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ことば談話室

五輪報道、日英に温度差――元外交官ランナーのマーラ・ヤマウチさんに聞く(上)

 好きな日本語は「いただきます」と「ごちそうさま」。「相手に感謝や尊敬の気持ちを伝え、物事の始まりと終わりにけじめをつける言葉。英語には適当な訳がないから」。そう話すのは、「元英国外交官」で「元五輪マラソン選手」でもあるマーラ・ヤマウチさん(40)。二つの顔を持つ異色の経歴と、日本でランナーとして力をつけたことで、日本メディアの注目を集めてきた人物だ。

 「名門オックスフォード大を卒業して英国外務省に就職。在日英国大使館に勤務後、休職してプロ選手になり、北京・ロンドン両五輪に出場」。この特異な経歴は、日本の新聞や雑誌に大きく取り上げられた。英語と日本語の両方を操り、外交官としても五輪選手としても、日英の報道に身近に接してきたマーラさん。昨年現役を引退した彼女に2月、日英のスポーツ報道について聞いた。

 ◇日本での情報集めは新聞で

 《「大使館に勤めていた時、皇居(周辺)はよく走りました」。皇居外周を歩きながら、流暢(りゅうちょう)な日本語で懐かしそうに語るマーラさん。大使館が皇居近くにあり、昼休みや夕方に走ったという。今は一大ランスポットの皇居外周を、マーラさんは15年も前から走っていたのだ》

皇居全身拡大元外交官で元五輪ランナーのマーラ・ヤマウチさん。大使館時代もプロ選手時代も皇居周辺は練習場所だった=皇居外周
 マーラさんが外交官として来日したのは1998年。政治部書記官として、02年末まで日本政治を分析する役割を担った。この間、国内では、小渕恵三首相の急死(00年)や九州・沖縄サミット(00年)、サッカーの日韓ワールドカップ(W杯、02年)があり、国際的には、9・11テロ、アフガン戦争と大きな出来事が続いた。

 マーラさんは、ニュースやNHK日曜討論などを視聴し、国会議員の秘書官らと面会したが、情報収集のメーンは「新聞」だったという。毎日5紙程度を読んだ。小渕首相の後任は、どんな考えの人で英国にどんな影響があるか。米国は温暖化防止に取り組む京都議定書から離脱したが、環境重視の英国は日本とどう協力できるか。米国のアフガン戦争を英国は支持するが、日本はどうか。閣僚や政治家の考えを記事から読み取り、分析した。

 社説にも注目した。「同じ出来事でも朝日新聞と産経新聞では見方が異なる」。日英は関係が良好なため「驚くような主張はなかった」というが、出来事の意味や英国への影響を探った。

 一方で、マーラさんから日本のメディアに働きかける場面もあった。例えば日韓W杯。日本人が「海外には試合会場で暴徒化するフーリガンがいる」と思っていることを懸念し、英国サポーターはそうではないと広報。日本の関係者が安心できるよう努めたという。

 ◇働きながら五輪の夢追う

 《足音を響かせてランナーが私たちの脇を走り抜けた。「日本人はすごく熱心。私ももっと走らないと」。引退後も健康のために走るマーラさんは、日本の市民ランナーに刺激を受けるという。しかし、現役時代のマーラさんのように、キャリアと両立しつつ、世界のトップクラスにまで成長した物語は日本では珍しい》

 マーラさんは大学のクロスカントリー部で本格的に走り始めた。長距離の適性は自覚したが、プロになるほどではなく、就職して競技を離れた。しかし、11歳の時にロサンゼルス五輪を見て思った「私も出たい」という夢は忘れられなかった。「自分の能力をまだ発揮しきっていない。努力すれば英国代表にはなれると信じる気持ちもあった」。日本から帰任した02年。29歳。五輪を目指すなら「年齢的に限界だ」と思った。

 職場にジョブシェア(同じ仕事を2人で分担する制度)を申請。2週間で5日働き、残りをトレーニングに充てた。午前10時から午後4時まで働くフレキシブルワークも活用した。しかし、04年のアテネ五輪の代表には届かなかった。06年、今度は無給休職を取得。「08年の北京五輪を目指す。その後、外務省に戻る」。そう申請し、認められた。

 英外務省がこうした柔軟な働き方を認めているのは、管理職に女性を増やし、多様な人材を生かすのに必要と認識しているからだという。介護や勉強、他業種での就労など理由は様々。「外務省の仕事と対立するような理由、例えば他国の政府のために働くとかでない限り、ほとんど受け入れられる」そうだ。

 日本で中央省庁のキャリア官僚が「スポーツのために」フレキシブルワークや、復職が保証された休職を取れるだろうか。日本でマーラさんを紹介した記事は、多くがこの特殊な事情に着目していた。「キャリア外交官の異色ランナー」(朝日新聞)。「名門オックスフォード大卒業後、英国外務省に入省した異色の経歴」(中日新聞)。「走る外交官」(日刊スポーツ)――。

 しかし英国でこの点に取材が集中することは無かったという。英国には「実業団」の仕組みがないため、働いて生活費を稼ぎながら、トップレベルで競技することは珍しくないそうだ。マーラさんを取り上げた英国の記事を見せてもらったが、外務省を休職した経緯は強調されていない。キャリアと競技の両方を追求しても特別視されないのだろう。

 ◇金メダリストに追いつき自信

 《昼時、「おそば大好き」というマーラさんとそば屋に入った。普段からご飯やみそ汁など和食を好み、日本人の夫が栄養や鉄分が多いと薦めた、納豆やひじきもよく食べるという。レース当日の朝のメニューは、「お餅」や「力うどん」が定番だったそうだ》

  06年、マーラさんは練習の拠点を日本に移す。五輪がある北京に近いだけでなく、日本女子マラソン界のレベルの高さが魅力だった。「英国には速い選手があまりいない。日本で刺激を受けたかった」。力を試せるロードレースの数も多かった。

 収穫は早速あった。アテネ五輪金メダリストの野口みずき選手と同じ大会に出場。06年香川丸亀国際ハーフマラソンでは野口選手2位に対し、マーラさん3位。07年札幌国際ハーフでは野口選手が1位で、マーラさんは2位になった。「スーパースターと思っていた選手と同じくらいのタイムで走れ、大きな自信につながった」

紙面拡大マーラさんが優勝した2008年の大阪国際女子マラソンを報じた朝日新聞の紙面。左上の写真はマーラさん(右)が福士加代子選手を抜き去った場面。右下の写真は優勝の月桂冠(げっけいかん)をかぶったマーラさん
 練習方法も日本流を取り入れた。同じ日本選手にハーフでは勝てるのにフルマラソンでは勝てない。日本の選手たちの練習は、1キロあたりのタイムが自分より遅いと知り、練習のやり方を見直した。

 08年1月の大阪国際女子マラソンで初優勝。そして、念願の五輪代表に選ばれた。同年8月、北京五輪。結果は、英国史上最高タイの6位入賞。輝かしい成果だった。

 この活躍、本国・英国のメディアでも大きく報道されたのだろう。そう思って聞くと、マーラさんの答えは違っていた。なんと、「ほとんど注目されなかった」のだという。なぜだったのか……。

《来週につづく》

(柳沢敦子)