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ことば談話室

そして一番星は消えた

平井 一生

◇時刻表に見つけた流れ星

拡大青函トンネルを前に小休止する「北斗星」。最後部の車両は巻き上げられた雪でこんな「表情」になる。 赤いテールランプとも、もうじきお別れ。「お疲れさま」と言いたくなる=函館駅、いずれも平井一生撮影
 「一番星」。「広辞苑」では「かつて菅原文太が演じた主人公が映画中で使用したトラックおよび主人公の愛称」と書いているはずもなく「夕方、一番はじめに輝き出す星」、とある。天文少年ではなかったが、夕焼け空にキラリと光る星は子どものころからよく見上げていた。


 今回も鉄道ネタにおつきあいいただきたい。子どものころ、その星を時刻表のなかに見つけたときのことはいまでも覚えている。寝台列車を示す流れ星マーク。筆者が小学生のころの1970年代には時刻表のあちこちに星が輝いていた。交通網の整備が進んだことや、車両の老朽化などで次第に数が減り、昨春、国鉄時代から走り続けてきた寝台特急「あけぼの」が定期運行を終了した。そして寝台特急「北斗星」が13日発を最後に定期運行を終えたことで、約半世紀にわたる「ブルートレイン」の歴史に幕が下りた。

 「ブルートレイン」という言葉はご存じの方がほとんどだろう。明確な定義があるわけではないが、「その筋」では、「青い車体の寝台客車をいつも同じように並べて(固定編成)走らせる特急列車」とされている。したがって、今回のJRダイヤ改定で廃止となった「トワイライトエクスプレス」や、現在も運用中の「カシオペア」、「サンライズ瀬戸・出雲」はブルートレインではないとされる。1958年、「あさかぜ」に固定編成の青い車体が導入されたのをきっかけに呼び名が生まれ、70年代後半には大ブームとなった。北斗星は青函トンネル開業に合わせて88年に誕生、それまでの夜行列車とは異なり、豪華な個室やフランス料理が味わえる食堂車が目玉だった。

◇栄光の「1」列車

拡大国鉄監修・交通公社の時刻表1977年1月号。筆者は10歳。当時の一番星は「さくら」。 山陽新幹線の博多開業から2年後だが、ブルートレインは全盛期で、さくら以降、数多くの流れ星が西へ向かっていた
 「列車番号」というものがある。時刻表を見ていただくとページ上方の欄に「列車番号」という項目があり、307M、879Mなどと書いてある。数字+アルファベットで表記されており、基本的には数字の後のDは気動車、Mは電車を示し、北斗星など、機関車が客車車両を引っ張るものはアルファベットがつかない。これを「客車列車」というが、現在は絶滅に近い状態となっている。北斗星の列車番号は、上野発下りは「1」、札幌発上りは「2」。1という列車番号は、かつては「富士」「つばめ」「さくら」など日本を代表する列車につけられていた。北斗星は運行開始から由緒ある「一番星」を背負い、走り続けてきた。

拡大楽しく談笑中のところにお話をうかがった。「北斗星」のツアーでたまたま同じボックスになったという2組のご夫婦。左から三浦博文さん、三浦洋子さん、鈴木智子さん、鈴木常弘さん=札幌-南千歳間を走行中の「北斗星」車内
 これまで幾度となく北斗星を利用してきたが、昨春のあけぼのに続き、先日「お別れ乗車」を行った。あけぼの取材時と同様、2段ベッドが向かい合わせに並ぶ開放式B寝台を選んだ。昔ながらの夜汽車の醍醐味(だいごみ)を味わうには最高だ。近くのボックスに談笑している御夫婦がいたので、話をうかがった。


◇自らの人生を重ねて

 東京・東久留米市の三浦博文さん(60)は「北斗星の3月定期運行廃止の報道を知り、乗車を諦めかけていましたが、今回乗ることができて幸運でした。男のロマンといえばお恥ずかしいのですが、鉄路を走る北斗星に定年を迎えた自分の人生を重ね、その節目の一コマとして最高の思い出となりました」。奥さんの洋子さん(59)は「車内の年季の入った設備で、北斗星が走り続けてきた日々と私たちが夢中で仕事と子育てをしてきた月日とが重なり感慨深いです」と語った。

拡大車窓を眺める鈴木常弘さん。「のんびり時間をかけて行く旅はいいものですね。この列車がなくなってしまうのは寂しいです」=南千歳付近を走行中の「北斗星」車内
 横浜市の鈴木常弘さん(70)と奥さんの智子さん(70)は「北海道新幹線の工事も進んでいるようで、近くなるんでしょうけれど、私たち年寄りには、狭い日本、そんなに急いでどこ行くの、といった心境です」。
 旧知の御夫妻同士に見えたが、たまたま同じボックスになっただけだという。


 JR北海道・札幌車掌所の車掌、斎藤洋治郞さん(35)は「北斗星は夜行列車ということもあり、お客様が同じ空間で長時間ご利用になるので、B寝台の場合は空調管理や車内でのトラブルに気をつけながら、こまめに車内を巡回しております。また、下り列車に乗務の際は、車窓から見える景色のご案内をしたり、記念撮影のお手伝いをしたりするなど、北斗星での旅を楽しんでいただけるように心がけながら乗務しております」と話す。

◇「ブルートレインの完成形」

拡大鈴木周作さんの著書。カバーのイラストは「津軽海峡の朝陽」
 このたびの北斗星の定期運行終了にあたって、ぜひ話を聞きたかった人がいた。イラストレーターの鈴木周作さん(42)である。人生の節目に北斗星に乗車、のち、北斗星は、自分と向き合う場となり、アトリエとなり、題材の一部となり、人生の一部となった。このほど、その顛末(てんまつ)を「『北斗星』乗車456回の記録」(小学館新書)にまとめた。


 鈴木さんはその著作のなかで、北斗星という列車について、「ブルートレインの完成形」と表現している。1958年、あさかぜに始まった歴史が、北斗星で、設備面でも、寝台のバリエーションでも、サービスでも最高の水準に達した。完成形と思う理由は、北斗星という列車が「実用」として評価できる存在だから。もちろん、寝台列車の旅自体に特別な価値を見いだすことを否定するつもりはまったくない、とつづる。「しかし、その魅力の根源は、あくまで『移動』という実用のために造られたことから発していて欲しい、という思いがあるのです」と述べている。

 鈴木さんは今回の北斗星定期運行終了で、多くの取材を受け、思いを尋ねられた。筆者もうかがうと、「申し訳ないのですが、一言で言えるものではありません」とのお答えをいただいた。「個人的には、旅情うんぬんというより移動の選択肢が減るという点で、不便を強いられることにはなると思います。しかし、これまでずっと北斗星を見続けてきて、北斗星をとりまく環境や置かれた立場を理解しているだけに、『残してほしい、残すべきだ』とは私の口からは到底言えません。ラストランを見届けた今の心境も『残念、寂しい』といった感覚とはやっぱり違うような気がします」

◇豪華列車隆盛の陰で

 JR九州の「ななつ星in九州」が大人気だ。それに触発されてか、JR各社はクルーズトレインを企画し、JR西日本は2017年春から「TWILIGHT EXPRESS瑞風」、JR東日本も「TRAIN SUITE四季島」という周遊型列車の運行を予定している。「列車に乗ること自体を楽しむ」。けっこうなことだと思う。筆者のような「乗りテツ」がまさにそうだ。しかし、だからといって、従来型の夜行列車がなくなってもいい、ということにはならない、と思う。

 移動の手段に過ぎなかった夜行列車。1958年当時、ブルートレインとなり、豪華列車といわれたあさかぜでも寝台の主流は、幅は52センチしかなく、しかも3段式だった。その後、幅70センチの2段式が主流となり、手軽に利用できる個室等が生まれたものの、寝台列車はあくまで「寝るだけ」だった。個室寝台がメインで、車内で本格的なフランス料理が食べられるようになったのは北斗星誕生からである。ブルートレイン誕生から30年たって、やっと完成形ができた。その完成形は栄えある一番星を継承したが、今夏で役目を終えようとしている。

拡大青函トンネル区間の主、ED79形機関車。長年の間、湿気が多く、勾配が連続するトンネル内を走ってきた。赤い車体は青い寝台特急との対比が美しかった。このカットだけは2年前の冬に撮ったもの。定期運行終了が発表される前で、まだ、のんびりした夜汽車の雰囲気が楽しめた=函館駅
 ここ数年、この季節に、毎夜輝く星が消えていった。人間の生活は夜型が隆盛し、夜行バスが増加する一方で、鉄道では時代の趨勢(すうせい)とはむしろ逆のことが起こっている。もっとも、夜行列車の運行サイドが民間企業であるかぎり、採算性を考えるのは当然だ。運行終了にするからといって安易に非難されるべきものではない。それでも、しかし、と思う。在来線を走る夜行列車の廃止は、利用者にとって交通機関の選択肢の減少を意味する。時代が進むにつれ、選択肢がなくなっていくことを嘆かわしく思うのは筆者だけであろうか。

 北斗星は今後も、4月以降8月下旬までは走り続ける。しかし列車番号は臨時を表す8000番台の「8007」(上野発)と「8008」(札幌発)となり、栄えある「一番星」は流れ去ってしまった。

(平井一生)

(次回は4月23日に掲載する予定です)