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ことば談話室

ワールドカップ――サッカー世界大会の代名詞への歩み

金子 聡

 20回目を迎えるワールドカップが、まもなく開幕します。4年に1度開かれる権威ある大会で、世界的な人気はオリンピックをしのぐとも言われます。今回の開催地はブラジル。日本からは地球の真裏になり、時差はちょうど半日。今からテレビ中継の時間帯を調べて寝不足を心配しているファンも多いのではないでしょうか。

 ……と書いてきましたが、「何のスポーツの話?」と疑問を抱く人は少ないのではないでしょうか。確かに「ワールドカップ」は様々な競技で開かれていますが、浸透度でいうと、サッカーに勝るものはないからです。

 ワールドカップがサッカー世界大会の代名詞になるまでの歩みを振り返ってみたいと思います。

 ◇「世界選手権」としてスタート

 サッカー世界一を争う最初の大会は、ブラジルの隣国ウルグアイで1930年に開かれましたが、規模や人気は今とは比べるべくもありません。出場したのは13カ国だけ。サッカーが盛んなヨーロッパからは船旅が必要で、4カ国しか参加しませんでした(リンドバーグによる大西洋単独無着陸飛行がこの3年前のことです)。日本でもまだマイナースポーツで、今から考えれば残念ですが、朝日新聞は第1回大会を1行も報じていません。

 正式な大会名は「ワールドカップ」ではありませんでした。ウルグアイがそれまで連覇していたオリンピックは「アマチュアの世界一決定戦」という位置づけだったため、この大会はプロを対象にした「世界選手権」として開かれました。大会ポスターにもウルグアイの公用語のスペイン語で「CAMPEONATO MUNDIAL DE FOOTBALL(サッカー世界選手権)」と書かれていました。

1933年3月2日付拡大第2回ワールドカップイタリア大会への不参加を伝えた朝日新聞の記事。1933年3月2日付
 第2回イタリア大会は独裁者ムソリーニの肝いりで開催されました。国際サッカー連盟(FIFA)による招待制だったウルグアイ大会とは異なり予選が行われましたが、朝日新聞ではその前年、33年3月2日付で「大日本蹴球協會理事會は(中略)昭和九年イタリーにおいて開催される第二回世界選手権大會は参加を見合せ」と、日本の不参加を報じました。これが朝日新聞に初めて掲載されたワールドカップに関する記事となります。

 初めてワールドカップの名が現れたのは、38年の第3回フランス大会です。大会創設を提唱したジュール・リメFIFA会長の母国ということもあってか、ポスターに「COUPE DU MONDE(ワールドカップ)」の名前が使われました。ところが、第2次世界大戦による中断を経て、その後また「世界選手権」と呼ばれた時期が続きました。朝日新聞の記事でも同様で、例外的に58年スウェーデン大会を報じたAP通信の配信記事で「ワールドカップ」が使われているだけです。

1958年6月24日付拡大朝日新聞で初めて「ワールドカップ」が掲載された競技はレスリングでした。1958年6月24日付
 ちなみに同じ年に、ブルガリアでレスリングのワールドカップが初めて開かれました。朝日新聞で最初に「ワールドカップ」と書かれたのは、サッカーではなくレスリングの大会だったのです。

 ◇トロフィー盗難事件が契機に

 61年初版の平凡社「国民百科事典」では、サッカーの項に次のような説明があります。

 ――欧州や中、南米では競技者数も観衆も圧倒的に多い関係から、プロフェッショナル・サッカーが盛んで、国際オリンピック大会やアジア競技大会のサッカーはアマチュア競技であるが、FIFA主催の世界選手権大会で活躍するのはプロフェッショナルと東欧圏諸国のみの感がある。――

 この項の筆者は竹腰重丸(たけのこし・しげまる)。東京帝国大学ア式蹴球部(サッカー部)出身で、日本代表が国際大会で初優勝(中国と同率)した30年の極東選手権で主将を務め、後に日本代表監督や日本蹴球協会(現・日本サッカー協会)理事長も務めた、日本サッカー界の草分けです。これほどの人物による文章でも「ワールドカップ」ではなく「世界選手権」と書かれていました。

1966年3月28日付拡大ロンドン大会前のトロフィー盗難事件解決を伝えた記事。1966年3月28日付
 こうしたなか、ロンドンである事件が起こりました。66年、イングランド大会を前に展示されていたトロフィーが盗まれたのです。第1回から使われ、大会創設を提唱したFIFA会長にちなんで「ジュール・リメ・トロフィー」と呼ばれていたこのトロフィーは、ほどなく郊外の民家の庭で、住人の男性と愛犬によって無事発見されました。

1966年3月29日付拡大盗まれたトロフィーを見つけたのは犬でした。1966年3月29日付
 このてんまつを伝えた朝日新聞の記事には「世界サッカー選手権の優勝トロフィー、ワールドカップを取戻した」とあります。まだ「ワールドカップ」は大会名ではなく、優勝トロフィーを表す言葉でした。

 ちょうどそのころ日本では、釜本邦茂選手が世界に通用するストライカーに成長し、68年メキシコオリンピックで銅メダルを獲得。東京12チャンネル(現・テレビ東京)系で「三菱ダイヤモンドサッカー」の前身にあたる番組が始まり、サッカー人気の裾野が広がり始めます。残念ながら釜本選手の体調不良もあって2年後のメキシコ大会出場はかないませんでしたが、それまで予選参加すらままならないほど遠い存在だったワールドカップが、現実的な目標に変わっていくきっかけとなりました。

 そのメキシコ大会でブラジルが通算3度目の優勝を遂げ、ロンドンで盗難騒動に巻き込まれたトロフィーが永久授与されることになりました。次の74年西ドイツ大会で2代目が作られ、新しいトロフィーと大会名がともに「ワールドカップ」と正式に定められました。

1974年7月7日付拡大他局は選挙特番一色の中、東京12チャンネル系は西ドイツ大会決勝を中継。1974年7月7日付
 これにあわせて朝日新聞の紙面からも「世界選手権」の文字が消え、「ワールドカップ」一色に変わりました。地元西ドイツがオランダを下した決勝戦は、参院選投開票日の深夜から翌日未明にかけて、東京12チャンネル系で「'74ワールドカップサッカー・決勝」と題し、日本で初めて生中継されました。

 その後、Jリーグ創設や「ドーハの悲劇」を経て98年フランス大会に初出場を果たすまで日本代表が力をつけていくにつれ、国内でのワールドカップの知名度も高まっていきました。「広辞苑」にはちょうどフランス大会の年に出版された第5版から掲載され、サッカーやスキー、バレーボールなどの国際選手権大会と説明されています。とはいえスキーやバレーには別に世界選手権があり、今ではインターネットで単に「ワールドカップ」と検索すれば、サッカー関連のページが上位を占めます。

 世界選手権として開かれた第1回から84年。ワールドカップがサッカーの祭典の代名詞となっていった背景には、こんな歴史がありました。

(金子聡)