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人権・校閲

こちら人権情報局

ホステスバイトと「清廉性」

石橋 昌也

 東京・銀座のクラブでホステスのアルバイトをした経験を理由に、アナウンサーの内定を取り消されたのは不当だとして、女子大学生が内定を取り消したテレビ局を訴える裁判がありました。裁判は11月に第1回口頭弁論があったばかりで、これからどのような判断がなされるかわかりませんが、訴状によると「傷がついたアナウンサーを使える番組はない」「高度の清廉性が求められるアナウンサーの採用過程で、ホステス経験を申告しなかったのは虚偽申告にあたる」などとされ、5月に内定を取り消されたとしています。また、女子大学生側は「ホステス経験で清廉性に欠けるというのは偏見」と主張しています(「ホステスバイト理由、アナ内定取り消し」11月15日「(ニュースQ3)女性アナの内定取り消し、TV局が求める「清廉性」って?」12月2日)。

■SMバーは本当に「汚らわしい」か

 話は変わりますが、今秋、政治家の政治資金を巡る問題で、与党のある議員の資金管理団体が「SMバー」への支払いに政治活動費を支出していたことが報じられました。一連の問題の中、野党のある議員が衆院本会議で「口にするのも汚らわしいところに政治資金を支出していた」と発言し、一部メディアで取り上げられました。
 訴えられたテレビ局や、発言した議員ら当事者の真意・本意はどこにあるのかわかりません。ただこれらの報道に接した際、発言などの根っこには、ある種のイメージや偏見があるのではないかと思いました。

 アナウンサーに求められる「高度な清廉性」が具体的にどれほどのものかわかりませんが、裏を返せばクラブのホステスには「高度な清廉性」がない、いわゆる「水商売」で働く女性は「清廉性」に欠ける、ということになります。テレビ局がイメージを大切にするのもわからなくもないのですが、ちょっと視点を変えてみると、クラブでホステスとして働くことが「清廉性」を欠くのならば、客としてクラブに行くことは「清廉性」に欠けないのでしょうか。「客だから」「金を払っているから」、問題ないのでしょうか。

 「口にするのも汚らわしい」SMバーとは、加虐・被虐的性的指向を持つ人たち向けに趣向を凝らしたお店です。これまで、このコラムではLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)など様々な性的指向の人たちの生き方や権利について書いてきましたが、人の好みや性的指向は様々です。もちろん小児性愛といった、対象に暴力などが伴うものは社会問題にもなっていますが、自らの性的指向のまま分別を持った大人が、合法的にお金を出して楽しむSMは「口にするのも汚らわしい」ものなのでしょうか。

■「色眼鏡」をかけずに見ることの重要性

 あらゆる差別や偏見の根底には、「普通」という視座が存在すると思います。「普通」は時代や地域によって異なってきますが、ある社会で多数を占めているものが「普通」とされるのではないでしょうか。そして大多数のあり方や行為が規範化されることで、この「普通」から逸脱した人や集団が差別、迫害されることにつながっていくのではないでしょうか。たとえば性については異性愛が「普通」とされたり、「五体満足」で生まれることが「普通」とされたりすることで、そこから外れた人や集団は「異常」とされて差別的な扱いをされることになります。身近な例では、ごく最近まで、男性が働き、女性が家事をすることが「普通」とされ、その規範に従うことが陰に陽に求められていました。

 このように、社会の大多数である「普通」の観点からすると、水商売で働くのは「正業」(「まともな職業。かたぎの職業」広辞苑第6版)ではなく、SMという性的指向は規範から逸脱しているということになるのでしょう。だからこそ、これらは排除され蔑視にさらされてきました。

 差別や偏見は、おのずから存在するものではありません。社会でつくられるもの、といえます。職業や性的指向は人それぞれで、どれかが上等でどれかが下等というものではありません。社会的地位の上下があったとしても、それはその社会にしか通じず、時代や場所が変われば関係がひっくり返ってしまうこともありえます。

 人の考えは簡単にはあらたまりませんが、自分の持っている認識が常に正しいものではないことを肝に銘じ、人種や宗教、性別、職業などを色眼鏡をかけずに見ることが大事なことだと思います。

(石橋昌也)