げアップの皮算用をする。ハイブリッド車や電気自動車など日本が世界をリードする技術も多いが、国内での車のパーツの名称をみると、明治時代に初めて輸入されてから独自の発達をとげている。

 車好きの方々にとっては、海外で車に乗ってみたいという人も多いだろう。海外でレンタカーを借りてドライブを楽しもうとする時、日本で何げなく使うパーツの名称がカタカナで、てっきり英語から借用されたものだと思って使うと、現地の人には通じなくて、けげんそうな顔をされることがある。

 「エンジン」や「ラジエーター」などはそのまま英語から転用されているのに対し、「ハンドル」(英語ではステアリングホイール)や「ウインカー」(ターンシグナル、インディケーター)、「クラクション」(ホーン)などは日本でつくられた和製用語で、現地では通じない。こういった言葉はいつごろから使われ始めたのだろうか。

 ●「ハンドル」は明治期に登場

レクサス拡大自動車の一大市場となった中国の上海モーターショーに出展されたトヨタ「レクサス」。自動車渡来から1世紀を経た日本は今や輸出大国だ=4月21日、南日慶子撮影
 日本に最初に渡来した車はフランス製といわれる。ガソリンエンジンを搭載した車がフランスで市販された8年後の1898(明治31)年のことだ。その年の1月11日付の朝日新聞(東京)には「自動車初輸入 (略)仏国において馬車の代わりに発明されしトモビルと称する石油の発動にて自由自在に運転する自動車一両(略)その最高速力一時間三十キロメートル」とある。

 初期の車の写真を見ると、ハンドルは自転車のようなT字形や棒状のものが多い。「メルセデス」の名称でしられるドイツのダイムラー社が1900年ごろに発売した車には、丸型のステアリングホイール、トップギアが直結の変速機などが採用され、これによって近代的な車の形態が確立されたという。

 日本でのガソリン車の生産は1907(明治40)年に東京自動車製作所が始めたとされる。欧米からの技術輸入に頼らず、日本独自に改良を進めていった例も多い。東京・芝自動車製作所の技師芳賀五郎は「車輛(しゃりょう)用ハンドル・ホイール」の名称で1908(明治41)年に特許を取るなど、中小メーカーが工夫を凝らしていった様子がうかがえる。

 新聞の紙面にもハンドルの言葉が登場する。1932(昭和7)年4月14日付の朝日新聞(東京)は、オランダ副領事の運転する車が起こした事故記事を掲載した。被害者は重傷だったが、副領事は「自分が右手にハンドルを切らなければ轢死(れきし)しているであろう」「貴国の道路が狭いから自分に責任はない」などと強弁していると、あきれぎみに報じた。

 朝日新聞によると、この年の警視庁管内の交通事故死者数は441人と前年から120人増加。「大東京に交通事故のない日はない。特に子を持つ親の不安は一日として去らぬ。死者数は満州事変の総死者数より多いのである。交通乱調子時代を放置してよいのか」と紙面で警鐘を鳴らしている。

 ●「クラクション」は英国の商標から

 見通しの悪い場所で相手に自分の存在を知らせるために鳴らすのがクラクション。道路交通法では、第54条に「警音器の使用等」と定めるだけでクラクションという言葉は見当たらない。

 昭和初期の道路は歩行者、自転車、路面電車、自動車が入り交じって通行していた。車の数が増えるにつれて交通事情が悪化し、車の運転手や路面電車がむやみに警笛などを鳴らしたのか、街中での騒音が激しくなったようだ。

 朝日新聞は1934(昭和9)年7月から、警視庁管内で「自動車の警笛(クラックション=原文まま)取り付け禁止が実施される」と報じた。代わりに使われたのは手押しラッパ。1年後の紙面では「あの気魂(けたたま)しい響きを発して、行人の気持ちをかき乱した自動車のクラクション(電気警笛)が禁止され、穏やかな手押ラッパのブーブーを聞くようになってから丁度一年」と振り返り、交通事故も減ったと好意的に報じている。

 クラクションの名称は何に由来するのか。現在でもサイレンなどを作っているイギリスのクラクソン・シグナルズ社の商標名(klaxon)が、自動車が輸入された当時になまって伝わり、そのまま使われているという説が有力そうだ。筆者はアメリカでは通じなかったが、ヨーロッパ各国ではひょっとしたら通じるかもしれない。

 ●外国語っぽい専門語、スポーツ界でも

 自動車で日本独自といえば、左側通行もそうだ。

 交通規則で自動車大国のアメリカなどと違うルールを採用した。イギリスなどを除くヨーロッパやアメリカは右側通行だが、警視庁は1900(明治33)年に道路取締規則を制定。「警視庁史 明治編」によると「左側通行を採り入れて、交通規則に画期的な新機軸を打だしたのであった」とし、「特別な理由や研究に基づいたものではない。古来武士は左に大小を差していたため、右側を通ると刀の小尻が触れあうし(略)自然と左側を通る習慣がついていたという説があり、何となく左側通行がよいと考えたに過ぎなかった」と説明している。

 ただ日本の軍隊も右側通行だったことから、なかなか周知されず翌年に訓令を出すなど苦労した様子もうかがえる。

 車の世界での和製語をみてきたが、外国語と同じように思える和製の専門用語は車関連に限らずスポーツ界にも多い。

 野球でいうとナイターは、正式にはナイトゲーム。でもこのナイターはアメリカに逆輸出され、通じる場合もあることから一部の英和辞典に採用されているそうだ。四球のフォアボールは「ベース・オン・ボールズ」で、メジャーリーグ公式サイトに「BB」と表記される。

 和製語には、なるほどよく考えたなとうならせるものもあれば、外国語からそのまま借用すればよかったのにと思うものもある。

 日本発の技術で独自に改良を進め、今では世界で多くの人が楽しみ広く通用するようになったカラオケのように、日本発の技術をあらわす和製語やルールが、もっと世界に広まってもいい。

(菅野尚)