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ことば談話室

知床――「最果て」の地は、いま(上)

平井 一生

 一昨年の当コーナーで「九州育ちのゆえか北の大地にあこがれ、頻繁に冬季の北海道を訪れている」と書いた。あいかわらず、今冬も2月に道南地方を訪れた。

 今春のJRダイヤ改定時に廃止となった、北島三郎さんの故郷の最寄り駅でもある知内駅に降り立ち、一部区間が5月12日に廃止された江差線にもお別れ乗車した。

 もっとも、これまで幾度となく北海道を訪れているが、道南地方は数回にとどまっている。これまでに度々、筆者の鉄道ネタをお読みいただいているが、いわゆる「乗り鉄」の当方にとって道南は北の大地の玄関口であり、どうしても「その先へ」と心が向かってしまう。当方が生まれた年(1966年)の時刻表を見ると、北海道の鉄道路線網はすさまじいもので、鉄路をなぞると、ほぼ北海道の形となるくらいだ。

 しかし、道東地方に鉄道の空白地帯がある。知床半島である。その魅力には逆らいがたく、旅の目的に関係なく、北海道へ向かった際には、可能な限り知床の拠点といえる斜里を訪れている。

 ◇語源通りの「大地の果て」実感

ミズバショウ拡大春を告げるミズバショウ。花にはあまり関心がない筆者だが、この時は見入ってしまい、シャッターを切った=2003年5月、斜里町、いずれも平井一生撮影
 行きたいと思っても知床は遠い。特に斜里町とともに知床半島を抱える羅臼町までの道は永遠に感じられる。やっと念願かなって訪れたのは約10年前の5月だった。まさに季節としてはいまごろである。

 「知床」。この漢字2文字と「シレトコ」というコトバの響きだけで、日常から脱却した気分になるのは筆者だけだろうか。知床の語源はアイヌ語の「シリエトク」(大地の果てるところ)だ。地図を見てもまさに「最果て」だと思うが、筆者を含め、この地を愛する人々の数はいかほどだろう。

羅臼岳拡大雪が残る羅臼岳。大型連休後だが、知床は遅い春真っただ中だった=03年5月、羅臼町
 大型連休も終わって初夏だというのに、羅臼岳にはかなり雪があり、川の水はとても冷たかった。羅臼岳のふもとを通る知床横断道路を通り、斜里町ウトロ側へ抜けると雰囲気が変わった。ウトロは知床観光の拠点であり、ホテルが立ち並んでいる。もっとも斜里町は広く、岩尾別方面へ向かうとすぐに「山と海だけ」になった。

 ◇トラストで「守る」から「育てる」

知床五湖拡大知床五湖。知床連山が湖面に映った。たまたま他に観光客がおらず、しばし静寂を楽しんだ=03年5月、斜里町
 2005年に国内では3番目に登録された世界自然遺産であるが、故・森繁久弥さんによって「知床旅情」が生まれてから、すでに50年を超え、単なる観光地とは一線を画するものがある。「知床旅情」の元となった「さらばラウスよ」。映画「地の涯(はて)に生きるもの」のロケ終了時、森繁さんが世話になった羅臼の人々の前で歌い上げたという曲だ。その後、加藤登紀子さんが歌い、大ヒットする。知床の知名度は上昇したが、開拓農家が離農した跡地の乱開発という危機がせまった。

 77年、知床の土地を乱開発から守ろうと、土地を買い上げる斜里町のナショナルトラスト「しれとこ100平方メートル運動」が始まった。「しれとこで夢を買いませんか!」のキャッチフレーズのもと、100平方メートルの土地購入費として1口8千円の寄付を募った。

 運動自体は20年後の97年に、参加者約4万9千人となり取得相当の金額(約5億2千万円)に達した。その後運動は「100平方メートル運動の森・トラスト」と名称を変更、「土地を守る」から「原生の森へと育てる」へと発展、1口5千円の募金額で現在も続いている。3月末現在の運動参加者は約6万5千人となっている。

 ◇地元の有志が魅力発信

シリエトクノート拡大「シリエトクノート」現在の最新号である第8号。表紙の写真は斜里町在住の山鹿裕司さん撮影の「イソヒヨドリ」。知床の海岸や岩場で見られる代表的な鳥だという
 地元から、独自の視点で知床の魅力の発信を始めた人たちもいる。

 斜里町の情報誌「シリエトクノート」は創刊して3年。地域の自然や文化、そしてそこに生きる人々の魅力を竹川智恵さん(30)、加藤宝積さん(41)、中山芳子さん(36)の3人の編集部員が伝えている。

 竹川さんは「雄大な自然はもちろんですが、知床にはこの自然を守り、育み、素晴らしさを次代に伝えていこうとしている人たちがたくさんいます。その恵みに感謝しながら暮らす人々の営みがあります。そんな『人』の存在が、知床の最大の魅力ではないかと思います」と話す。

 知床の魅力が自然であることは言うまでもないが、そこに住み、その自然を守り、育てている人たちがいる。一方、知床の自然も、我々人間に対して警鐘を鳴らし始めている。

《来週につづく》

(平井一生)