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ことば談話室

夏隣り、色彩のことばに耳をすます

池田 博之

 桜の花びらにうっすらと差された紅色(くれないいろ、べにいろ)と、アジサイの花束を染める藍色(あいいろ)との間(あわい)、春から夏へと渡る季節には、ちょうどその紅と藍を混ぜたように紫色の花々が咲いて目を楽しませてくれます。

 フジ、ラベンダー、アヤメ、カキツバタ、サクラソウ、センダン……。新緑のなかでいっそうまぶしく輝いて見えます。

 二藍(ふたあい)という色があります。紅花(べにばな)と藍とで染めた色。掛け合わせる二つの染料の割合によって、紫系の様々な色合いを示すということです。10世紀の「落窪物語」や「枕草子」にも出てくる染色法です。紅花と藍なのになぜ「二つの藍」というのでしょう。

◇幾世紀もの旅の果てに

拡大都心の庭園に咲くアヤメ
 それには、紅花が日本にたどりつくまでの長い旅について語らねばなりません。紅花の故郷は西アジアともアフリカともいわれます。古代エジプトのミイラを包んだ布から紅花の染料が見つかっています。やがてシルクロードをたどり紀元前に匈奴にもたらされました。その匈奴が前漢・武帝の時代に霍去病(かく・きょへい)の軍に攻められたとき、紅花の産地、今の中国甘粛省にある燕支山(臙脂山)が奪われてしまいました。当時、染料としてのほか、口紅などの化粧用や薬用として使われていたようです。

 紅花が日本に渡来したのは6世紀ごろといわれます。6世紀中ごろの奈良・藤ノ木古墳の石棺内の遺物から紅花の花粉が見つかっています。日本では「呉藍(くれあい)」(呉から渡ってきた藍)と呼ばれるようになり、転じて「くれない(紅)」となったということです。魏・呉・蜀三国時代の呉の国があったのは3世紀なので、朝鮮半島を経由してきたとも思いますが、「呉」は漠然と中国から渡ってきたことを指し、「藍」は中国では代表的な染料であることから染料一般も指したようです。

 呉竹(くれたけ)、呉織(くれはとり=渡来した織工)、呉楽(くれがく=伎楽〈ぎがく〉、最初期の渡来芸能)も同じ成り立ちの言葉だということです。もっとも、2007年に奈良の纒向(まきむく)遺跡の3世紀中ごろの溝から紅花の花粉が大量に出土したことからして、実際の呉の国との繫(つな)がりにも想像がふくらみます。

 紅花の異名は「末摘花(すえつむはな)」。黄赤色の頭花を摘み取って染料用としたからといいます。「源氏物語」の第6帖(じょう)の巻名になっていて、なかに出てくる姫君の鼻先は赤い色をしています。

◇小さな虫が地球を染める

 平安時代の薬物辞典「本草和名(ほんぞうわみょう)」や漢和辞書「倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)」で、紅花を「燕支」や「臙脂」とも表しているのは、中国・西域の産地の記憶が脈々と受け継がれてきたためでしょうか。

 その記憶はさらに臙脂色(えんじいろ)として現代まで続いています。色を言葉で的確に表すのはむずかしいと思いますが、辞書では臙脂色は「黒みのある濃い紅色。臙脂で染められたもので、近世以後の染色に用いられている」(日本国語大辞典)とあります。

 この「近世以後」に広く使われた赤色系の染料が、植物に寄生するカイガラムシ(貝殻虫)という昆虫の分泌物から抽出された染料でした。別名エンジムシ(臙脂虫)。この虫の仲間から取れる染料は、世界的に古くから使われてきたもので、西洋では「ケルメス」「カルミン」、中南米では「コチニール」と呼ばれました。ケルメスは英語で深紅を意味する「クリムゾン」や「カーマイン」の語源になっているとされます。

 古来、日本では赤系の色は、丹(に、赤い色の土)や弁柄(べんがら、鉱物系顔料)、蘇芳(すおう)や茜(あかね)、紅花などの植物、貝殻虫を材料にして染めてきました。明治になって人造染料が入ってきて染色のありようが一新されました。世界で初めて人工的に作られた合成染料は「モーブ(mauve)」で、1856年に英国の化学者ウィリアム・ヘンリー・パーキンが偶然発見しました。それから150年ほどが経ちました。長い染色の歴史からすればほんの短い時間です。「モーブ」は藤色。

 二つの藍はハーモニーを奏でるようにして一つの色に染まります。

 ここで藤咲く景色に溶け込んで調和する二つの色の重なりも見てみましょう。

 紫式部が「源氏物語」を書いたのはおよそ千年前。その第24帖「胡蝶」。ところは光源氏の住む六条院。ときは「三月の二十日あまりのころ」といいますから、今の暦で言うと5月初めごろでしょうか。ほかでは盛りを過ぎた桜もなぜかここでは今を盛りとほほ笑んで、廊に沿って咲く藤の紫も色濃く、池の水に映る山吹が岸からこぼれるように咲いています。

拡大フジ=いずれも東京都港区の旧芝離宮恩賜庭園
 この邸に住む秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)主催の法会。庭の池に浮かぶ船に乗っているのは鳥の装束をした童女4人、蝶の衣装をつけた童女4人。それぞれに持つ銀と金の花瓶に桜と山吹の花枝が挿されています。このような演出に主催者から鳥の童女へお礼に贈られたのは桜襲(がさね)の細長(ほそなが、少女期に着る服)、蝶の童女には山吹襲の細長がプレゼントされました。また、源氏の妻・紫の上から中宮へと歌を渡す使者をつとめた夕霧(源氏の長男)には藤襲の細長が贈られています。

 襲(かさね)とは衣服の表地と裏地の配色のこと。桜襲の色目は、表は白、裏は紅花。山吹襲は、表は薄朽葉、裏は黄。藤襲は、表は薄紫、裏は青。色の組み合わせにはいくつかの説があります。季節を映す鮮やかな色が目に見えるようです。

◇中世のグラデーション

 濃淡二色の色合いも大事にしました。平敦盛最期の場面。敦盛は匂縅(においおどし、縅は鎧〈よろい〉のこと)を付けています。匂縅とは鎧の札(さね)を縅す(=つづること)糸を濃い色からだんだんに薄い色にして縅したもの。今のカタカナ語でいうとグラデーションでしょうか。

 源氏物語から200年ほど後に成立した平家物語。時代は平安の貴族社会から鎌倉の武家の世の中へと移っていきます。この春に新装なった歌舞伎座こけら落としの演目「熊谷陣屋」は、この場面に題材をとって歌舞伎や文楽用にアレンジされたものでした。一ノ谷の戦いで熊谷直実に討たれる敦盛のいでたちはきらびやか。「練貫(ねりぬき)に鶴の模様を刺繍した直垂(ひたたれ)に萌黄匂(もえぎにおい)の鎧を着て」「黄覆輪(きんぷくりん=ふちに金めっき)のくらを置いた連銭葦毛(れんぜんあしげ=葦毛に灰白色のまだら模様)の馬」にまたがっています。

 二人の名にちなむアツモリソウ、クマガイソウは、今頃に紫色の花を咲かせます。

 このようにして、風薫る月に、色彩の触れ合う音を聞いてみました。

(池田博之)