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人権・校閲

こちら人権情報局

ハンセン病回復者にハンストさせるのか!

門田 耕作

■平均年齢80歳超、介護が必要な人も

 7月、「ハンセン病 元患者ハンストへ」などと見出しにうたった記事をいくつかの新聞が掲載しました(冒頭の見出しは20日付東京新聞夕刊、ほかに19日付毎日新聞など)。全国に13ある国立ハンセン病療養所の入所者でつくる「全国ハンセン病療養所入所者協議会」(全療協)が、療養所の職員削減に抗議して、東京・霞が関の厚生労働省前で座り込み、ハンガーストライキなどの実力行使にでることを決議した、と報じたものです。もし、実行されれば41年ぶりだそうです。小さな記事でしたが、見出しの文言に、ものすごい違和感を覚えました。だって、ハンセン病療養所の入所者って、平均年齢80歳を超える高齢で、マンツーマンの介護がないと日常生活がままならない人もいるのですよ。そんな人たちがこの炎天下に座り込んでハンストまで……。ただならぬことが行われようとしているのでは、という思いがしてきました。いったいどういうことなのでしょうか。

 

 まずおさらいです。ハンセン病はかつて「らい病」と呼ばれ、19世紀末にらい菌が発見されるまでは遺伝病と誤解されていました。日本が日清・日露戦争に勝利して、文明国家の仲間入りをするときに、欧米に比してハンセン病患者が多いことを「国辱」と考え、取り締まり・隔離の対象としました。軍事勢力を拡大していく際の健民健兵政策のもとでは、患者を探しだして強制隔離する「無らい県運動」を国策として行いました。感染力が弱く、隔離の必要はないにもかかわらず、戦後、アメリカから特効薬がもたらされて治る病気になってからも国は隔離政策を続けてきました。

 

神さん拡大全療協会長の神美知宏さん=8月7日、東京都東村山市の国立療養所多磨全生園
 そのため、ハンセン病は「治らない怖い病気」という誤ったイメージが社会に定着します。療養所は人里離れた所につくられ、環境も劣悪でした。当時の園長が「手錠でもはめてから捕まえて、強制的に入れればいい」と発言するなど、国民の目には「監獄」「収容所」のように映っていたそうです。治療が行き届かず知覚・運動障害が残ったり、手足や顔が変形したりする場合があることからも、患者やその家族は長く差別・偏見に苦しんできました。

 

 差別政策のよりどころだった「らい予防法」が廃止されたのは、いまから十数年前にすぎない1996年のことです。前身の明治時代の法律からなんと、89年が経っていました。予防法の廃止とともに差別的なイメージの付きまとう「らい病」という言葉の使用を正式にやめ、今は「ハンセン病」と呼ぶようになっています。

 

 2001年、ハンセン病患者への長年にわたる国の隔離政策と、それを改廃しなかった国会の「立法不作為」の違憲性と過失を認めた熊本地裁判決が確定し、「政府は国としての責任を認め、最後の1人まで社会にいるのと同じような生活ができるようにするなどの約束」をしました(08年6月16日付朝日新聞社説)。09年には、患者だった人の福祉増進や名誉回復、施設の地域への開放などを定めた「ハンセン病問題基本法」が施行され、同年衆院で、翌10年には参院で、療養所の療養体制の充実に関する決議が全会一致で採択されています。

 

 予防法がなくなり政府が謝罪し、国会も動き、差別はなくなってハンセン病だった人、完治後も療養所で暮らしている人たちは、安らかな生活ができるようになったのでしょうか。

 

 2003年、熊本県内の温泉ホテルが、「ほかの宿泊客に迷惑」とハンセン病療養所の入所者らの宿泊を拒否して問題になったことは、全国的に報道されました。群馬県内の療養所で昨年、87歳の生涯を閉じた詩人桜井哲夫さんが、親族に迷惑がかかるからと伏せてきた実名を明かしたのが08年、遺骨がふるさと津軽の実家の墓に戻り、10代半ばで別れたきりの両親と眠ることができたのは、実に隔離から70年後の今年5月でした(7月17日付朝日新聞青森版)。

■療養所の職員削減計画に「命をかけて闘う」

 ハンスト計画は、ハンセン病問題基本法で入所者らの福祉増進のための施策実施が責務とされたにもかかわらず、療養所内においても国家公務員の人員削減が強行され、生存権が脅かされていることに強く抗議するものです。「国は『削減計画は閣議で決められ、療養所だけを除外できない』として看護や介護職の削減が進められ、生活や医療の水準の低下が続いている」(7月19日付毎日新聞)状態です。

 

 全療協の会長神美知宏(こう・みちひろ)さん(78)を、東京都東村山市の国立療養所多磨全生園に訪ねました。神さんは「入所者には、複合障害のため一対一の介助がないと食事や排泄(はいせつ)ができない人もいる。自分でお皿に顔を突っ込んで食べなければならなかったり、この暑い夏に週に2回しか風呂に入れなかったりする現実が具体的に起きています」と入所者の実情を訴えました。

 

納骨堂拡大多磨全生園の納骨堂。1985年の再建当時、3493人の遺骨が納められたという。碑文には「我が国の偏見と差別のルーツはこの所にある」と刻まれている。手前の茂みのあたりにはかつて火葬場があったという
 「生涯強制隔離された被害者の生活権・生存権が、合理化政策の犠牲にされています。ハンセン病療養所という医療機関でどういうことが起こっているのか、官邸、国会は関知しないまま、閣議決定を強行しようとしています」と神さんは、療養所の実態を考慮しようとしない政治に強い抗議を表明しています。「誤った政策の犠牲者の晩年の姿はこれでいいのか。命をかけた闘いです。(ハンストは)もう、いつやるか、という状況です」と決意をこめて話してくれました。

 

 「歴史的には官民一体となって我々を社会から放逐してきた国民・市民にも責任の一端はあると思うし、この問題が十分に知らされないうちに許されざる状況に立ち至りつつあるのは、メディアにも責任があると言いたい」と神さんは言います。

 

 これは非常に大事なことで、真摯(しんし)に受け止めなければなりません。

 

 熊本の温泉ホテルでの事件の際、朝日新聞は「まだこんな偏見が」という社説(03年11月23日付)を書いて、「治療法があり、短期で完治することを十分伝えてこなかったメディアの責任も重い」と自戒しました。熊本地裁判決を受け、厚生労働省が設置した「ハンセン病問題検証会議」がメディアの責任を問う報告書をまとめた際に毎日新聞は社説(05年3月2日付)で「人権を擁護すべき新聞が国の政策を追認し、被害に苦しむ人々の声に十分に耳を傾けられなかったことは、携わる者として慚愧(ざんき)に堪えない」と悔やみました。

■元患者でなく「回復者」

尊厳回復の碑拡大検証会議の調査結果(2005年)で、各地の療養所に114体の胎児・新生児の標本があることが明らかになった。患者を根絶やしにするため入所者に子どもをつくらせない方針が長く続き、治療と称して断種や堕胎(だたい)が行われていた。36体が確認されたという東京都東村山市の多磨全生園では、「尊厳回復の碑」を立てて慰霊、胎児らの尊厳回復を祈念している
 そしてもう一つ、「元患者」という呼称のことです。現在の療養所入所者はみな、ハンセン病は完治しており患者ではありません。そのため、朝日新聞も含めたマスコミは、ハンスト計画を報じた冒頭の記事のように、「元患者」と表現することがあります。神さんは、「元患者」という言葉に、非常に抵抗感・違和感があるといいます。

 

 「治っていても『元患者』と言われるのはどういうことか。生涯、ハンセン病のレッテルをぬぐうことができない、そのこと自体に人権侵害があると思う。差別がいまなお存在している社会にこんな言葉が普及していくのは不自然で心外です。私は差別語だと思っています。すべて『回復者』という言葉に置き換えられるべきです」と神さんは言います。

 

 ハンストの話に戻りましょう。毎日新聞は、ハンストが計画されている問題で「超党派の国会議員でつくる二つの議員懇談会が(8月)1日、国家公務員の定員削減計画対象から療養所を外すよう藤村修官房長官に申し入れた。小宮山洋子厚生労働相も同日、ハンスト回避に向け努力していることを明らかにした。……藤村長官は、要望に応えるよう努力すると約束した」(8月2日付)と報じています。

 

高橋監督拡大映画「もういいかい ハンセン病と三つの法律」の高橋一郎監督=7月26日、大阪市浪速区の大阪人権博物館
 折しも9月1日から2週間、ハンセン病問題の実態を日韓22人の回復者の証言で綴ったドキュメンタリー映画「もういいかい ハンセン病と三つの法律」が、東京都渋谷区の劇場「オーディトリウム渋谷」で、モーニング上映されます。今年3月に完成し、京阪神を中心に上映会を続けてきました(3月18、19日付神戸新聞、5月20日付朝日新聞大阪版など)。大阪人権博物館(大阪市浪速区)で8月26日まで開かれている企画展「たたかいつづけたから、今がある―全療協60年のあゆみ―」であった記念上映会(7月26日)の冒頭、監督の高橋一郎宝塚大造形芸術学部准教授は「全療協の人たちがハンストを計画していることを新聞で読んでびっくりしました。平均年齢が82歳を超えるような方々をそのような事態に追い込んでいる我々の国、日本て何なんだ。健康が心配なので、どうぞそんなことがありませんように、国はしっかり対処していただきたい」と訴えました。

 

志村さん拡大療養所には、脱走を企てたり職員ともめ事を繰り返したりする入所者を懲罰として収容する「監房」、すなわち牢獄(ろうごく)があった。「明かりは奥の小さな窓だけで真っ暗。昼寝でもしようものなら朝だか昼だか分からなくなったと聞く」と、菊池恵楓園(熊本県合志市)にいまも残る監房の前で話す志村康さん=映画製作委員会提供
 高橋さんは、ハンセン病問題には大きく三つの課題があると言います。「一つはハンセン病問題の本質が理解されていないこと。次にハンセン病問題は終わっていない、ということ。もう一つは、ハンセン病問題はひとごとではない、ということです。当事者がどんどん亡くなっていきます。映画に登場してもらった方にも、亡くなった方もいらっしゃいますし、今では証言不可能なくらい弱ってしまわれた方もいらっしゃいます。語り継いでいく必要があると思います」と話しています。

 

 神さんは「私たちの運動は社会から孤立してはならない。市民がこの問題に関心を持ち、発言し、批判することで運動が生きてくる。メディアが取り上げなければ、いつまでも社会の片隅で、国の政策の過ちで犠牲になった人は死んでいってしまう。報道されないということは、私たちが社会的に抹殺されたことと同じです」と訴えました。

 

 神さんの言葉をかみしめたいと思います。

 

(門田耕作)

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