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ことば談話室

選んで磨いて舟を編む――国語辞典づくりの舞台裏

桑田 真

 国語辞典にどんなイメージを持っていますか。分厚くて重くて、細かい文字がびっしり。どんな言葉も正しい意味が書いてある。最近は引いたことがないな――。あるいは、本屋大賞を受賞し、映画化された三浦しをんの「舟を編む」で、辞書づくりに親しみを持った方もいるかもしれません。

 普段は目にすることのない辞書の編集過程ですが、三省堂国語辞典(三国)が6年ぶりに改訂されると聞き、東京・水道橋の三省堂を訪ねました。

 取材に応じてくださったのは、三国に第5版から携わっている辞書出版部の奥川健太郎さんです。取材に訪れた10月下旬は作業が大詰めを迎えており、「あ行」から「か行」まで編集部のチェックが終わったところでした。

 漢和辞典やカタカナ語辞典、各種の外国語辞典など様々な辞書をつくっている三省堂ですが、三国の担当編集者は奥川さん1人です。山積みの資料や原稿が所狭しと置かれている光景を想像していたものの、奥川さんの机は大きなパソコンのディスプレーが据えられ、必要なものに手が届くよう整理されていました。

 ◇6年ぶり改訂、日本語のプロ集結

 国語辞典は、明鏡国語辞典(大修館書店)、新選国語辞典(小学館)など6万~9万項目を収録する小型、約24万項目を収録する広辞苑(岩波書店)などの中型、日本最大の日本国語大辞典(50万項目収録)に代表される大型に分類されます。今回改訂された第7版で8万2千項目を収録する三国は、小型国語辞典の代表格です。

 小型といっても1700ページを超える三国。改訂は一大プロジェクトです。

 言葉の意味の説明(語釈)や用例などを考えるのは、日本語学の研究者、専門家である編集委員を中心に計10人ほどです。中型・大型の辞書では、法律や科学などの用語はその分野の研究者が担当するそうですが、三国の執筆陣は日本語の専門家です。これは「中学生にもわかる」平易な文にするため、あえてそうしているそうです。この他に、校正や編集補助を担当する編集協力者が10人ほどいます。

 第7版の発行が検討され始めたのは2010年12月ごろで、08年1月の第6版発行から約3年おいてのスタートでした。

 まずはページ数や部数、費用の見積もりをして、定価などの仕様を決めます。編集方針など内容面については、編集部と5人の編集委員が話し合う「全体会議」を11年5月に開いて話し合い、検討を重ねました。新たに採用する「新規項目」を選び、すでに掲載されている項目の見直しも並行して進めます。新規項目の原稿執筆は12年9月ごろ、既存項目は13年3月ごろまでかかったそうです。

ゲラ拡大ゲラ刷りには赤字がびっしり

 原稿のチェックは入念に行います。編者や執筆協力者の原稿が出そろうと、原稿を書いた編者自身や編集者がチェックして修正や変更を加えます。これを反映させて、印刷される形に近い状態の「ゲラ刷り」にし、外部の校正者がチェックします。プロの目で、誤字や脱字などがないかや、内容を読み込んで不自然なところがないかを点検します。鋭い指摘もあり、ゲラ刷りは直し指示で真っ赤になります。

 編集部では直しが正確に反映されているか、三国独自の表記や書式のルール通りになっているかを点検します。こうして修正したゲラを印刷所に戻します。再び点検して直しを書き入れ、印刷所に戻し……という作業を4、5回繰り返します。最終段階では印刷所側でも点検するそうです。

 校了すると、本文の印刷に入ります。表紙や見返し(表紙裏の厚紙が使われているページ)などが出来たら、いよいよ製本。刊行決定から3年をへて、今週から店頭に並んでいます。

 今回は三国としては今まで例がないタイトなスケジュールだったそうです。

 ◇生きた言葉を積極採用

 三国の大きな特徴は、新しい言葉や言い回しなど、生きたことばを積極的に載せることです。他の辞書に先駆けて載せる言葉も多いといいます。

追加拡大
 今回は約4千項目を新たに採用しました。スマホ、だだ漏れ、ツンデレ、ゆるキャラといった今を映す言葉から、直箸(じかばし)、築浅、中濃ソースなど、幅広いジャンルの言葉が並びます。

 これらの言葉はどのように選ぶのでしょうか。編集委員は、日頃から新聞、雑誌、テレビ、インターネット、さらに街頭の看板や電車の中で耳にする会話などから、言葉の用例を採集しているそうです。その中から三国に載せるべきだと思うものをリストアップし、持ち寄ります。候補は計1万数千語にも上ったそうです。

 当初は3500語を新たに採用する方針だったため、絞り込みを行います。言葉の定着度や使用頻度などを考慮して、編集委員ら4人が○=3点、△=1点、×=0点として投票し、「合格ライン」の8点を目安に選んだそうです。甲乙つけがたい言葉も多く、当初の方針より500語ほど多く採用されました。

 また、すでに掲載されている言葉に新しい使い方が生まれる場合や、幅広い層に使われている意味が掲載されていない言葉もあります。これらも検討して追加します。

 例えば、「つぶやく」に「ツイッターで発言する」という意味を加えたり、本来「お金を集めること」を意味する「募金」に、「(あやまった使い方で)おかねを寄付すること」という意味を加えたりしました。変わったところでは、「入る」に「テレビ番組が放送される」という東北地方の方言での意味が加えられました。「方言ははばかるものではなくなり、全国区になったものも多い」(奥川さん)とのことで、関西方言や沖縄方言などを載せることも増えているそうです。

 生きた言葉の採用に積極的だとはいえ、目新しければいいというわけではありません。採用する基準は、一過性でなく、一般の人が使うようになっていること。毎年生まれる数多くの流行語は、10年後または少なくとも次の改訂まで残っているかどうかを考慮するそうです。

削除拡大

 新たな言葉を採用する一方、使われなくなった言葉は削除します。今回は数百項目を削除しました。

 ちなみに、第6版で採用しながら今回削られた言葉には「政策ライブトーク」(第1次安倍政権が開いた政治家と市民による対話集会)などがあります。第6版改訂時に想定したほど広がりが見られなかったそうです。

右拡大
 項目の追加や削除と並んで重要なのが、基本的な言葉の語釈や用例を見直し、よりわかりやすくする作業です。今回は約2万項目に手を入れました。たとえば「右」。説明しようとすると難しい言葉ですが、第7版では大きく修正され、わかりやすくなりました。語釈や用例は1960年発行の第1版から受け継がれ、版を重ねるたびに見直してきたものですが、中にはジェンダーの観点から好ましくない用例や、時代にそぐわないものもあるそうです。現在の日本語の「最も受け入れられている表現にすること」を意識するといいます。

 ◇ことば写す鏡、ことば正す鑑

 三国の編集方針は、第1版から第4版まで編集主幹として辞書作りに人生を懸けた故・見坊豪紀(けんぼう・ひでとし、1914~92)が作り上げたものです。

 見坊は第3版の序文に「辞書は、ことばを写す“鏡”であります。同時に、辞書は、ことばを正す“鑑(かがみ)”であります」「時代のことばと連動する性格を持つ小型国語辞書としては、ことばの変化した部分については“鏡”としてすばやく写し出すべきだと考えます」と記しました。

 この考えは徹底した用例収集に支えられたものでした。新聞や雑誌で新しい言葉や用例を見つけると、その部分を切り取り、専用のカードに貼り付けて記録しました。その数は145万枚に上ったといいます。多くの用例からことばの変わる部分と変わらない部分とが浮かび上がり、「鑑」が見えてくることになります。見坊はその成果を三国に結実させていきました。三国には今も、見坊の精神が生きています。

直筆カード拡大見坊豪紀が作成した用例カード
 編集委員らが言葉の採否やよりよい語釈を書くことに腐心する一方、奥川さんら編集部は、決まったページ数で収め、読みやすくするための作業をします。第7版では1行に22文字入るのが基本ですが、ひらがなは漢字より小さいため25文字前後入ります。読みやすくするために、文章の中に1字の4分の1ほどのスペースを取ることもあり、分量の計算は難しいそうです。

 また、一つの項目の最後の数文字を、前の項目の余白に収める「折り曲げ」という作業もあります。現在、折り曲げを行っている辞書はあまりありません。「活版時代からの名残で、紙面を惜しんで少しでも情報を伝えたいという意図がある。伝統芸能といっていいかもしれない」(奥川さん)といいます。名詞を表す(名)や常用漢字でないことを表す×印など、いろいろな記号を正確につけ、すべての項目が複雑なルールに従って並んでいるかチェックするのも編集者の大事な仕事です。この作業の中で、「マイクロメートル」を「マイクロミリメートル」と誤っていた箇所を見つけるなど、校正作業で見落としていたミスが見つかることもあり、最後まで気が抜けません。

奥川さん拡大編集作業をする奥川健太郎さん

 言葉は日々変化していく「生き物」です。変化をとらえて反映する速さは、紙の辞書よりインターネット上の百科事典などが勝ります。しかし奥川さんは「紙の辞書に載せることには重みがあり、記録していく責任がある。紙の辞書は読者のもとにずっと残り、デジタル媒体にない安定性や信頼性がある」といいます。

 すでに編集委員からは、次の版の編集方針や新規採用項目について提案があるそうです。言葉の「鏡」を磨き、「鑑」を追い求める作業に終わりはありません。

(桑田 真)