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人権・校閲

こちら人権情報局

「隠れた意識」は報道にどう影響するか

石橋 昌也

■つい外見をクローズアップ

 朝日新聞で7月からスタートした「女が生きる 男が生きる」は、女性の社会進出や経済的独立が難しい現状を正面からとらえ、問題を提起しているシリーズです。読者からの反響も大きく、性別や年代を問わずたくさんの意見が寄せられています。

 シリーズ初回は、女性の社会進出を難しくしている背景にある、「隠れた意識」を取り上げました。この意識は「誰の心にも眠る『意識の底にあるもの』」で、「人は時に性別や年齢、容姿といった属性だけで判断を左右してしまう。あるいは利用し、消費する」とされます。そして、この意識が大きく影響したとして、STAP細胞問題と、それに関する報道を検証しました。

小保方氏初版1社拡大東京本社発行の最も締め切りが早かった版の第1社会面
 朝日新聞の報道について触れると、初回の記事にあるように、理化学研究所の小保方晴子氏が開いた記者会見を報じる紙面(4月10日付)は、あまりにも象徴的でした。あらためて紹介すると、最も締め切りが早かった版(東京本社発行)は、小保方氏の謝罪、涙、笑顔など4枚の写真を組み合わせたものでした。

 STAP細胞に関する様々な疑惑が出るなかで、社内ではSTAP細胞報道について、あまりに小保方氏のキャラクターや「女性」であることに焦点を当てすぎており、果たして科学記事として妥当だったのか、といった意見や批判が既に出されていました。そんななかでの4枚組み写真だったため、最初に目にしたときはおもわずのけぞってしまいました。校閲センター含め、各部署からこれではいけないといった声があがり、最終的には遠景の写真に差し替えられました。実は写真だけではなく、早い版では、小保方氏の服装や装飾品についての記述があったのですが、これらも記者会見の内容とは無関係だということで削られました。 

小保方氏最終版1社拡大東京本社発行の最終の版の第1社会面
 STAP細胞問題では、主役が、“若く”“華やかな”“女性”であったため、本筋である科学的な成果に加え、「無意識」のうちに外面的なところをクローズアップしてしまったといえます。もしこれが、“中年の”“さえない”“男性”であったら、報道の仕方もずいぶん違ったものになっていたかもしれません。

■全聾に目を奪われて

 この「隠れた意識」は、女性だけに向けられるものではないと思います。STAP細胞問題に似た構造を持つものとして、このコラムでも取り上げられた「全聾(ぜんろう)の作曲家」問題があげられます。

 この問題は、35歳で聴力を失った被爆2世である佐村河内守氏が、絶対音感を頼りに作曲活動を行っているという触れ込みで数々のメディアに取り上げられましたが、後に代作が発覚、また全聾ではなく感音性難聴と診断されたものです。

 朝日新聞でも何年もの間、取材の過程で代作と気づくことなく、佐村河内氏を記事に取り上げていました。一度イメージが固まってしまった人に対して、疑義を唱えるのは大変難しいのですが、そもそもの始まりに、メディアが、“全聾”“被爆2世”といった属性に目を奪われたのではないでしょうか。本来は障害の有無にかかわらず、その人がなした業績や作品を正面から受け止め、論じなければならないはずです。しかし、“全聾”“被爆2世”というところに注目が集まってしまいました。

 これはやや極端なケースではありましたが、「障害者」の活動に対して「隠れた意識」はなかったでしょうか。

 2012年12月25日付の朝日新聞朝刊(東京本社版)に、体中の神経に腫瘍(しゅよう)ができる難病を患った20代の女性の話が掲載されました。彼女は聴力と視力を失いながら大学に通い卒業を目指します。そんな彼女が記者に取材を申し込まれた際の思いが記事にはつづられています。「重い障害があるのに頑張っている、盲ろう者なのにすごい、と言われる。その『なのに』がムズムズ居心地悪い」

■「安直で傲慢」見つめ直す視点を

 次のエピソードは私が取材記者をしていた時のものです。若い記者と雑談をしていると、「いま取材している障害者のことを記事にしたい」と相談を受けました。そこで、どういうところがニュースなの?と問うと、「がんばっているから」とのことでした。何かを成し遂げたとか、ある分野でいい成績を収めたとか取り上げるべきニュース性はあるの?と続けて問うても、同じ返事が返ってきただけでした。ただ「がんばっている」ことがニュースになるのでしょうか。

 障害者がスポーツをしている、絵を描いている、音楽に携わっている、がんばっている――。私たちが障害者や弱者を見るまなざしの裏に、物珍しさなどといった意識はないといえるでしょうか。「障害者(女性)なのにがんばっている」という意識の底に、書き手の、「健常者(男性)」の、傲慢(ごうまん)さがないといえるでしょうか。

 このコラムの下にある「最近の記事から」というコーナーでは、各紙に掲載された障害者の活動を伝える記事がたくさん並びます。もちろん、障害者の活動を伝えることで、同じ障害を抱えている人を勇気づけたり、障害についての理解につながったりします。書き手もそのような問題意識から出発していることも間違いないと思います。しかし、自分たちの「隠れた意識」を深く探っていくと、もしかしたら安直で、傲慢な視点があり、ただ「利用し、消費」しているだけなのかもしれません。気を付けて自分の「隠れた意識」に目をこらしたいと思います。

(石橋昌也)