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人権・校閲

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リハビリからスポーツへ――パラリンピックと報道

■試合内容も不明、地味な扱い

 7月4日の朝日新聞スポーツ面に「パラリンピック 国枝・土田ら 16競技に代表126人」という記事が載りました。旗手を務める競泳・木村敬一選手の記事と合わせ、記事面の約4分の1を占めています。

 国際的な大会の記事なのだから、これが普通、と思われたでしょうか。でも実は、パラリンピックの代表発表が大きく扱われるようになったのは、2010年バンクーバー大会(冬季)からなのです。

 08年の北京大会(夏季)までは、いわゆる「ベタ記事」という小さな扱いでした。開会式の記事になると、さすがに1面に写真入りで載っていますが、この「定位置」を確保したのは1998年長野大会(冬季)から。それまでは地味な扱いでした。

 パラリンピックは、60年のローマ大会が第1回とされていますが、もともと障害者のリハビリとして始まったため、スポーツの大会として見られるようになるまでに時間がかかりました。64年東京大会(夏季)を前にした朝日新聞社説は、パラリンピックの目的を「スポーツ療法による身障者のリハビリテーションへの道を開くこと」(64年9月25日)、「最終目標“社会復帰”に通じる道である」(64年11月4日)と書いています。

■「スポーツマンとして扱ってほしい」

 その後の大会でも、主に社会面や総合面で、「障害があるのにスポーツをしている」「障害を乗り越えてがんばっている」という視点からの選手個人にまつわる話題や、結果としてのメダルの数は報じられていますが、試合・レースの具体的な内容などはよくわかりません。96年アトランタ大会でも、柔道の金メダルが通信社配信のベタ記事です。競泳で5個のメダルをとった成田真由美選手の記事は写真つきで載っていますが、本人の喜びの声は、日本で待つ家族を通じてのものでした。

パラリンピックの昔拡大アトランタ大会柔道金メダルの藤本選手の記事。プロ野球やゴルフに埋もれて目立たない=1996年8月18日付

 94年リレハンメル大会(冬季)のチェアスキーで銀メダルを獲得した四戸龍英選手は、スキー選手を目指していた大学1年のとき、レース前の試走で転倒、脊髄(せきずい)を痛めて両足の自由を失いました。取材で「事故から、チェアスキーとの出会いまでの話を」と頼まれ、「みんなそんな話を聞きたがるけど、それ、スポーツと関係ないんだよな。障害者の苦労話じゃなく、スポーツマンとして扱ってほしい。できればスポーツ面でね」と答えています(94年4月3日)。

 多くの選手や関係者の努力があったのでしょう、大会の規模は拡大し、新聞の扱いも徐々にスポーツとしてのものに変わっていきます。

 ひとつのポイントになったのは、98年の長野大会です。日本で開かれたということもあって、注目が集まりました。このとき、代表選手が五輪と同じユニホームを着たいと希望したのに、日本オリンピック委員会(JOC)は「五輪とパラリンピックは別の大会」と難色を示します。橋本龍太郎首相の要請で、最終的に同一ユニホームが実現しましたが、当時のパラリンピックが置かれた状況を物語るエピソードです。

 大会が始まると、競技日程が前日に掲載され、記録や内容もスポーツ記事らしい扱いになっています。

 取材する記者の意識も変わったのではないかと思います。天声人語は「『もう一つのオリンピック』でなくてもいいのではないか、と思った。五輪のたくさんの種目の中に、アイススレッジスピードレースなどがあったっていい」(98年3月8日)と書きます。

 2000年シドニー大会(夏季)以降は、スポーツの大会としてスポーツ面できちんと扱う形が定着します。冒頭に書いたように、10年からは代表選手の発表も大きく報じられるようになりました。

 スポーツ選手を紹介するコラム「スポーツ人物館」(夕刊掲載)は、06年トリノ五輪(冬季)を前にした05年11月の「トリノ編」から始まっています。「パラリンピック編」が登場したのは08年北京大会(夏季)が最初でした。

 今回のロンドン大会前のこのコラムには、画期的な変化がありました。サブタイトルを「ロンドン五輪・パラリンピック編」として、ふたつを区別せずにランダムに選手を紹介したのです。内容も、障害については簡単に触れる程度にとどめていて、「スポーツ選手としての扱い」がまた一歩進んだように思います。

パラリンピックの最近拡大北京大会で藤本選手は金メダルを逃したが、記事は格段に大きくなった=2008年9月8日付

 一般スポーツは文部科学省、障害者スポーツは厚生労働省という管轄の違いによる「壁」も指摘されてきました。しかし、今回、これまで使えなかった国立スポーツ科学センターで水泳代表チームが練習するなど、少しずつ改善されているように見えます。

 一方で、スポーツとして認められたことの陰の部分はないのでしょうか。競技性を重視してのクラス分け変更などもあり、一時期より日本選手のメダルは減っています。以前ならメダルを取れた選手が取りにくくなったり、出場することができなくなったりしているかもしれません。

 また、パラリンピックを目標としなくても、スポーツを楽しみたい人もたくさんいるはずです。すでに、長野大会のときに、「日本身体障害者スポーツ協会には『パラリンピック偏重ではないか』という苦情が寄せられてもいる。それは、とりもなおさず大多数の障害者が、スポーツを自由に楽しむ環境からはほど遠い状態に置かれていることを示す」(98年3月4日「社説」)という指摘がされています。

 トップレベルの選手の活躍を通じて裾野が広がり、大きな大会に参加しない人でもスポーツができる環境が整っていくのが理想的な形だと思います。

(松沢明広)




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