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ことば談話室

心ほっこり 春の季語――猫の恋 カエル目を借り 山笑う

菜の花拡大猫の目線から見上げる菜の花畑もまた美しいものです=竹内美緒撮影
 ここ1年ほど、毎月祖母と手紙のやり取りをしています。俳句好きの祖母からの手紙には、毎回必ず季節の名句が添えられています。その影響で、それまでは短歌一辺倒だった私も、徐々に俳句に興味を持つようになりました。

 祖母から届いた2月の手紙に、次の句がありました。

 〈菜の花にまぶれて来たり猫の恋 一茶〉

 ほほえましい情景を思い浮かべてくすりとしたものの、続く祖母の言葉に思わず首をかしげてしまいました。「さて、この句の季語はなんだと思いますか」

 てっきり季語は「菜の花」だと思ったのですが、違うのでしょうか。ではいったい……?

 ◇相手を探して身をやつし

 さっそく歳時記をめくってみると、春の項目に「猫の恋」ということばを見つけました。発情期を迎えた猫が相手を探して歩き回るようになることから、春の季語とされています。

 挙げられた例句には、小林一茶のほかに、松尾芭蕉、与謝蕪村、正岡子規、高浜虚子、永井荷風と大家の名前が並びます。

 〈順礼の宿とる軒や猫の恋 蕪村〉

 〈おそろしや石垣崩す猫の恋 子規〉

 いずれの句でも、恋に身をやつす猫のほほえましくも滑稽な姿が描かれています。

 ところで、「猫の恋」ということば。日常生活ではまず聞くことのない俳句独特の表現です。季語には、このように俳句でしか用いられない表現がたくさんあります。ほかにどのようなことばがあるのか、探してみましょう。

 ◇眠くなるのは目を取られたから?

 春といえば、「春眠暁を覚えず」。暖かな春の日は、つい布団から出るのがおっくうになります。「春眠」も春の季語の一つですが、春の眠りの心地よさを表現する季語に「蛙(かわず)の目借り時」ということばがあります。

 春が深まり、カエルがさかんに鳴き声を上げるころ。人間がしきりと眠くなるのは、カエルが人の目を借りるせいだ。そんな迷信から生まれたことばです。ユーモアのある表現で、居眠りをとがめられたときには「これはカエルのせいで……」と言い訳したくなってしまいます。

 俳句独特の表現には、このように現実にはあり得ない事象を指したものがいくつもあります。たとえば 「亀鳴く」ということば。これも春の季語です。発声器官のないカメが鳴くことはありません。ですが、のどかな春の日、どこからか小さくカメの声が聞こえてくるのだと言われれば、そのような気がしてくるのだから不思議です。

 また同じく春の季語に、「鷹(たか)化して鳩(はと)と為(な)る」という表現があります。これは春の暖かな陽気にあてられると、獰猛(どうもう)なタカも温和なハトに変わってしまうという中国の伝承からきています。

 どれも現実には起こるはずのない現象ではありますが、確かに春の情景が思い浮かぶことばです。先人たちの豊かな想像力に驚かされます。

 ◇季節のうつろい、山の姿で

 春の季語に「山笑ふ」という表現があります。これも俳句独特の表現で、草木が芽吹く春の山の明るいさまを指したことばです。正岡子規は次の句を残しています。

  〈故郷やどちらを見ても山笑ふ〉

 あふれんばかりの喜びが伝わってくる一句です。

 山にまつわる季語は、ほかの季節にもあります。夏は「山滴る」。秋は「山粧(よそお)ふ」。そして冬は「山眠る」。それぞれ、夏の山のみずみずしい新緑、秋の山の美しい紅葉、そして冬の山のしんと静まりかえった様子を表現したものです。

 こうして並べてみると、季節のうつろいと共に変わりゆく山の姿がまぶたに浮かんできます。しかし、美しい景色を前にしても、俳人たちは決して遊び心を忘れません。

  〈山眠る如く机にもたれけり 高浜虚子〉

 5・7・5のたった17文字にこめられた、諧謔(かいぎゃく)の精神。俳句が今なお私たちの心をとらえ続ける理由の一つです。

 東京では桜はすっかり散ってしまい、新緑が美しく光る季節になりました。葉桜は夏の季語。俳句の世界では、5月の立夏を過ぎればもう夏です。今年の春も残すところわずか。歳時記を片手に、去りゆく春を惜しむのはいかがでしょう。

(竹内美緒)