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人権・校閲

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「女流」の時代の終わり

 「ずっと『写真家』ではなく『女流カメラマン』と呼ばれ続けました」。大石芳野さんの言葉です(読売新聞1月12日「女はバカにされていた 時代の証言者 写真で伝える 大石芳野7」)。「女は失敗する。信頼できない。失敗すると、すぐに泣いてごまかす」と言われたそうです。女性は一人前の仕事の相手として認められていなかったことを表しています(大石さんが写真家として活動を始めたのは1966年ごろ)。

 時は流れて、昨年末には、「女流文学者会」が活動の幕を下ろすというニュースが報じられました(東京新聞12月31日「『女流文学者会』活動にピリオド」)。1930年代に「男性が主流だった文壇で、女性作家同士の研さん、交流などを狙いに結成された」ものでした。実態としてはすでに休会状態だったようで、朝日新聞には2007年9月13日に「女流文学者会70年で幕」という記事が載っています。

 最後の会長となった津島佑子さんが「女の物書きがマイノリティーだった時代には大切な基地だった」と述べているように、かつては少数派でしたが、最近は芥川賞や直木賞の受賞者数を見ても男女の差がなくなりつつあります。

 文芸評論家の田中和生さんは、「山田詠美さんまでだと、ぎりぎり『女流』という言葉が生きている時代だと思うんです。一方、多和田(葉子)さんや川上(弘美)さんには、男性に対抗して、という意識を感じられない」と述べています(毎日新聞2010年3月23日夕刊「今、文芸時評に求められるもの」)。山田さんは1987年に直木賞受賞、多和田さんは92年、川上さんは96年に芥川賞を受けています。このあたりが分岐点なのでしょうか。87年は芥川賞と直木賞の選考委員に初めて女性が登場した年でもあります。

 朝日新聞の紙面でも、88年ごろから「女流作家」より「女性作家」が多く使われるようになっています。現在では、引用や固有名詞などを除く地の文で「女流作家」が使われることはほとんどありません。

拡大昨年11月、将棋の倉敷藤花戦で4連覇した里見香奈女流三冠。今年1月には奨励会初段に昇格した
 東京新聞のコラム「大波小波」(1月10日夕刊)は、「これからはもしかすると『男流』の方が珍重される時代になるかもしれない」とまで書いています。

 一方で、「女流」の名称が根強く残っているのが将棋の世界です。プロの四段以上である「棋士」に対して、同じプロでも「女流棋士」は別枠扱いです。女性の「棋士」はまだいません。実力でこの壁を破るのではないかと期待されているのが、1月7日に棋士養成機関「奨励会」で初段に昇格した里見香奈さんです。

 奨励会は「男性153人に対し、女性は5人」(読売新聞1月13日「顔 里見香奈さん」)と、まだ少数派ですが、女流棋士や女性のアマチュアの数は増えています。裾野が広がることで、男性と対等に戦えるトップレベルの女性が現れることが期待されます。

 プロの「女流棋士」の公式戦が始まったのは1974年のようです(朝日新聞1974年11月1日「将棋に女流名人戦 新プロ五人誕生で実現」)。それから40年近くがたっています。「女流文学者会」は約70年で役割を終えましたが、「女流棋士」の名称がなくなるのは何年後のことでしょうか。