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人権・校閲

こちら人権情報局

アイヌ副読本「修整問題」は「日本人問題」

門田 耕作

■発行を延期、いまだ配布されず 

 財団法人「アイヌ文化振興・研究推進機構」(札幌市)が発行してきた小中学生向けの副読本「アイヌ民族:歴史と現在」が今年度、まだ子どもたちに配布されない事態が続いています。財団が「誤解をまねく恐れのある表現を修整」するために発行を延期、新しい編集委員を選んだうえで、新しく副読本を作り直そうとしているからです(朝日新聞4月14日付北海道版)。これに対し、現行副読本の編集委員やアイヌ当事者らが「アイヌ民族に対する差別であり加害の歴史の改ざんに他なりません」と声を上げました。

アイヌ副読本拡大小中学校向けのアイヌ副読本。手前が小学4年生用

 この副読本は、アイヌ文化振興法に指定されたアイヌ研究や文化振興、理解促進などを行う唯一の法人である同財団が2001年度から毎年春、全道の小学4年生と中学2年生向けに発行、全国の公立市町村教委などにも送っているものです。

 

 いったいどのような「修整」がほどこされたのでしょうか。財団のホームページに掲載されている小学生用の修整箇所の一つを、現行と修整案の記述を並べて見てみましょう。

 

 【現行】1850年ころ、北海道のほとんどの場所に、アイヌの人たちが住んでいました。しかし、1869年に日本政府は、この島を「北海道」と呼ぶように決め、アイヌの人たちにことわりなく、一方的に日本の一部としました。そして、アイヌ民族を日本国民だとしたのです。しかし、日本の国はアイヌ民族を「旧土人」と呼び、差別し続けました。

 

 【修整案】1869年に政府は、それまで蝦夷地と呼んでいた島を「北海道」と呼ぶように決めました。この時、北海道には多くのアイヌの人たちが住んでいましたが、政府はアイヌの人たちを「平民」として戸籍を作り日本国民にしました。しかし、アイヌの人たちを「旧土人」と呼び差別的な扱いをしました。

 

 双方を比べると、「北海道」と呼ぶようになる以前からアイヌが多く住んでいたという最初の一文と、「アイヌの人たちにことわりなく、一方的に日本の一部とし」という現行の部分が、修整案では削除されています。また、「差別し続けました」は「差別的な扱いをしました」となっています。

 

アイヌ集会拡大副読本の執筆者・編集委員らでつくる「アイヌ民族副読本問題を考える会」が開いた集会=5月14日、札幌市中央区
 財団は「修整」の理由を、「北海道が日本の領土となった時期は明確となっていないため」と説明していますが、現行副読本の執筆者や編集委員たちは「アイヌ民族の先住という北海道の歴史の根幹に関わる」とし、「ことわりなく一方的」という部分については「歴史学でも常識」(小野有五北海道大学名誉教授)であり、初版本からある記述で「削除する理由は存在しない」、「道民・国民がアイヌ民族の歴史や文化を正しく学ぶ権利を侵害しようとする行為」と抗議したことを朝日新聞北海道版は報じています(5月3、15、17日付)。

■「先住の歴史を改ざん」と怒り

 北海道新聞も、編集委員会のメンバーの一人が「和人が先住民のアイヌ民族から北海道を奪ったという事実を弱める内容で、歴史の改ざんだ」と憤り、萱野茂二風谷アイヌ資料館の萱野志朗館長も「政府が北海道を一方的に日本の一部にしたのは、歴史研究から明らか。執筆した編集委員の表現の自由も侵害している」との談話を掲載しました(4月12日付)。

 

 国連は2007年9月、先住民族の権利宣言を採択し、日本でも08年6月、アイヌ民族を先住民族として認めて関連する政策を推進するよう政府に求める国会決議が、衆参両院で全会一致で採択されました。決議を受けて当時の官房長官は「北海道的に言うならば、昔からこの地はアイヌ民族の土地だった。素直に言えば、先住民族であると政府として考えているということだ」と記者会見で述べています(朝日新聞08年6月6、7日付)。

 

 また、中学生用のアイヌ福祉対策についてのところでは、アイヌが日本各地に住んでいるにも関わらず「この政策は国ではなく、北海道が行うため、これらの制度は北海道内だけで実施されるという矛盾を生んでいる」とあった記述を、「これらの制度は北海道内だけで実施されている」と修整することが示されています。

 

 財団は「より客観的な記述とした」とホームページで説明していますが、これに対し旭川アイヌ協議会などが4月26日付で文部科学大臣などに提出した「抗議並びに申し入れ」は、「アイヌ民族の独自の存在を否定し、また現行のアイヌ対策の国による差別制度の責任を棚上げするもの」と懸念を表明しました。

 

 修整箇所は小学用で6カ所、中学用で5カ所あり、中には用語の正確を期するという点では「修整」が検討されていいものもありました。しかし、「抗議並びに申し入れ」は、道議会の質疑で内容に関する指摘があったことを受け、アイヌ民族当事者や教育実践を積み重ねてきた教員で構成された編集委員会を開かず記述を修整してしまったのは、「歴史を逆戻りさせるような主張と政治的圧力」に、自治体と財団の責務を放棄したとも批判しています。

■「誇るべき文化、正しく伝えて」首都圏からも

チノミシリチセ拡大大地の恵みに感謝し、人びとの幸福を祈るアイヌの祭り「チノミシリカムイノミ」。アイヌ家屋チセの中で火の神に稗(ひえ)酒を捧げた=5月26日、旭川市の嵐山公園

 今回の「修整」問題を日本の歴史観の問題ととらえ、首都圏のアイヌ関係団体も動き始めました。5月25日には東京アイヌ協会の会員や、足立区内を中心にアイヌ民族の権利回復の支援活動をしているアイヌ・ラマット実行委員会共同代表出原昌志さん(57)らが札幌の財団と道庁を訪れ、3月27日付で財団が全国の教育委員会に修整を通知した文書の撤回と、財団のホームページに掲載している修整の経緯などを説明した部分の削除などを求めました(朝日新聞5月26日付北海道版)。上記のような修整の理由が、アイヌ政策を推進する公的機関の公式見解として残ることを懸念するからです。

 

 出原さんは「副読本の歴史の改ざんは、アイヌへの植民地支配、加害の歴史を抹殺するもので日本人問題です。道外のアイヌに対する現行制度の差別も隠蔽(いんぺい)し、許せません」と言います。北海道内のアイヌへは、住宅・修学資金の貸し付けや給付などの福祉施策がありますが、道外のアイヌへは適用されず、「切り捨てられてきた、との思いが首都圏のアイヌの皆さんにはあります」と話しています。 

 

チノミシリ舞拡大熊の魂を送る踊り。アイヌの伝統、文化を今に伝える=同上
 5月25日の道庁での話し合いには、アイヌ刺繍家で東京アイヌ協会員の宇梶静江さん(79)=千葉県在住=も参加しました。宇梶さんは故郷の浦河に近い札幌で定時制高校に通いたかったのですが、アイヌを雇ってくれるところはなく上京したそうです。差別と闘いながらアイヌ文化を発信し続け、昨年吉川英治文化賞を受賞しました(2011年8月27日付ひと)。

 

 宇梶さんは「首都圏の反差別の活動は自らの血を流して行ってきた。アイヌは誇るべき文化を持っています。それを学校で正しく伝えてほしいと言っているだけ。それを踏みにじるのは人間じゃない」などと訴えました。

宇梶静江さん拡大宇梶静江さん

 

 出原さんたち「抗議並びに申し入れ」連名者が知る限り、すべてのアイヌ民族団体がこの「修整」を「歴史の改ざん」と捉えているそうです。今後、道庁のアイヌ政策推進室や所管の国土交通省、国会議員などに働き掛け、異義申し立ての声を上げて「改ざん撤回」を求めていく方針です。

 

 北海道でしか報じられていないアイヌ副読本の問題ですが、アイヌだけ、北海道だけのことではなく、日本人の歴史観の問題として、極めて全国的な問題として注視していかなければならないと思います。

(門田耕作)