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ことば談話室

時代の終焉(上)――「あけぼの」ラストラン

平井 一生

表示拡大青森駅ホームに今も残る「連絡船」の文字。かつてこの先には桟橋があり、さらに北を目指す人々はそちらへ向かった。青函連絡船は1988年3月に通常運航終了となったが、30年近く経過した今でも往時をしのぶことができた=いずれも2月28日、平井一生撮影
 「終焉」(しゅうえん)という言葉がある。「広辞苑」によると、「焉(ここ)に終わる」の意とあり、死に臨むこと、いまわ、末期、などとなっているが、必ずしも人の臨終だけでなく、「時代の終焉」などのように使われることが多い。

 時代の終焉。読者の方がイメージするものはなんだろうか。一定以上の世代で、野球が好きな方は「長嶋茂雄の引退」だろうか。芸能界に興味がある方は「長嶋茂雄」の4文字を「山口百恵」に代えたらしっくりくるかもしれない。最近ならば、「北島三郎の紅白歌合戦引退」も、一つの時代の終焉と言っていいだろう。

 さて紅白といえば、筆者は石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」となるのだが、その歌詞の情景が今春、ついに見られなくなった。「雪が降っている青森駅に到着する上野発の夜行列車」がなくなってしまったのである。

 この歌が発売されたのは1977年の1月。手元に当時の時刻表(77年1月号)があるが、定期運行で、上野発青森行きの夜行列車は15本を数える。交通網の整備が進んだことや、車両の老朽化などで、しだいにその数を減らし、国鉄時代からの夜行列車は、70年7月1日以来44年間走り続けてきた寝台特急「あけぼの」が最終走者となった。そして、定期運行が3月のダイヤ改定で終了した。

 ◇一緒に失われる「特有のにおい」

出発前のあけぼの拡大出発前の「あけぼの」。かつては背景に青函連絡船が見えていたが、現在、後方にあるのは青森ベイブリッジ=青森駅
 2月、青森からの帰京時に「お別れ乗車」を行った。「あけぼの」乗車は3回目となる。国鉄時代からの雰囲気を残す伝統的な夜汽車を満喫すべく、個室ではなく、あえて開放式B寝台を一夜の宿とした。

 18時前、青森駅の3番線ホームに「あけぼの」が入ってきた。毎回、この光景を駅の跨線橋(こせんきょう)から眺めてきた。筆者のベッドは2号車の11番上段。ハシゴを使って上る。久しぶりの上段だ。11番と12番が向かい合って、4人分がひとつの区画になっている。青森駅出発時点では筆者一人だけだった。

 4分遅れて出発。薄暗い明かりの中、ゆっくりとホームが後方へと去っていく。さっそく談笑が始まっている隣のボックス、9番と10番の区画へ顔を出してみた。ここは上下段4人ともそろっていた。興味深いのは、旧知の仲に見えた4人はみな初対面で、たまたま一緒になっただけとのこと。共通点は「お別れ乗車のため」。世代は異なるものの、思い入れは同じようだ。会社員・鈴木啓介さん(40)が若者2人の話を聞いており、公務員・久保田剛史さん(50)はニコニコしながら見守っている。

ホーム拡大数々の夜行列車が発着したホーム。「あけぼの」がひっそりと出発の時を待つ=青森駅
 4月から早大に進学する予備校生の伊東拓さん(19)は「24系には特有のにおいがありますよね」などと、一般人には理解不能なことを言う。このコトバは説明が必要だろう。通常、自分が乗る車両の型式などは意識しないと思うが、この「あけぼの」に使われている「24系」という車両は国鉄時代からのもので、ブルートレイン全盛期を支えたものだ。長年の間に積み重なった古い車両特有の「雰囲気」のようなものがある。そういうわけで、「特有のにおい」と言われると、「テツ分豊富」な筆者としても、「そうそう」とうなずくしかない。

談笑風景拡大伊東拓さん(左)の話を聞く鈴木啓介さん。手前が小林秀彦さん。久保田剛史さんは「恥ずかしいので写真はご勘弁」とのこと=「あけぼの」車内
 早大生の小林秀彦さん(22)はこの春から社会人。山梨勤務になり、「東京にいる彼女との遠距離恋愛が心配なんです」と語った。私事になるが、筆者は20代の東京勤務時、後に妻となる彼女は福岡にいた。その距離は約1千キロ。「山梨と東京ならば、そう遠くないから、遠距離じゃないよね」というと、以下のコトバが返ってきた。

 「お互いが、会いたいときに会えなくなったら、それはもう遠距離なんです」

 彼女との関係が終焉を迎えないよう願うばかりだ。それにしても、たまたま同じ列車に乗り合わせた初対面の人間と、通常このような話をするだろうか。青森と上野を結ぶ列車は、日常の時空間を超越して、こんなやりとりも可能にさせる。

 ◇世代をつなぐ「もうおしまい」

 秋田・鷹ノ巣駅で、筆者の乗車スペースの下段にお孫さんを連れたおばあさんが乗ってきた。東京へ観光に行くという。おばあさんは佐藤君子さん(73)、孫は4月から小学3年生の佐藤佑大くん。「最後に孫を乗せたかったんです」と話した。

 佑大くんは列車が好きだそうで、会話のなかにも「カシオペア」や「北斗星」などと列車の名前が出てくる。「この列車は便利だったんですけどね」と君子さん。上野動物園や東京スカイツリーを見学、帰りは東北新幹線「はやぶさ」に乗車するそうだ。

 時折、ピーッと汽笛が鳴る。特急がとまるとは思えないような小さな駅に停車し、こまめに乗客を乗せていく。車窓遠くに明かりがポツンと見える。静寂な時が流れていく。乗務の車掌によると、「早めにお休みになるお客さまも乗車していますので、車内改札をできるだけ早く終わらせるなど、お客さまがゆっくりご旅行いただけるように気を配っています。また、車内放送の音量や適切な車内温度の調整に心がけています」とのこと。下段は静かになった。どうやら佑大くんも眠ったようだ。

 「一つの時代が終わる」。生まれて初めて乗った飛行機「YS11」が、8年前に民間航空路線から退役したときもそう思った。そして今回、国鉄時代からの寝台特急ラストランナー「あけぼの」の廃止。子どものころ当たり前に身の回りにあったものが、次第になくなってゆく。人の一生は終焉の集積の上を歩むことなのか、という気にさせられる。

 最後に、この取材で、最も筆者の記憶に残ったコトバを記しておきたい。筆者も交え、3人で話をしていた際の、君子さんと佑大くんの会話である。

 「ばあちゃん、この列車、なくなっちゃうんだ」

 「そうだ。この列車はずーっと昔から、たーくさん、たくさん走ってきたんだ。だけど、もうおしまいなんだ」

(平井一生)