メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

人権・校閲

こちら人権情報局

ランチ難民は「難民」じゃない!(上)

門田 耕作

■まずは知ることから始めよう

 
難民拡大学生が主催した難民問題を考えるイベントのファッショショーでは、各国の民族衣装をモチーフにした衣装を身にまとい、学生自身がランウェーを歩いた=6月20日、東京・原宿、関口聡撮影
「難民」というと、まず何をイメージしますか。インドシナからのボートピープルはふた昔以上も前のことで、アフガニスタン、イラクなど中東やアフリカの紛争地の難民キャンプは遠い外国のこと? それよりいまや、不況の町の「ネットカフェ難民」や「マック難民」、高齢社会の「介護難民」や「買い物難民」かもしれません。あるいは、お昼休みのオフィス街に現れる「ランチ難民」でしょうか。これらの「難民」が、単に「行き場のない、困っている人」を意味するのであれば、あなたも私も難民になり得るということになってしまいます。でも、民主主義の国で暮らす私たちが、難民になることは基本的にありません。なのに、いとも軽々に日本人が比喩に使ってしまう「難民」とは、ほんとうはどんな人たちなのでしょうか。まず知ることから始めましょう。
 
 「難民」とは、日本も1981年に加入した「難民条約」で「人種・宗教・国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること、または政治的意見を理由に迫害を受けるか、その恐れがあるため国外におり、国籍国の保護を受けられない者、またはそれを望まない者」と定められた人たちのこと。単に経済的理由で海外に移住する人や、火山の噴火や台風などで他国に逃れた人ではありません。締約国である日本は、外国からの「難民」を受け入れ、保護する義務があります。

 先ごろ横浜で開かれた第5回アフリカ開発会議(TICAD5)はメディアでも連日、大きく取り上げられました。安倍首相が「成長はアフリカにあり。伸びるアフリカに投資すべきは今」(6月3日付朝日新聞夕刊1面)と呼びかけたように、会議の目的は当初の開発支援に加え、ビジネスの比重が高まったものでした。一方で、「成長」の前提条件とされた「平和と安定」のプロセスに、「難民問題の課題を取り込むことで、アフリカの現在と未来を考える重要な『人道的視点』を得ることが出来るのでは」(国連難民高等弁務官〈UNHCR〉駐日事務所の活動報告書「At a Glance」2013年vol.2)という視点で議論されたという報道は少なかったようです。

 それでも新聞を繰っていると、TICADに合わせ、各地で難民や難民を取材したジャーナリストの人権講演などが行われているのがわかります。朝日新聞も連日展開した「アフリカはいま」の記事で難民問題に触れました。
 
 5月27日付社会面では、ガーナ出身の難民申請者が、「安住の地」と信じて迫害から逃れてきた日本で、半年近く家も仕事もない生活が続き、「刑務所の中の方がまとも」と窮状を訴えていることを伝えました。
 
 法務省入国管理局によると、昨年日本で難民認定を求めた人数は2545人で、統計を取り始めた1982年以降で最多になったこと、そのなかでアフリカ各国からの申請者が増えていることも報じています。そのうち、純粋に入管の審査(1次手続き)で難民認定された人と、不認定後の異議申し立てで認定された人は合計18人で、うち15人がミャンマー国籍です。

 全国難民弁護団連絡会議によると、アフリカ出身者が1次手続きで認定を受けるのは年間1人の「アフリカ枠」と皮肉られるくらい少ないそうです。記事は「アフリカ難民は頼る先もないまま逃れてくる人が多い。支援が遅くなればホームレスになる可能性が高い」という難民支援協会の指摘も掲載しています。

■「私たちだって日本社会の構成員」

 6月3日付社会面では、外国人登録者数(2011年)では、アジア人の1%にも満たないアフリカの人たちが日本に溶け込もうとしていることを報じました。前日TICADの会場で民族舞踊を披露したナイジェリア南部イモ州出身者のグループは、東日本大震災の発生翌週に会合を開き、100万円を集めて被災地に贈ったといいます。グループのリーダーは「私たちだって日本社会の構成員。皆で助け合っていきたい」と話したそうです。

 
拡大ドキュメンタリー映画「異国に生きる」(土井敏邦監督)のパンフレット。同映画は9月28日~10月6日に東京都内で開かれる第8回UNHCR難民映画祭で上映予定。また、7月12日~16日には神戸市長田区の神戸映画資料館でも上映される
このフレーズ、どこかで聞いたことがあると思い返してみたら、在日ミャンマー難民の人生を描いたドキュメンタリー映画「異国に生きる」(土井敏邦監督)の主人公、チョウチョウソーさんの言葉でした。チョウさんは、軍事政権から単身日本へ逃れて祖国民主化のために活動。難民認定後に妻を呼び寄せ、いまは東京・高田馬場でビルマ料理店を開いています。震災の被災地に、在日ミャンマー人でバスをチャーターし、ボランティア活動に向かったチョウさんは「僕たちは日本人ではないけれど、日本で暮らすこの社会の一員です」とインタビューに答えています(4月20日付日経新聞夕刊「難民という人生」)。

 私たちはこれら、日本を頼ってきた人たちの辛苦や、日本社会に溶け込もうとしているアフリカの人たち、ミャンマー難民の人たちの言葉をちゃんと受け止められているでしょうか。

 日本の2012年の難民認定者数18人という数字は、欧米諸国に比べて極めて少ないものです。UNHCRの統計などによると、2011年に米国やカナダは1万人単位で、ドイツは約6千人の難民を受け入れています(5月11日付朝日夕刊「元難民 密入国・収監・大学…ミャンマーへ」)。難民認定率も過去最低を2年連続して更新しました。まさしく桁違いです。

 この状況を日経新聞の社説は「難民鎖国に逆戻りするのか」と指弾しました(5月8日付)。2011年11月、難民条約加盟30年の節目に衆参両院がともに全会一致で、「世界の難民問題の恒久的な解決と難民の保護の質的向上に向けて、アジアそして世界で主導的な役割を担う」とした「決議とは裏腹に、日本の難民問題への取り組みは後退しているようにみえる」とし、「圧政や紛争などのために母国を離れざるを得なくなった人たちを保護する努力は、豊かで安定した社会を築いた先進国の責務だ」と政治の不備を言っています。

 私は不明にしてこの決議のことを知りませんでしたが、当時唯一報じた毎日新聞によると、決議文は「国内における包括的な庇護(ひご)制度の確立」と「第三国定住プログラムの充実」を掲げていました(11年11月22日付内政面)。難民認定率の低さや申請者が「刑務所の方がまとも」という生活を強いられている現状は庇護制度が実現していないことを示していますし、他国に滞留している難民を受け入れる第三国定住で来日を希望する難民が、厳しすぎる選考基準や日本での生活不安のため、2012年にゼロになったことは、支援の「制度の根幹を揺さぶっている」(12年11月28日毎日・記者の目)というのもうなずけます。

 「記者の目」は「大半の国民は無関心なままだ」とも指摘しましたが、難民認定されず「不法滞在」とされた人たちが収容されている入国管理センターの待遇改善を求めたり、一時的に拘束を解かれてセンターから仮放免され、認定を待つ人たちの生活を支援したりする運動が民間レベルで進んでいます。注目すべきは、若い世代で難民問題への関心が高まっていることです。

■「いつか辞書からなくなってほしい」
 
 国連が定めた「世界難民の日」の6月20日、学生たちが主催した難民問題を知るイベントが、若者の街、東京・原宿で開かれ、20~30代を中心に約700人が集まりました(6月21日付朝日新聞1面)。難民問題に関係する国々の民族衣装をモチーフにしたファッションショーでは、ミス・ミスターキャンパスや学生らがランウエーを歩き、それぞれの国の難民の現状などが報告されました。

 トークショーにはジャーナリストの池上彰さん、日本で活躍するイラン人女優サヘル・ローズさん、主催のJ-FUNユース共同代表の東京大学3年藤森幹さんらが登壇しました。藤森さんは「報復が報復を呼んで難民が生まれてくる。同じ過ちを繰り返してはいけないと思う。制度や法律をつくり、将来を変えていくのは僕ら。僕ら学生は、知ることに特化したい。きょう少し知った、じゃあ、あした誰かに話してみよう、という気持ちの連鎖が世界をよくしていくのでは」と力強く話しました。

 
トークショー拡大難民問題について意見を交わした池上彰さん(中央)と藤森幹さん(左)、サヘル・ローズさん=6月20日、東京・原宿、門田耕作撮影
難民問題を概説した池上さんは「皆さんここに来て、難民のことを知ろうとしている。第一歩を踏み出すことが大事」、サヘルさんは「次のステップを無理する必要はありません。自分と向き合って、自分がこれができるんだと納得したときに動いてください」と会場に呼びかけました。

 トークショーの最後にサヘルさんが「難民という言葉が、いつか辞書からなくなってほしい」と言いました。「難民」と呼ばれる人も会場のみんなとなんら変わりのない一人の人間として生きられる社会になれば、という意味でした。池上さんも「歴史用語としてだけ残るようになってほしいですね」と受けました。

 次回は、「難民」という言葉について考えてみます。

(門田耕作)