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人権・校閲

こちら人権情報局

「家族」のかたち、いろいろ

 先日、いくつもの海外メディアの見出しに「Nintendo(任天堂)」の文字が躍りました。任天堂といえば、日本を代表するゲームメーカー。いったい何があったのでしょうか。

■「ゲームの中で同性婚ができるようにして」

 きっかけは、ある一人の米国ユーザーが上げた声でした。
「ゲームの中で同性婚ができるようにしてほしい――」


 6月に欧米で発売が予定されている任天堂のゲーム「トモダチライフ」。日本でも「トモダチコレクション 新生活」として昨年発売され、人気を博しました。ユーザーは人の姿をしたキャラクターの容姿や性格を選択肢の中から自由に設定し、キャラクター同士の交流などを楽しみます。ゲームの中では恋愛や結婚、出産、子育てといった出来事も起こります。


 しかし、ゲームの中で行われる恋愛や結婚は異性間のものだけ。これに対し、米国のゲイ男性が「同性婚もできるようにしてほしい」と任天堂に要望するキャンペーンをインターネット上で開始。多くの賛同が集まりました。

 当初、任天堂の米国法人は「任天堂はトモダチライフで社会的な見解を表明する意図はありません」とコメントしました。しかし、こうした任天堂の対応をAP通信やCNN、BBCをはじめ複数の海外メディアが批判的に取り上げました。任天堂が同性愛に「ノー」と言った――と。性的マイノリティーの支持団体からも抗議の声が上がりました。

 

 こうした批判を受け、5月9日、任天堂は新たに声明を発表。ゲーム内で同性間の恋愛や結婚ができず多くの人を失望させたことを謝罪するとともに、続編での設定変更の検討を約束しました(5月12日 CNET Japan))。

■認める法律は仏・ニュージーランド・英にも

 今回、任天堂の問題が大きく取り上げられた背景には、世界での同性婚の広がりがあります。
米国では昨年6月、連邦レベルで同性婚を禁止していた「結婚防衛法」が違憲判決を受けました。これを受け、米オバマ大統領は「私たちは平等で、私たちが交わす愛もまた平等でなければならない」と声明を発表しました(2013年6月27日付朝日新聞)。

 まだ全ての州で同性婚が認められたわけではありませんが、今後広がっていくことが予想されます。ABCニュースとワシントン・ポストが今年の2~5月に行った共同調査によると、米国での同性婚の支持は59パーセントにのぼります(ワシントン・ポスト〈電子版〉)。

 こうした流れは米国だけではありません。同じく昨年には、フランス、ニュージーランド、ウルグアイ、英国で同性婚を認める法律が成立しました。

 一方、ロシアでは昨年、未成年者に対する同性愛の宣伝行為を禁止する「反同性愛法」が成立。欧米を中心に批判が高まり、英米仏の3首脳はソチ五輪の開会式を欠席しました。

■日本でも「家族」をめぐる画期的な決定や判決

 日本の国会ではまだ、同性婚を認める立法行為に関する具体的な議論は行われていません。しかし、昨年は日本でも「家族」をめぐって画期的な決定や判決が相次ぎました。

婚外子差別は違憲の紙面拡大婚外子差別を違憲とした最高裁判決を伝える朝日新聞紙面=2013年9月5日付


 昨年9月、遺産相続において法律婚をしていない男女間の子(婚外子)の取り分を、法律婚をした男女間の子の半分にするとしていた民法の規定は憲法に反しているとして、最高裁は違憲と判断しました(2013年9月5日付朝日新聞)。

 また昨年11月に大阪地裁は、地方公務員の配偶者が亡くなった際、妻は年齢を問わず遺族補償年金を受け取れるにもかかわらず、夫は55歳以上でなければ受給できないとしていた地方公務員災害補償法の規定を違憲と判断しました(2013年11月26日付朝日新聞)。

 これら二つの決定や判決では、ともに日本社会の変化について言及がありました。婚外子差別訴訟の決定は、婚姻・家族の形態および国民の意識の多様化が進んだと指摘。遺族年金格差訴訟判決は、法制定時から社会状況が大きく変化し、性別の役割分担が薄れて女性の社会進出が進み、共働き家庭が一般的になったと述べています。

 さらに昨年12月に最高裁は、性同一性障害で性別を女性から変更した男性が、第三者の精子提供によってもうけた子を法律上の子として認める決定を出しました(2013年12月12日付朝日新聞)。

 性別変更者の子を法律上の子と認めた決定が出た日のことは、今も強く印象に残っています。同じ校閲記者の先輩の仕事に、はっとさせられる出来事があったためです。

 校閲記者の仕事の一つに、「人権を守る」ということがあります。差別につながったり、誰かを傷つけたりするような表現が記事中に出てこないか、注意を払っています。

 この日、関連する記事の原稿を読んでいた先輩の一人が声を上げました。
「ここに『普通の』という言葉は入れるべきではないと思います」

 原稿にあったのは、「外見上はどこにでもいる普通の家族だ」という一文。先輩は言いました。「家族の多様性が認められたという記事なのに、『普通』という言葉を使うのは違和感があります」

 先輩のこの指摘によって、記事から「普通の」という言葉は削られました(2013年12月12日付朝日新聞)。

 このように、日本でも徐々に「家族」の多様性や変容が社会で広く認識されるようになってきています。「家族」のかたちはいろいろ。それがやっと日本でも、「普通」のことになりつつあるのかもしれません。

(竹内美緒)