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ことば談話室

ガラとアナ ~明治の馬券~

 明治時代の朝日新聞で競馬の記事を探していたら、一枚の挿絵が目に付いた。大勢の人たちが集まって、なにやらにぎやかそうだ。タイトルは「競馬会のガラ場」。はて? 競馬場にはよく行くが、「ガラ場」とは聞いたことがない。

 これは、1906(明治39)年11月25日の紙面で、東京・池上(現在の大田区)に新しくできた競馬場の開催初日の様子を伝えている。

 記事に「ガラは内側に売り場がある」「ガラと番号との二種の賭け札」などとあるところをみると、「ガラ」はどうやら馬券の一種のようだ。つまり、「ガラ場」は馬券売り場ということか。

ikegami拡大「競馬会のガラ場」朝日新聞1906年11月25日付
 明治時代の馬券はどうなっていたのだろう。まず、日本の近代競馬の始まりをたどってみよう。

 1860年9月1日(万延元年7月16日)、横浜の海岸にほど近い、今の元町商店街あたりで、居留地の外国人たちが馬を走らせて競ったのが、日本における近代(西洋式)競馬の始まりとされる。英字紙「ジャパン・ウイークリー・メール」や、米国人の日記に記録が残っている。

 日米修好通商条約によって横浜が開港してから、まだ1年2カ月しかたっていない。当時の欧米人がいかに競馬好きだったのかがわかるというものだ。

benten拡大洲干弁天社はなくなったが、橋や通りに「弁天」の名が残る=横浜市中区
 その後も、同じく横浜の洲干(すかん、しゅうかん)弁天社の裏手(現・横浜市中区相生町付近、馬車道駅と関内駅の間)や、現在の中華街のあたりなどで、居留地の外国人たちが競馬をしたという。

 やがて、本格的な競馬場建設を求める声が上がる。幕府との交渉の結果、山手方面の高台・根岸(現・横浜市中区根岸台)につくられることになった。横浜競馬場(根岸競馬場)での初の開催は、1867年1月(慶応2年12月)のことだった。ここでの競馬は、以後、1942年まで75年にわたって続く。

 たいへん眺めの良い競馬場で、後に建てられたスタンドからは、三浦半島まで望むことができたという(松任谷由実「海を見ていた午後」の「ソーダ水の中を貨物船がとおる」レストランもすぐ近くだ)。現在は跡地が森林公園となり、一角には「馬の博物館」がある。

 このころの競馬の賭けで主流だったのは、ロッタリー(lottery、くじ)という方式だ。レースに出る馬が決まる前に、番号のついた札を売り出す。出走馬が出そろったところで抽選し、番号と馬を対応させる。たとえば1から10までの札が売られていても、出走馬が8頭なら、その時点で「外れ」になる札もあるわけだ。レースの結果、1着になった馬の札が「当たり」となる(2着までの場合もある)。当たり外れは偶然の要素が強く、まさに「くじ」である。

 抽選のとき、番号札を木の箱に入れてガラガラとかきまわしたので、日本人はこれを「ガラ」と呼び、馬券売り場は「ガラ場」になったのだ。他の方式も含めた馬券一般を「ガラ」と言うこともあったようだ。

 「日本国語大辞典」(小学館)にも「がら」は「競馬の札の一種」という説明で収録されているから、明治時代にはある程度知られた言葉だったのだろう。

 この時代も法律上は「賭博」は禁じられていた。ところが、20世紀に入ってまもなく、競馬ブーム、馬券ブームが到来する。きっかけは、日露戦争(1904~05年)である。大陸の戦地では、日本の軍馬が質・量ともに貧弱なのが問題となった。当時、陸上の戦争の機動力・輸送力の主体は馬だったが、国産馬はまったくの力不足を露呈したのだ。

 馬の改良のためには競馬をもっと盛んにしなければ、という声が強まる。実は、スピードを競う競走馬と、耐久力を必要とする軍馬では求められるものが違うのだが、競馬の収益を馬産地に回して軍馬の生産を盛んにしようというのが狙いで、財源確保が真の目的だった。それにはやはり馬券を売らないと、ということで、1905(明治38)年12月、政府は馬券の発売を黙認することを決める。日本競馬史上でいう「馬券黙許時代」の始まりである(そもそも「馬券」という言葉が使われるようになるのはこのころからで、それまでは「賭け札」などと呼ばれていた)。これを受けて、東京・池上を始めとして、各地に競馬場がつくられる。冒頭に挙げた記事はこのときの様子を伝えるものだ。

ana1拡大「対アナ方針」朝日新聞1907年5月22日付
 このころ、朝日新聞紙上に馬券にかかわるもう一つの言葉が登場する。それは「アナ」である。

 黙認された馬券発売であったが、「ガラ」方式は射幸性が強すぎるとして、1907年5月には禁止されてしまう。では、どんな馬券が売られていたのか。

 同年5月22日「対アナ方針」という記事は、「ガラはもちろん賭博だが、アナについては疑問の余地がある」「アナはその方法次第では賭博ではないという意見がある」「しばらく検挙は見合わせて成り行きを見ようということで、当局者の意見が一致した」といった内容だ。

ana2拡大「アナ恐るべし」朝日新聞1907年5月25日付
 「ガラ」に比べると「アナ」について書いたものは少ないのだが、「浮世絵 明治の競馬」(日高嘉継・横田洋一、小学館)に「『アナ』と呼ばれた馬券(パリ・ミューチュエル方式、現在、発売されている馬券と同じもの)」と書いてあるのを見つけた。

 パリミューチュエル(parimutuel)方式というのは、馬券の売上額から主催者側が一部を取り、残りを的中馬券の枚数に応じて配分するものだ。人気馬(たくさん馬券の売れている馬)が勝てば、1枚当たりの払い戻しは少なく、人気薄の馬(馬券の売れていない馬)が勝てば1枚当たりの払戻額は多くなる。「ガラ」と大きく違うのは、馬の能力などのデータを使い、レースの結果を自分で予想して買えること。今の中央競馬や地方競馬の馬券もこの方式だ。

negishi拡大横浜の根岸競馬場跡に残る観覧席。昭和初期に建てられた=横浜市中区
 日本でパリミューチュエル方式の馬券を主催者が売り出したのは、1888年秋、横浜の根岸競馬場が最初とされている。外国人主体の開催だったため、「治外法権」で馬券を売ることができた。しかし、当時の朝日新聞にはレースの結果だけが書かれており、馬券については触れていない。

 紙面を見ていくと、1907~08年の記事に「パリイミユチエル」「パリミユチエール」といった言葉がでてくる。「馬札」「賭札」や「馬券場」に「パリミユーチユエル」などとルビを振ったものもある。池上競馬の記事で「ガラと番号との二種の賭け札」とあるうちの「番号」もこれを指したものだろうか。

 では、なぜ「アナ」というのか。「日本競馬史 巻二」(日本中央競馬会)の中に、ようやく、ひとつのヒントを見つけた。

 1907年5月18日の「司法次官より馬政長官宛回答」という文書に、次のようなくだりがある。
 ・何人と雖(いえど)も競馬会において俗称「がら」の方法により現に金銭を賭する者はすべてこれを検挙す
 ・馬匹の性質または能力につき特別の知識を有する者専ら自己の鑑識を確保するため俗称「穴」の方法により金銭を賭する場合は事情によりこれを検挙せず

 つまり「アナ」とは「穴」のようなのである。

 しかし、なぜパリミューチュエル方式の馬券を「穴」というのかは、調べがつかなかった。

 「ガラ」が抽選のときの音から来ていることから考えれば、馬券売り場の窓口で、穴のようなところに手を突っ込んで、現金と馬券のやりとりをするからだろうか(現在でも馬券売り場は俗に「穴場」と呼ばれる)。残念ながら、当時の売り場がどんな形態だったのかはわからなかった。

 「日本のギャンブル」(紀田順一郎、中公文庫)は、「(アナは)現在の『単穴』『連穴』を意味するものであろう」と書いている。思わぬ高配当が飛び出すから「穴」と呼んだということだろうか。確かに、「穴」には、元々「人に知られていない所や物事。人の知らない重要な点」という意味があり、江戸時代の用例もある(「日本国語大辞典」)。

bahyou拡大「馬券染は廃(すた)つたから此度(このたび)は模様をかへて馬票染として売出さう」朝日新聞1909年3月7日付
 さて、馬券発売が人気を呼んで、新設の競馬場は大にぎわいとなった。ところが、これに味を占めて各地に競馬場が乱立する。政府は、当初、競馬場を少数に限定するつもりだったが、いったん火がついたブームはコントロールができないまま過熱する。着順の判定を巡って観客が騒ぎを起こしたり、馬券発売に際して不正が疑われたりと、弊害が目に余るようになっていく。1908年10月、馬券は禁止され、黙許時代は実質約2年で幕を閉じることになる。

 収入の道を断たれて窮地に陥った競馬界は、馬券復活を求める。賭博的な「馬券」ではなく、いろいろと条件をつけた娯楽的な「馬票(ばひょう)」に名前を変えるという涙ぐましいアイデアまで出して、1909年3月には法案が衆議院を通過するところまで行くのだが、政府や貴族院の反対で、結局不成立に終わる。

 馬券が再び売られるようになったのは、1923(大正12)年秋のことだ。軍馬の改良のためにはやはり馬券による収益が必要という意見が通り、当たったときの払戻金に上限を設けるなどして、競馬法がようやく成立する。このとき、馬券は現在と同じく「勝馬投票券(かちうまとうひょうけん)」が正式名称となった。

(松沢明広)

 ※文中に挙げたもの以外に、下記の文献を参考にしました。
 「文明開化に馬券は舞う――日本競馬の誕生――」(立川健治、世織書房)
 「明治馬券始末」(大江志乃夫、紀伊国屋書店)
 「文明開化うま物語――根岸競馬と居留外国人」(早坂昇治、有隣堂)
 「根岸の森の物語」(馬の博物館編、神奈川新聞社)

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