寝台特急「あけぼの」の定期運行終了で、「一つの時代の終焉(しゅうえん)」を感じた筆者であるが、実はもう1件、「時代の終わり」を実感した出来事が、3月末にあった。全日本空輸(ANA)のB747型機の退役である。

滑走路へ向けてタキシングするNH127便を見送る地上スタッフら。「NH」はANA前身の「日本ヘリコプター輸送株式会社」を由来とする。広報部の小口真澄さんは「海外旅行を身近なものにさせたジャンボ。ヘリコプター2機からはじまった全日空社員にとって、なかなか大きな飛行機を購入することが難しかった時代背景もあり、500人以上のお客様をお乗せできるジャンボはまさに夢の象徴だったそうです」と語った=3月31日、羽田空港、いずれも平井一生撮影
日本では、B747型機は1970年7月1日に日本航空(JAL)が羽田-ホノルル線で運航を開始した。偶然にも、寝台特急「あけぼの」の運行開始と同じ日である。2階席がある大きな丸っこい機体は「ジャンボ」の愛称で親しまれ、約500人という大量輸送を可能にし、航空輸送の花形となった。だが、時代とともに燃費のいい高性能機が登場してくると、日本の空から消え始めた。JALでは2011年3月にすでに全機退役している。3月31日、ANAが運航する最後の1機の退役で、国内航空会社の旅客用ジャンボジェットは全機が空から姿を消した。
ラストフライトの日、筆者は朝、羽田空港で那覇行きNH127便を見送り、昼過ぎに那覇から帰ってきたNH126便を出迎えた。
◇退役ねぎらう虹の放水アーチ

放水アーチによってできた虹をくぐる最終便のジャンボ機。着陸後、チーフパーサーの千葉陽子さんが「20世紀、21世紀と二つの世紀をつなぎ、皆様に愛されたボーイング747−400は、本日をもちまして皆様の心の中に着陸させていただきます」とアナウンス。機内は拍手に包まれたという=3月31日、羽田空港
報道陣が待ち構える、沖止めの408番スポット。最後の機番となったB747型機「JA8961」が近づいてくると、航空局の消防車がラストフライトを記念してアーチ状の放水を始めた。晴天の順光。期待していた通り、虹が現れた。虹のアーチをくぐって、こちらへ進んでくる。懸念していたとおり涙腺がゆるんできた。ピントがあわせにくくなり、四苦八苦していると、目前で前脚の車輪が止まり、ラストフライトが終わった。
過日のこのコーナーで、筆者が初めて乗った飛行機であるYS11についてふれたが、子どものころの筆者にとってジャンボジェット機は空への憧れを象徴するものだった。
最近の子どもたちにとって飛行機とはどんなものなのだろうか。
ANAは「心の翼プロジェクト」として社会への貢献活動を行っているが、東日本大震災以降、プロジェクトの一環として、福島県の小中学生を対象に飛行機の仕組みやANAの仕事の紹介などを行う「ANA航空教室キャラバン」を行ってきた。そして13年度最後の取り組みとして、ジャンボ退役の1週間前となる3月24日、福島県の小中学生約40人を羽田の機体メンテナンスセンターへ招待、機体工場見学が行われた。

「恋するフォーチュンクッキー」の振り付けを指導するAKB48の片山陽加さん(左)、小嶋菜月さん(中央)、山内鈴蘭さん(右)=3月24日、東京都大田区のANA機体メンテナンスセンター
この日、格納庫にはトリプルセブンの愛称をもつボーイング777(B777)が入っていた。ジャンボが退役に至るきっかけとなった、現在の主力となる機種である。ジャンボ機の導入で座席数が大幅に増加し、大量輸送が可能となって、1人当たりの運航コストを下げた。しかし、エンジンは四つで燃料消費量が多い。その後、技術の向上や規制緩和で、エンジン2基の航空機の大陸間飛行が認められると、双発でジャンボと同程度の座席数をもつことができるB777が長距離運航の主力機となった。この福島の子どもたちが現在、長距離路線に乗る場合、飛行機といえば主にB777となる。世代交代を痛感する。

イベント終了時、AKB48名物「ハイタッチ」を行う片山陽加さん(左)らAKB48メンバー。ハイタッチは厳密には手を上げて行うものなので、この場合はなんと表現していいか、筆者はしばらく悩んだ=3月24日、東京都大田区のANA機体メンテナンスセンター
この日の目玉は飛行機だけではなかった。ANAと共同プロジェクトを行っているアイドルグループのAKB48から、片山陽加さん(23)、小嶋菜月さん(19)、山内鈴蘭さん(19)の3人がゲストとしてやってきた。ヒット曲「恋するフォーチュンクッキー」の振り付けを指導し、小中学生や保護者とANAのスタッフ総勢でダンスを踊った。
ファンから「昭和キャラ」といわれる片山さんは熱心に振り付けを指導した。「どう教えたら、みんながわかりやすいだろう」と真剣に悩んでおり、愛称の由来をうかがわせた。「昭和」は、いうまでもなく「平成」の前の元号ではあるが、コトバとは面白いもので、現在、このコトバは、いわゆる「レトロ」の意で使用されることが多い。最後はハイタッチでお別れ。この日の片山さんは「面倒見の良いおかあさん」だった。
郡山の小学生、川倉良介くん(10)は報道陣に囲まれながら、格納庫の天井に届きそうなトリプルセブンの垂直尾翼を熱心に見上げていた。「航空業界で働く人になりたいと思いました」。あまりにも立派なコメントに報道陣から感嘆の声が上がったが、筆者は初めて近くでジャンボを見た幼少のころの自分を思い出した。
◇憧れの象徴、消えても未来への糧に
先にも書いたが、「沖止め」ということばをご存じだろうか。搭乗口から離れた場所に飛行機を停泊させることだが、筆者が子どものころ、今ほどボーディングブリッジが普及する前は、徒歩あるいはバスで飛行機まで移動し、タラップで搭乗するのが当たり前だった。初めて間近で目にした飛行機はとても大きく感じられた。川倉くんの世代はボーディングブリッジで直接搭乗するのが日常だろう。飛行機の大きさを体感できる機会など、そう多くない。

出発セレモニー後、報道陣の囲み取材に応じるANAの篠辺修社長。整備部門出身の篠辺社長は、エンジニアとしてB747とは深いつながりがある。「私自身を成長させてくれた機体でもありました」と語った=3月31日、羽田空港
B777の前でAKB48のメンバーとともに踊る子どもたちを見ていると、「終焉」というのは、必ずしも終わりではない、と思った。一つのものが無くなると、新しいものが生まれる。B747が大量輸送を可能にし、それはB777に受け継がれた。福島の子どもたちは、これからの時代を担うことになる。これをきっかけに航空関係の仕事を目指す子もいれば、芸能界を志す子もいるだろう。時代が変わっても、憧れの象徴は未来を築くきっかけの一つとなるのだと思った。

退役セレモニーで報道陣のフォトセッションに応じる乗務員ら。客室乗務員はB747-400型機就航当時の制服で乗務した。この日の羽田は風が強く、神田機長の帽子が飛びそうになるのを、とっさに千葉陽子チーフパーサーが押さえた=3月31日、羽田空港
ジャンボ退役の日。さまざまな人がそれぞれの思いを胸に別れを告げた。引退セレモニーで飛行記録を受け取ったANAの篠辺修社長は「大きな事故を起こさず、長年第一線で活躍してくれ、感無量です」と語った。ラストフライトはダブルキャプテン。機長資格者2人のフライトの場合、左席に座るのが責任機長(PIC=パイロット・イン・コマンド)となる。那覇までの往路で責任機長(PIC)を務め、この日がパイロットとしてのラストフライトとなった神田丈司機長は「35年のパイロット人生で27年つきあいました。一番の友人です」。那覇からの復路でPICを務めた藤村弘機長は「ジャンボに対する熱い思いを次世代の翼に託し、努力していきたい」とあいさつした。

最終便到着後、ラストフライト記念の横断幕前で、ニコニコ顔の陽希くん。地上スタッフからも笑みがこぼれた=3月31日、羽田空港
大阪の会社員、篠崎慎二さん(50)は妻の智子さん(38)と2歳の長男・陽希くんを連れて最終便に乗った。「大きなジャンボが大好きでした」と語り、名残惜しそうに機体を眺めていた。
「あけぼの」と「ジャンボ」。陸と空の旅客輸送で一時代を築いたスターが、くしくも時を同じくして今春引退した。時刻表に輝いていた寝台特急を示す流れ星マークと、ジャンボジェットを示す「B4」の表示。たくさん輝いていた国鉄時代からの最後の流れ星は消え、かつての空のスターは次世代の翼へバトンを託し、最後のフライトを終えた。
(平井一生)