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ことば談話室

舞うバトン 夏の大舞台、間近

平井 一生


 「バトンタッチ」という表現がある。「後任に引き継ぐ」という状況で使われるが、最近強く印象に残ったのは元AKB48・篠田麻里子のブログに掲載されたものだ。

 「次の世代にバトンタッチしたいと思います」。もともとはAKB48劇場で4月に開催された「篠田麻里子生誕祭」でファン向けに書かれたものだが、27歳になったばかりの人間から「次の世代」という言葉が出てくると、47歳になったばかりの中年男子としては複雑なものがある。当方のイメージとしては女性誌「MORE」の専属モデルとしての篠田だったが、当時のAKBのなかでは最年長であり、アイドルとしては「バトンタッチ」の年齢なのであろう。と、ここまで書いたが、今回はAKBの話ではない。

 「バトン」という言葉で、まず思い起こすのは陸上競技だろうか。元来「棒」という意味で、オーケストラの指揮者が使うタクトも英語ではバトンという。マーチングバンドの使う指揮杖やパレードなどで見かけるバトントワラーが持つのも、みなBATON。
 さて、バトントワラー。「パレードの先頭でなにか棒みたいなものを、くるくる回している人ね」というのが一般の感覚ではないだろうか。ほとんどの方は、大規模なイベント等で目にしているかと思われる。パレードの華ではあるが、それゆえ華以上の見方はしていないだろう。もっとも、あの「くるくる回している棒」を実際に持ってみて、くるくる回したことのある方はどのくらいいるだろうか。さらに「くるくる回す」ことが「バトントワリング」という一つのスポーツ競技種目となっていることをご存じの方は。

河津さん拡大「フリースタイル個人」グランプリの河津修一さん(水野啓子バトンスクール)。 「フリースタイル」はバトンテクニックと身体表現を総合した演技を競う種目だ。「バトンは、多様性があるスポーツだと思います。人の心に残っていけるような演技がしたいと思っています」
 バトントワリングの「トワリング」は「回転」を意味する。もともと軍楽隊の指揮者が指揮杖を振り回したのが原型とされ、20世紀初頭にアメリカで普及し、日本でも1960年代から学校を中心に広がりを見せた。先駆者となったのが、日本バトン協会副会長の高山アイコさん。「日本人のバトントワラー第1号」とされる。慶応義塾発行の機関誌「三田評論」(2013年5月号)、巻頭随筆「丘の上」に、当時の話を執筆されている。高山さんは慶応女子高時代、60年の夏の都市対抗野球、東京六大学の秋の早慶戦で初のバトントワリングによる応援を行った。高山さんによれば、「当時六大学では女子による応援など考えてもみなかった時代」(「三田評論」13年5月号から)。その後、野球応援には多数のバトントワラーが出場するようになり、全国に広まっていった。

 現在はバトントワリングの技術を極めようとするスポーツ競技としても盛んになってきている。日本バトン協会によると、登録選手数は約2万人。日本は世界でもトップクラスの実力を誇っている。1978年、アメリカ、カナダ、日本などの9カ国で世界バトントワリング連合(WBTF)が設立され、80年から世界選手権が始まった。89年の第10回大会で初めて国別総合優勝。そして92年の第13回大会から昨年フランスで行われた第31回大会まで、19年連続20回の国別総合優勝を飾っている。2005年からはバトントワリングの更なる普及・発展を目指して「WBTFインターナショナルカップ」が新設された。4年間は世界選手権と同会場で同時開催だったが、09年から隔年開催となり、今年はオランダで「第7回WBTFインターナショナルカップ」が開催される。

駒田さん拡大「トゥーバトン」グランプリの駒田圭佑さん(自由が丘バトンクラブ)。常に両手を使い、2本のバトンを交互、あるいは同時に投げ上げるなど、高度な技が要求される
 スポーツ競技のバトントワリングは正確なバトン操作と表現力を競う。大別すると、バトンを体の近くで回転させる「コンタクトマテリアル」、手で握らずに首や腕などで回転させる「ロール」、空中に投げ上げて、さまざまな体勢でキャッチする「エーリアル」という3種類の基本技術がある。一見すると軽そうに見えるバトンだが、実際持ってみるとずっしりとくる。みな同じ長さというわけではなく、腕の長さで決めるそうだ。
 思いのまま回転させ、空中に投げ上げ、姿勢を変え、演技曲の曲調にも合わせてキャッチするのがいかに難しいかは想像に難くない。

 2月、大分県別府市で、「第38回全日本バトントワリング選手権九州大会」が約1300人の選手が参加して開催された。ここで一人の男性トワラーが模範演技をした。

 稲垣正司さん(35)。バトンを6歳から始めた。世界選手権には通算18回出場。5年連続男子ジュニアチャンピオン、11年連続男子シニア部門世界チャンピオンに輝き、個人、ペア、団体の3種目で史上最多となる23個の金メダルを獲得した。06年にはエンターテインメントショー「ブラスト2:MIX」のツアーに参加、08年には「シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京」での公演「ZED」で、主要キャストのDjinn(ジン)を演じた。現在は指導者として後進の育成を続けている。男性のバトントワラーがいるというのは、バトンの取材を始めた当初、想像できなかった。

稲垣さん拡大選手の前で模範演技を行う稲垣正司さん。当然のことだが、3本のバトンを一回も落とすことなく操った。終日、声援や歓声が飛び交っていた体育館だったが、彼の演技中は静まりかえった
 筆者がバトンの取材を始めて10年ほどになるが、男性の選手も増えてきた。一部の種目は男女別となっているものの、多数の種目は男女同じ区分で戦うことになっている。ある意味平等ではあるのだが、筋力等で勝る男子は有利な点もあるだろう。男女別のカテゴリーにしなくてよいのだろうか、と思うこともある。

 「みなさんや大会を支えてくれている人たちへの感謝を忘れずに、大好きなバトンを続けていってください」。模範演技後のあいさつで最初に出てきた言葉は「周囲への感謝」だった。多くの金メダルを受賞したイケメンのバトントワラー。一見したところでは、いかにもモテそうな好青年といったところ。しかし、ひたすら3本のバトンを操るその姿はむしろ「修行僧」、「求道者」の雰囲気すらあった。

 筆者が一番聞きたかったことは「現役選手時代と、プロのパフォーマーになってからの違いはなにか」だった。

 「お金を払って来てくださるお客さんに、それに値するだけのパフォーマンスを連日続けなければなりません。そのプレッシャーは相当なものです」

 体調にはもちろん波がある。数日間だけの大会に合わせて調子をピークに持ってくればいいというわけにはいかない。すべての日程をベストコンディションで演じるのが理想だが、それは困難だ。「体調が悪いときは、その状況を客観的に受け入れる強さを持つことが大切だと思います」

中村さん拡大「ソロストラット」グランプリの中村麻美さん(長沢裕美子バトンスタジオ)。バトントワリングの伝統を語る種目といえようか。マーチのリズムに乗り、優雅な動きのなかにバトンの技術が要求される
 指導者としてはバトントワリングという競技がオリンピック種目となるのが夢だという。

 「もっともっと多くの人にバトンのことを知ってもらいたいです。しかしそのためには我々もしっかりとバトンのことを伝えていかねばなりません。夢につながる努力を続けていきます」

 3月には、大阪市中央体育館で「第38回全日本バトントワリング選手権」が開かれ、約1200人の選手が演技を行った。バトン日本一を決める全国大会である。この大会は世界大会「インターナショナルカップ」の日本代表選考も兼ねている。

 トップクラス選手の一人、中村麻美さん(26)。投げ上げたバトンが宙に舞う。その間に体を数回転させ、背中に回した手でバトンをつかむ。「正確なバトン操作と表現力を競う」と先に書いたが、そのためには持久力、集中力、敏捷性、柔軟性、リズム感、空間把握能力が要求されるという。演技を見て、合点がいった。中村さんには6年前にも、世界大会の直前に取材したことがある。バトンの演技を「短距離の全力疾走」と表現した。当時は大学3年生だった中村さん。現在は選手と同時に指導者としても後輩を育てている。

谷川さん拡大基本技のひとつ「ロール」。谷川咲さん(福岡大付属若葉高3年、ベルバトンクラブ)の演技。左手のバトンは握らずに、肘の動きを使う技で回転させている。 谷川さんは中3でペアジュニア部門日本代表、世界1位となった選手。今回は個人種目の「トゥーバトン」で世界の大舞台に挑む。「コーチや身の回りの人たちの声援が励みです」
 1本のバトンを操るだけでも相当なものだが、2本を操る「トゥーバトン」、3本の「スリーバトン」という種目もある。「ノードロップ」、演技中、バトンを1回も落とさないことだけでも大変だ。代表選手団コーチの一人は自身も第1回のインターナショナルカップ、トゥーバトンの部門で銅メダルを受賞した元選手。あえて2本のバトンを操る種目を選んだのは「自分への挑戦」という。主宰する教室に「インフィニティ」と名付けた。世界に挑む教え子に「バトンタッチ」してその名の通り、無限の可能性を託した。ちなみにバトントワリングの世界では17歳以上で「シニア」である。

 「雲はわき 光あふれる」この季節、8日からは夏の甲子園が開幕する。それと時をほぼ同じくして、オランダでは7日からインターナショナルカップが始まる。海を渡った約100人の日本のバトンの選手が大舞台に臨む。高校球児だけではなく、「熱い夏」を戦うバトントワラーのみんなにも、栄冠が輝きますように。

(平井一生)

立命館チーム拡大チームグランプリの立命館大学立命館バトンチーム。バトンのテクニックや身体表現だけでなく、集団としての美も要求される

日下部さん拡大「スリーバトン」の演技を行う日下部心さん(中村学園女子高1年、髙橋美樹子Baton Place)。同時に3本のバトンを途切れずに操り続ける技を競う。初の世界大会でこの種目に臨む。「ノードロップで完璧な演技をしたいです」
小林さん拡大「ソロトワール」の演技を行う小林咲絵さん(福岡雙葉高1年、髙橋美樹子Baton Place)。この種目は1本のバトンのみを使用する。エーリアル、ロール、コンタクトマテリアルという3つの内容を組み合わせ、正確なテクニックを競う。小林さんも初の世界大会。「インターに出ることができて本当に嬉しいです。大会では、満足できる演技をしたいです」