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ことば談話室

「ハンソで着よう」…頑張ってことば覚えてます

 我が家には4歳6カ月になる息子がいます。仕事柄、子どもが言葉を覚えていく様子は興味深く、日記をつけたりしながらできるだけ記録をとどめておこうとしています。実は、いつかこういう場でネタにできたら、という下心もあったりして……。

拡大我が家の「台の上」
 最近はひらがな・カタカナはすでに難なく読めるようになり、大好きな電車の行き先表示を中心に、漢字の読みを尋ねてくるようになりました。西明石、新三田、大阪など。ほかの場所で漢字を見つけてもいちいち聞いてくるわけではないので、やはり興味のあることは違うのだと感心してしまいます。

 今回、そんな息子の言葉をテーマにして書こうと決めたものの、いざとなると、もうそれなりに話せるようになっていて面白みもなく、書く方についてもこれといった特色もなく、焦りを感じていたある日のことでした。

 息子が台所でお手伝いをしようとして「『台の上』持ってくる!」と言って急いで取りに行ったのです。

 これだ!と内心ほくそえんでしまいました。我が家では「台の上」という呼び方はもうかなり以前からのことで、ほかの言い間違いの類がなくなっていく中で、これだけは(かわいいのであえて訂正しないこともあり)いまだに残っているのでした。見てのとおり、「台の上」というのは「台」のこと。特別なものではなくて、ただの踏み台(に使っているお風呂用の椅子)です。「台の上に乗って手を洗おう」などと言っていたら、「台」の上ではなくて、「台の上」で一語だと思ってしまったようです。ほかのものに乗る場合、「電車に乗る」「自転車に乗る」「エレベーターに乗る」など、「の上」などを付けないため、「に」の前までをひとつの言葉と考えたのでしょう。 ほかにもあったはず、と日記をひっくりかえしてみたら、やっぱりありました。主に2歳ごろのことでした。

 「『ハンソ』着る」

 ハンソ、というのは半袖の服のこと。半袖にしようか、長袖にしようか、などと言っているとこう言われました。半袖のシャツを指さして「ハンソ!」と言っていたこともありました。

 どうやら「はんそで」を「はんそ」に助詞の「で」がついたものと理解してしまったようです。「半袖着よう」などと私が言ったものを、「電車で行こう」「あっちで見よう」などの言い方から類推して「はんそ・で・着よう」と解釈したのかな? などと思うと、小さいなりに結構考えているのかもとほほえましくもあります。ただ、面白いことに、長袖については「ナガソ」とは言いませんでした。

 似たようなものでは「お買い物」のことを「おかいものも」と言っていました。これは「ハンソ」の逆で、私が「お買い物も行かなくちゃ」などと言っていたのを「おかいものも」で一語だと思ってしまったようです。明らかにそれだけが目当てで行くのに「お買いものも行く」と言ったり、私が出掛けようとするのを見て「お買いものも?」と尋ねたりしていました。勢い余って「おかいものもの」になったこともありました。これはあっという間に正しく言えるようになりました。

 こんな勘違い、うちの息子だけ?と思ったら、めいも「血」のことを「ちが」と思っていたそうです。「ちがが出た」などと言っていたらしいです。これも、助詞の「が」も合わせて一語だと思ってしまった例です。1音節の単語は安定が悪いので、「血が出た」というのを「血・が・出た」ではなくて「ちが・出た」という2音節の単語の組み合わせだと思ったものとみられます。実はこの「ちが」で一語と考えてしまう子どもの誤りは、調べてみると、本で取り上げられたりするほど、よくある例であることがわかりました。

 赤ちゃんは非常に早い時期からそれ自体で意味を持つ「単語」と、独立した意味を持たない「機能語」の区別ができることがわかっているそうです。それには助詞は1音節で、ほとんどの単語は2音節以上、という特徴や、助詞は単語のあとに現れるという特徴などを手がかりにしているのだそうです(今井むつみ「ことばの発達の謎を解く」ちくまプリマー新書)。

 新しい言葉にであうたび、無意識に分析を加えて言葉を増やしていく、その過程で起こるこのような語構成の勘違いは、小さい子どもの多くにみられるようです。何か「名前」がついていないかなぁとあれこれあたっていると、言語学用語で「異分析」というものを見つけました。「異分析」とは「語を本来の構成とは異なる構成に解釈しなおすこと」(「大辞林」第3版)。例として「hamburgerをham+burgerとみなしたり、『軽気+球』を『軽+気球』とみなす類」が挙げられています。

拡大最近は字を書く練習もしています
 これか、と思ったのですが、「誤った解釈に基づいて、さらに別の語を派生してしまう」ものとしている本(窪園晴夫「新語はこうして作られる」岩波書店)もあり、息子のケースは「異分析」の前段階とでも言うべき勘違いのようです。

 Hamburgerは地名のハンブルクからきているのを、ハム+バーガーとする誤った分析のために、チーズバーガーなど、○○バーガーという名前が派生してできました。「マンション」を「万ション」と解釈して、1億円超えのマンションを「億ション」と呼んだ、などもよく知られています。「億ション」のほうはおそらく故意に、「もう万単位では買えない」という皮肉と嘆きを込めて作り出された、と前述の窪園氏の本にはあります。こうなるとだんだん言葉遊びに近づいてきます。

 子どもの場合は爆発的に言葉の数を増やしていくために分析を加え、ときに間違ってしまうわけですが、大人になっても、あえて「異分析」をする場合がある。私も、子どもの間違いを聞いても「何で間違えるの?」とイラっとするのではなく「面白いなあ、そういえば筋は通ってるよなあ」と思います。言葉を分析して、新しいものを見つける面白さはもしかすると子どものころから身に染みついていたりするのかもしれない、と思いました。

(竹下円)