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人権・校閲

こちら人権情報局

障害ではなく、家族を描いた

門田 耕作

■「自分の中に差別意識があった」 映画「ちづる」監督語る
 自閉症の妹を、大学の卒業制作で撮った赤崎正和さん(23)のドキュメンタリー映画「ちづる」が、東京都中野区のポレポレ東中野などで上映されています。新聞各紙が取り上げ、「ぴあ」が新作映画の公開初日(10月28、29日)に調査した「満足度ランキング」で1位になるなど、反響を呼んでいます。

拡大上映後のトークショーで「ちづる」誕生秘話などを語る、左から池谷薫特任教授、赤崎正和監督、田中雅史さん
 11月12日、ポレポレ東中野での午前と午後の上映後2回、赤崎監督と「ちづる」上映委員会の田中雅史さん(22)=立教大学コミュニティ福祉学部4年=が、ともに障害者を兄弟姉妹に持つ「二人の『きょうだい』によるぶっちゃけ☆トークショー」をし、障害を持つ妹、姉のこと、障害者をとりまく社会のことなど、本音で話してくれました。合間にインタビューに応じてくれた話なども盛り込んで紹介します。

 赤崎さんの二つ下の妹千鶴さん(21)は1歳11カ月で自閉症と診断され、3歳の時に知的障害のあることがわかりました。映画は、千鶴さんの日常と、千鶴さんに日々体当たりで向きあう母久美さん(51)の映像を中心に進みますが、カメラを通して自閉症である妹と初めて正面から向きあった監督自身の「カミングアウトムービー」でもあるといいます。

 赤崎さんが小学生のころ、「シンショー(身障)」という「身体障害者」を縮めた言葉がはやっていました。障害者を指すのではなく、アホ・バカ・ドジ・マヌケと同じようなニュアンスで、ののしるときに使われていたそうです。そんななか赤崎さんは、仲よくなった友達に妹の話をしたときに、「そんなこと聞いてごめん」などと言われて気まずい雰囲気になってしまったといいます。「妹のことは話してはいけないんだなあと、いつも話題をそらしてやり過ごし、無意識的に人と壁を作っていた」そうです。

■妹のことカムアウト

 映画で妹が自閉症だとカムアウトしたのは「その壁を乗り越えたい、卒業するから言い逃げできるなと思って」と、対談でははにかんで話しましたが、「映像の力を借りて障害という言葉の持つネガティブな重さを乗り越え、ありのままの妹の姿を伝えたい。ひとりでも多くの人に観てもらえる作品を作ろうと制作に取り組みました」と映画パンフレットには監督らしいコメントも載せています。

拡大「ちづる」のパンフレット。裏表紙(右)の絵は千鶴さんが描いたもので、中には「ちーちゃんギャラリー」のページもある
 「障害者がいるということは、友達にとっては、大変な、かわいそうなおうちというネガティブな重さを持つんだろうな」と感じた赤崎さんは、実際は家ではおもしろおかしいことがたくさんあることを伝えることで、そのギャップを乗り越えたいと思ったのです。

 赤崎さんの立教大学時代の指導教官で「ちづる」のプロデューサー、映画監督でもある立教大学現代心理学部映像身体学科の池谷薫特任教授は「ドキュメンタリーで大事なのは『変化』を撮ること」で、「ちづる」はその変化が「成長」として現れた、とパンフレットに寄せています。赤崎さん自身は撮影を通じてどのように「変化・成長」したのでしょうか。

 「一番大きい変化は、自分の中に差別意識があったことに気づいたこと」だそうです。最初、千鶴さんの障害を伝えたいと思った赤崎さんは、障害者とわかるシーンをつないで妹の日常を見てもらえば、わかってもらえるのでは、と思っていたのですが、素材を見せた池谷先生に「これはお前ら家族3人の話だ」と言われ、ずっと納得がいかず平行線だったといいます。

 編集の終盤にさしかかっても意見がぶつかりあい、「もうだめかも」と思ったときでした。「なんでそんなに障害にこだわるんだ。普通の家族3人にしか見えないのに。差別しているのはお前じゃないのか」。思いがけない池谷先生の言葉に、改めて自分と妹と母親と3人で写ったシーンを見たとき、やっぱり「障害者のいる家族」にしか見えない、フィルターを通して見ている自分に気づかされたといいます。

 確かに、町で障害者を見ても「あの人大丈夫だろうか」と特別な目で見ていたし、ボランティアサークルに入っていたのに障害者に会いに行くという感覚だった、障害者を自分より下の、助けを必要としている人といった目線で見ていた――。「シンショーと言う友達に怒りを感じていたのに、実は僕も差別の目をもっていて、一人の人として見ていなかったことに気づき、先生の前で大泣きしたんです」と赤崎さん。

 そのときから、障害を描くのではなくキャラクターを描こう、きちんと家族を描こうと思い直し、妹も一人の人として見ようと思うようになったといいます。するとどうでしょう。最初は警戒心のあった千鶴さんが、自然体でカメラの前に立ってくれるようになりました。赤崎さんの母久美さんはパンフレットにこう書いています。千鶴さんは最初、カメラを持ってつきまとう赤崎さんを嫌がっていましたが、「いつの間にか兄に撮られることが千鶴の日常に溶け込んでいき、撮られるのを楽しむようになっていく。ふたりとも、小さな子供だった頃の距離感が戻ってきたような感じだった」。

 赤崎さんが自分を受け入れてくれたことを千鶴さんは敏感に感じ取ったのでしょうか。すると「ちづる」は、赤崎さんが当初思っていた映画とは全然違う、クスッと笑える明るい家族の映画に変わっていったそうです。

■当たり前の日常

 田中さんは、3歳上の姉真紀さん(25)が知的障害者です。田中さんも同様に、いいやつだと付き合っていた友達から出た「シンショー」という言葉にさいなまれたそうです。「差別意識があるとかいう以前の問題で、理解がない、知らない。最近は知的障害を『チショー』という人もいるくらいで、怒り、悲しみを通り越して、ああ、こいつもこのレベルの人なのか、と諦めてしまう」と言います。

 それで壁を作ったのが赤崎さんなら、とにかく言っていかなきゃダメだと言い続けたのが田中さんです。「うちの姉ちゃん知的障害なんだけど、これだけおもしろいって。だって当たり前にうちの姉ちゃんですから」

 田中さんは最初に「ちづる」を見て赤崎さんに感想を聞かれた時、「何も感じなかった」と伝えたそうです。それは、ケースこそ違え「ちづる」で描かれていることが、田中さんにとってあまりにも当たり前すぎる日常だったからです。障害者の「きょうだい」、同じ境遇にいる根幹の部分でつながりあえる、「わかってくれる」と思ったからです。それに対して赤崎さんは「ああ、そういう映画作りたかったんだよね」と喜んでくれたといいます。田中さんが、この映画の上映委員会に加わるきっかけでした。

 「ちづる」は赤崎さんの家族の日常を淡々と描いた映画です。池谷先生は「ほかの家庭よりもちょっと濃い日常かも知れないが、しっかりしたお母さんがいて、チャーミングな妹がいて、ちょっとマヌケな兄貴がカメラ構えていて、という構図がおもしろかった」と言います。赤崎さんは「一緒に家にいる感覚で撮れば、おもしろい雰囲気も伝わるのかなあと、ナレーションなども説明的にするのではなく、自由に感じられるように作った」そうです。田中さんは観客として「目の高さ、距離など、千鶴さんとお母さんが相対する空気がそのまま伝わってきた」と、改めて感想を述べました。

拡大赤崎監督の母久美さんの著書「ちづる――娘と私の『幸せ』な人生」(新評社)。千鶴さんの成育歴をつづったブログなどからの抜粋に加えて、映画制作の裏話や赤崎監督を紹介した朝日新聞ひと欄の筆者川上裕央記者とのやりとりなども書き下ろされている
 映画の最初に、千鶴さんが大ファンのタレントから年賀状が来たと、大喜びするシーンがあります。千鶴さんは女優になるのが夢だったそうです。千鶴さんは、自分が主人公になった映画「ちづる」をとても気に入っているそうで、赤崎さんが「ちーちゃんが主役の映画だよ」というと、喜ぶようになったといいます。娘は「女優」に、息子が「映画監督」に、それぞれなりたかったものになれた――久美さんはパンフレットに書いています。「ふたりとも、その途方もない夢をこの映画で叶えたことになり、母として感無量なのである」

■福祉の現場で考える

 赤崎さんはいま、東京都内の知的障害者施設の職員として働いています。「ちづる」を撮ったことによるもう一つの大きな「変化」です。カメラの向こうの妹の将来がどうなるのか、福祉の現場に行って働きながら考えていこうと決めたといいます。そして、自分の中の差別意識に気づいたことは、いまの福祉の現場でとても大事だったと思っているそうです。卒業後の進路について母久美さんと口論になるシーンが映画の中にも出てきますが、それはまさに赤崎さん自身の「変化・成長」過程を映し出しています。

 池谷先生は、この映画を「永遠の未完成映画だと思っている」と言います。赤崎さん、千鶴さん、母久美さんの3人はずっと家族だからです。「ドキュメンタリー作家として次に期待するのは、「やはり縁を切り結んだ人の人生に深く分け入って行くような作品」だそうです。福祉の現場で出会ったすばらしい人、おもしろい人を描いた作品が見られるのもそう遠くないかもしれません。

(門田耕作)

 ※映画「ちづる」の上映スケジュールなどは公式サイトの「劇場情報」などから確認できます。東京、神奈川、北海道で上映中で、今後大阪、京都、福岡でも上映する予定です(11/26現在)。