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ことば談話室

「ノーベル経済学賞」は「ノーベル賞」ではない!?

 まもなくノーベル賞の季節がやってくる。昨年、山中伸弥・京都大教授の受賞にわいた医学生理学賞が7日に発表されるのを手始めに、物理学賞(8日)、化学賞(9日)、文学賞(10日の見込み)、平和賞(11日)、経済学賞(14日)と続く。この6賞のなかで日本人がまだ受賞していないのは経済学賞だけだ。だが、実は経済学賞は他の5賞とは全く違い、「ノーベル賞」ではないということをどれだけの人が知っているだろうか。

ソールマン専務理事拡大ノーベルの肖像画の前に立つノーベル財団のソールマン専務理事(当時)=2001年12月3日、杉本潔撮影
 「経済学賞はノーベル賞ではありません。ノーベルの遺言にはない、記念の賞です」。2001年、科学部の記者だった私は、化学賞を受賞した野依良治・名古屋大教授(当時)の取材で授賞式などの関連行事があるスウェーデンの首都ストックホルムを訪れた。そのとき、賞を運営するノーベル財団の実務責任者であるミハエル・ソールマン専務理事(当時)は、ノーベルの肖像画の前できっぱりと答えた。明快すぎる答えに、「経済学賞はノーベル賞ではないという声もありますが、どうお考えですか?」と質問した私の方が拍子抜けしてしまったほどだ。

 ノーベル賞はダイナマイトの発明で巨万の富を築いたスウェーデンの実業家アルフレッド・ノーベル(1833~1896)の遺言で創設され、1901年から始まった。ノーベルの遺言に従って、物理学、化学、医学生理学、文学、平和の5賞が設けられた。これに対し、経済学賞はスウェーデン国立銀行が創立300周年を記念して賞金などの諸費用を負担し、1969年から始まったものだ。

 ◇そもそも名称が違う

 「新参者」だから、賞の名称も違う。他の5賞が基本的に“The Nobel Prize”なのに、経済学賞は“The Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel”。直訳すれば、「アルフレッド・ノーベルを記念した経済学におけるスウェーデン国立銀行賞」で、確かに「ノーベル賞」ではない。ただ、選考や賞金額(2012年は800万スウェーデンクローナ=約1億2千万円)、授賞式などの諸行事は他の賞と同列で、一般的には「ノーベル経済学賞」として扱われている。

 こういった事情もあって、経済学賞はスウェーデン国内でもしばしばやり玉にあげられてきた。1997年には文学賞の選考機関であるスウェーデン・アカデミーが経済学賞の廃止を要請。2001年にはノーベルの兄弟のひ孫が地元紙に寄稿し、「ノーベルは事業や経済が好きではなかった。経済学賞はノーベルの遺言にはなく、全人類に多大な貢献をした人物に贈るという遺言の趣旨にもそぐわない」などと批判したこともあった。一方、米国では金融工学の手法を開発したことで経済学賞を受賞した2人が経営陣に加わっていた投資会社が1998年に破綻(はたん)。世界経済に大きな影響を与えたことから、経済学賞の権威は大きく失墜したとも言われた。

 ◇選考過程は50年後に公開

 経済学賞の選考にあたるのは、物理学賞、化学賞と同じスウェーデン王立科学アカデミーだ。ちなみに文学賞は前述のスウェーデン・アカデミー、医学生理学賞はスウェーデンのカロリンスカ医科大学、平和賞はノルウェー国会が任命した委員で作る委員会が選考する。

 選考はほぼ1年がかりで、その過程は秘密だ。毎年9月、王立科学アカデミー内に置かれた経済学賞の選考委員会が翌年の候補者の推薦依頼状を出す。推薦権を持っているのはアカデミーの会員と委員会の委員、過去の受賞者、北欧諸国の大学の経済学者、世界中から選ばれた大学の経済学の部門長、とくに選ばれた個人らで、締め切りは翌年の1月末。物理学賞について取材したとき、推薦依頼状は数千通、推薦されるのは二百数十人くらいと聞いたので、経済学賞でも相当の数にのぼると思われる。

 委員会は外部の専門家の助言も得ながら選考を進める。自然科学の3賞ではその年の受賞分野を決めてから受賞者を絞り込むと言われており、経済学賞も同様とみられる。受賞者(3人まで)を内定すると、アカデミーが決定し、事前に予告した日(今年は前述の10月14日)に発表する。選考の過程は50年後に公開されることになっている。

 ◇ノーベルウイーク

 平和賞以外の5賞の授賞式は毎年、ノーベルの命日にあたる12月10日にストックホルムのコンサートホールで開かれ、スウェーデン国王からノーベルの肖像が入ったメダルなどが手渡される。その前後は「ノーベルウイーク」と呼ばれ、記者会見や講演、晩餐会などの行事が続く。

 私が訪れた2001年は例年のような「曇り空に雪」ではなく、雨が舞う暖かいノーベルウイークだったのを思い出す。

受賞者記者会見拡大スウェーデン王立科学アカデミーでの受賞者記者会見。左から経済学賞の3人、化学賞の3人、物理学賞の3人が顔を揃えた。左から3人目が経済学賞のアカロフ氏、中央が化学賞の野依良治氏=2001年12月7日、杉本潔撮影
 王立科学アカデミーでの記者会見には、野依氏ら化学賞の3人、物理学賞の3人とともにジョージ・アカロフ米カリフォルニア大学バークリー校教授ら3人の経済学賞受賞者も顔をそろえた。実は私は大学時代は経済学部で、アカロフ氏の受賞業績となった理論を学んだことがあった。中古車市場ではなぜ低品質の車ばかり流通し、高品質の車が流通しづらくなるのかの説明で、質の悪い欠陥車を示す俗語である「レモン」から、「レモン市場の研究」と呼ばれている理論だ。だから、会見でもアカロフ氏に冗談で「ところで、果物のレモンは好きですか」とたずねてみるつもりだった。だが悲しいかな、会見は日本の新聞の朝刊の締め切りギリギリの時間。本業である野依氏の会見でのやりとりを原稿にして日本に送っているうちに、質問の機会を逸してしまったのであった。残念。

ストックホルム市庁舎拡大晩餐会が開かれたストックホルム市庁舎=2001年12月8日、杉本潔撮影。晩餐会には約1400人が出席した
 さらに、この年はノーベル賞創設100年という記念すべき年で、歴代の受賞者約160人も招かれていた。授賞式の後、ストックホルム市庁舎で開かれる約1400人が出席する晩餐会に約1万円で借りた燕尾服姿で出席すると、王族に加えて、「世界の頭脳」が勢ぞろいしていた。経済学賞関係者のテーブルをのぞきに行くと、ポール・サミュエルソン米マサチューセッツ工科大名誉教授(当時、1970年受賞)とミルトン・フリードマン米シカゴ大名誉教授(当時、1976年受賞)のライバルが1人を置いて「呉越同舟」。ちなみに使われているスプーンやフォークなどは日本製で、新潟県燕市で作られたものだそうだ。メニューの中では、楽隊に先導されたウエーターらが配膳してくれる名物で、ノーベルの「N」の字が入った「ノーベル・アイスクリーム」が印象に残った。

 ◇名実ともに「ノーベル賞」になる日は

 ところで、数ある賞の中で、ノーベル賞が「世界最高の賞」と言われるようになったのはなぜだろうか。アンダース・バラニー物理学賞選考委員会事務局長(当時)は私の問いに「賞金が高額だったうえ、第1回の物理学賞に(X線を発見した)レントゲンなど、世界的に有名な人を選んだので、一躍知られるようになった。その後も最高の受賞者を選ぶことで認められてきた」と答えた。ソールマン専務理事(当時)は「全世界から評価される選考」をあげ、「そのために選考には各賞とも賞金と同じくらいの経費をかけている」と話した。

 実は、経済学賞の創設以後、ノーベル財団には環境や数学、建築、音楽など様々な分野の関係者から、経済学賞と同じく賞金などの諸費用は負担するので「ノーベル記念賞」を創設してほしいという申し出があったらしい。だが、ソールマン専務理事(当時)は私に「今後、新しい賞をつくる可能性はない」と断言した。これには「『経済学賞』で懲りたからではないか」という意地悪な見方もある。

 ただ、110年を超える歴史と伝統がある他の5賞に対し、経済学賞はその半分以下の歴史しかない。「経済学賞」が名実ともに「ノーベル賞」として認められるようになるのか、それとも「アルフレッド・ノーベルを記念した経済学におけるスウェーデン国立銀行賞」にとどまるのか。判断するにはもうしばらく時間が必要だろう。

(杉本潔)