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人権・校閲

こちら人権情報局

どう伝えたい? どう書かれたい?  

大堀 泉

■「授産」という言葉に違和感

 今回は、校閲記者のふだんの仕事からの報告です。

 少し前のことになりますが、3月16日に朝日新聞の「ひと」欄に載った、「自ら起業した自称『寝たきり社長』佐藤仙務さん」の記事について、紙面に組む作業中に、校閲の職場でこんなやりとりがありました。

 
佐藤さん拡大3月16日付の朝日新聞に掲載された佐藤仙務さんの「ひと」
「高等部の卒業前、『就活』で母親に連れて行かれた授産施設は自宅から遠く、手作業は無理」となっていました。佐藤さんは筋肉が衰える病気のため、話すことは不自由ないけれど、動くのは両手の親指だけ、という人です。この日、「ひと」が掲載される2面の担当は、佐藤さんと同じ愛知県出身で、右手に不自由のある同僚でした。

 「この授産ってことば、違う表現になりませんかねえ?」
 「どうして? 普通に使われている表現だけど……」
 「このことば、与えてやってるんだ、みたいな感じでいやなんです」
 「いやだ、だけでは、書いた人も困ると思うけど……。どういう表現をするかは、書いている人の選択の自由だから」

 だいたい、こんな感じでスタートした「授産」をめぐるやりとり。
 「もともと、明治維新の後、失業した武士に、食べるために働くところをつくってやったみたいなのが、はじめでしょ?」
 あ、それは知りませんでした。
 「辞書にもありますよ」
 なるほど。辞書には「仕事を与え、生計をたてさせること」と書いてあります。でも、取材した記者は、当然、本人の佐藤さんに会って話を聞かせてもらった上でこう書いているのだし、校閲する立場からは、もちろん自分の好き嫌いで原稿を直してほしいと言ってはいけません。最初の読者として、記事の言いたいことがうまく伝わっていないと感じられたら、書いている側に改善をお願いすることはできますが……。第一、校閲が気に入らないから直してくれ、と言われて、そうですか、と直す記者はいません。どんな理由であれ、まず書いている人が、「なるほどそうだな」と思ってくれなくては。

 気に入らない顔のままの同僚。少なくとも自分が書かれる立場だったら、絶対にこのことばとおつきあいしたくない、と言っているようです。こだわってしまうことばは人それぞれで、その人の生い立ちや境遇によって受け取り方もさまざま。一般的にこうだ、と割り切ってしまうと、逆に先入観の押し付けだと言われることもあります。

 しかし、あえて言うなら、同僚のその顔は「佐藤さんもきっとこのことばは好きじゃないと思うのだが……」ということらしい。

■記事にそぐわぬ「上から目線」

  私たちは結局、このことばが「上から目線」というか、「与えてやってるんだ」というイメージがあり、「寝たきり社長」さんの人となりを伝える記事には向いていないのではないか、一度考えてもらえませんか、と書いている側に伝えました。

 その記事の後の部分にこうあります。

 「障害者だから仕事をくれるほど、甘くない。ビジネスの世界も、逆の意味でバリアフリーだ」

 就職という形は無理、雇用という働き方はできない、でも「働く」ことはできる、適切なサポートがあれば、という佐藤さんだ。「口に糊するためのたつきのすべを与えてやる」と言われても、うれしくないのではないか。こんなふうに考えてはみたが、書いた側は校閲からそう言われて、どれぐらい共感してくれるだろうか、と気をもみました。

 その後、実際の紙面では、作業施設という表現になりました。「障害者に飯を食う手段を与えてやっているんだ、という感じがいやだ」という同僚の気持ちに共感してくれたのでしょう。授産施設だろうが作業施設だろうが佐藤さんには役に立たなかったのだから、ただことばを置き換えたにすぎませんが、記事が伝えたいことについて、多少はイメージを前向きにできたと思いたいのですが、どうでしょうか?

 雇用される形で働くことは難しい。でも働くことは適切な支援があればできるし、作り出す製品や商品が市場で価値を認められ、競争力を持つことを目標にしている――「他社と同等の収益を上げたとき、障害者へのイメージは変わる」という佐藤社長の人となりを伝え、その声に共感する人を増やしたい、だからこそ新聞記事が書かれるのではないでしょうか。社会的に弱い立場に置かれた人の悲しみや苦悩を多くの人に知らせ、「そんなのってないや」「なんとかならんか」「なにか助けてあげられることはないか」という共感の輪を広げるきっかけになること、それが新聞記事のはたらきだと思います。その共感が実を結び、弱い立場、不利な立場に置かれていた人が、普通の立場を回復したとき、新聞を作っている側もやりがいを感じられるのです。

 この記事の終わりに、前述の佐藤さんの主張が書かれています。記事全体は、その主張を補強するイメージを読んでいる人にうまく伝えられたでしょうか? 書かれる人もさまざまな背景のある人ならば、読んでいる人も、それ以上にさまざまな立場から読みとっているはずです。体に不自由なところのある人がみんな同じように思っているとは考えていませんし、読んだ人がみな、共感するわけでもないのでしょう。「私を雇ってくれるところはないし、こんな能力もない」と言いたい人もいるでしょう。

 だからこそ、佐藤さんの働き方を知ってほしいし、それをわかってほしい、という思いを込めて、新聞はよりよく伝えることに努力しているのです。

■「出産」と関係?どんな意味?

 でも実は、「授産」ということば、近年は別の“弱み”も持ち始めたようです。「授産って聞くと、赤ちゃんが生まれることに関係がある言葉だと思っちゃった」という声を聞くようになったからです。なるほど、産という字が、生産の産ではなくて、出産の産にすぐ結びついてしまうので、このことばをよく知らない人は、全く違うイメージをしているわけだ……。

 職場でも、「なんとなくだけど、助産所のようなものをイメージしている人がいると聞いた」「え? お産するところの関係じゃないの?という声を聞いた」という人がいました。 実際に「授産施設」を見て、行って知っているという人は少ない。また、心身に不自由のある人が仕事をして収入を得ている作業施設やワークショップなどを知っていても、それが「授産所」ということばに結びついていない人も多いと思います。そうした施設はリハビリテーションの目的も兼ねていて、「収入を得る」という意味の「授産」だけのものは意外と少ないのかもしれません。そういう状況で「授産所って何するところ?」「産科に関係あるの?」と言われると、とくに男性は、ありがたくない気持ちがするでしょう。

 それは誤った解釈ですが、もしかすると耐用期限を超えてしまったことばかも知れません 。言葉狩りをするつもりはないのですが、このことばを使いたい人は、そういう「誤解」も増えているという今の状況を知ってほしいと思います。読者にちゃんとイメージ通りのものが伝わっているか、という観点から私たちも紙面でどう表現するか、考える必要がありそうです。先に書いた同僚の「いやだ」という気持ちの中には、その「誤解」のことも含まれていたそうです。

(大堀泉)

 


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