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ことば談話室

はるかなる流氷原を求めて

平井 一生

拡大冬の知床の天候はさまざま。昨年のフライトでは、知床の山々の向こうに国後島がかすんで見えた=2014年2月27日、知床岬沖のオホーツク海上、筆者搭乗の海自機から、いずれも平井一生撮影
 子どものころからあまりテレビを見ない筆者だったが、いまでも心に残っているCMがある。
 大滝秀治による「流氷を故郷とした人々がいた」というセリフで始まるナレーションが流れ、宇津井健と二宮さよ子が寒さをこらえて流氷を眺めているシーンが映る。当時中学生だったが、これをきっかけに流氷に興味を持つようになった。それとともに北の大地に憧れ、これまで幾度となく北海道を訪れた。
 「流氷」は筆者にとってこだわりのあるテーマで、「流氷」という言葉自体を見聞きするとなんともいえなくなる。「流氷」という言葉の定義や、「流氷」と「海氷」の違いについては以前、小欄に拙稿を出した。


◇海自の海氷観測に同乗

 網走地方気象台は7日、同気象台から流氷を見ることができた最後の日「流氷終日」が3月8日だったと発表した。平年より34日、昨年より53日早く、1946年の統計開始以来最も早かった。紋別市も同日、流氷終日を3月15日と発表した。平年より17日、昨年より22日早かった。
 「流氷終日」、「海明け」、流氷に関連する言葉はさまざまだが、いずれも春の到来を喜ぶ、すてきな表現だと思う。目視できる流氷が海面の5割以下になり、船舶の航行が可能となる「海明け」であるが、流氷の状況は空からも海上自衛隊の航空機などが観測活動を行っている。

拡大旋回中のコックピットからみた海面。開氷面が多く、例年より流氷の量は少ない印象を受けた=2015年3月4日、オホーツク海上
 ここ数年、海上自衛隊のP3C哨戒機に搭乗する機会があり、冬のオホーツク海上を飛んでいる。今年は3月初旬、報道関係者向けに海氷観測のもようが公開され、日本の最北端のP3C部隊、第2航空群第2航空隊が配備されている海上自衛隊・八戸航空基地を訪れた。海氷観測は気象庁に対する業務支援として、1960年から半世紀以上にわたり実施されているもので、船舶の航行、漁業の操業の安全に貢献している。哨戒とともに第2航空群の任務だ。筆者が搭乗した今年3月4日時点で、観測回数は累計1085回に達している。第2航空隊司令の金嶋浩司・1等海佐(45)は、海氷観測任務のやりがいについて「海氷の分布や密度等を観測することは、北海道周辺海域における海上交通路の安全確保に直結するものであり、重要な任務と認識しています」と話した。


拡大操縦中の植村裕太2等海尉。悪天候で視界が悪い中、流氷が見える地点を探して飛んでくれた。哨戒機パイロットの技量を体感できたフライトでもあった=2015年3月4日、オホーツク海上
 曇りの天候のなか、離陸した。函館、旭川上空を通過後、1時間ほどでオホーツク海に出た。ルートは例年どおりだが、こんなに視程が悪いのは初めてだ。写真は僚機と流氷をからめた絵柄にするつもりだったが、視界が悪いので、流氷自体が見にくく、操縦するパイロットも視界が良いところを探して飛んでくれたが、今年は国後島はもちろん、知床の山々も見えなかった。しかし、見える範囲での感想だが、心なしか流氷の量が少ないように感じた。


◇今季の面積は最小

 フライトに先立ち、北海道立オホーツク流氷科学センターの桑原尚司さん(39)に、今シーズンの流氷状況をうかがったところ、筆者フライト時点までの状況を教えていただいた。
 「今シーズンの流氷は、気象庁によると、昨年11月以降、オホーツク海北部の気温が平年より高かったためオホーツク海全域の海氷域面積は昨年12月、1月と平年より小さく経過しました。しかしオホーツク海南部では北寄りの風が続いたため紋別市の流氷初日は平年より8日早い1月15日、網走市では平年より9日早い1月12日となりました。また、接岸初日は紋別市で平年より3日早い2月3日、網走市では平年より14日早い1月19日となりました」
 「その後のオホーツク海全域の海氷域面積は、2月10日以降、この時期としては、1971年の統計以来最小の面積で推移しています。これは停滞した低気圧により暖かい東寄りの風が吹き、海氷が解けたり、西側に吹き寄せられたりしたことが原因だと考えられています」

拡大北浜駅の海岸に到来した流氷。厳密には海岸にくっついているので定着氷か。校閲の仕事は、いわゆる社会通念と厳格な言葉の定義の間でもがき苦しむことでもある(笑)。約10年前になるが、このころはまだこれくらいの流氷を簡単に目にすることができた=2004年3月6日、北海道網走市北浜
 ここ数年、空からも、地上からでも、「流氷が減ったな」と実感することが増えた。網走市のJR北浜駅にある喫茶店「停車場」。窓からはオホーツク海が見える。筆者がまだ20代のころ、初めて流氷を見たのがこの場所だ。それから幾度となく訪れている。還暦を超えたマスターの藤江良一さんは、この地で生まれ育った。数年前、話をうかがいながらコーヒーを飲んだ。「流氷が鳴かなくなったよ」と話してくれた。「流氷が鳴く」。風や海流の作用で、密集した氷が擦りあって、「キュー、キュー」などという音が出る。「流氷鳴き」という言葉もある。「昔の流氷は厚みがあった。ひしめいていろんな音を出したよ」


◇「海からのすばらしい贈り物」

 オホーツク海の流氷は、はるかシベリアから流れてきたものと思われているかもしれないが、北海道のオホーツク海沿岸の海水も凍って流氷となっている。「流氷博士」として知られた青田昌秋・北大名誉教授から流氷生成のしくみについて、4年前に話をうかがった。まず、「流氷」が「広い意味で、岸に定着している氷(定着氷)以外のすべての海氷」であるとの定義を教えていただいた。「オホーツク海沿岸の気温が上昇していることが沿岸でできる流氷の減少につながっていると考えられます。沿岸周辺の気温が現在より4度上昇すれば、地元産の流氷は生まれなくなります」
  同じ長崎県生まれということもあってか話が弾み、「流氷は温度センサーでもあるんですが、それだけではなく、知床の生態系を作っている食物連鎖を支えているんです」など、さまざまな観点から流氷について語っていただいた。最後には、「流氷は海からのすばらしい贈り物ですよ。このことを、将来を担う子どもたちに伝えてください」と言われた。その翌年、鬼籍に入られた。
 研究仲間や同僚らが思い出をつづった本を昨年、妻の亮子さんから送っていただいた。タイトルは「海は母、流氷は友」。青田さんがいつも口にしていた言葉だという。

 中学生で流氷に関心を持ち、20代で実際に流氷に接して感動した若者も来年で50歳になる。遥(はる)かなる流氷原を求めて、おそらく今後も北の大地を訪れる。

(平井一生)