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シカルとシカル 4

比留間 直和

 

 JIS2004で二つの字体がパソコンに併存することになった「叱」。その「叱」が“出世”します。今年(2010年)秋にも内閣告示される見込みの「改定常用漢字表」に入ることが確実になったのです。

 現行の常用漢字表は、1981年に国語審議会(当時)の答申に基づき内閣告示・訓令として制定されました。「法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において、現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安」という定義のもと、1945の漢字が掲げられています。漢字教育の基準にもなっており、学習指導要領では中学で「常用漢字の大体を読むこと」、高校では「常用漢字の読みに慣れ、主な常用漢字が書けるようになること」とされています。国語政策のもっとも大きな柱といえます。

 この常用漢字表、長らく手つかずでしたが、情報機器の急速な普及を背景に、文化審議会国語分科会(国語審議会の後身)が2005年から5年がかりで見直しを進めていました。今年4月23日の国語分科会漢字小委員会で固まった答申案によれば、196字追加・5字削除で「2136字」となる予定です。

 この追加196字のなかに、「叱」が入っているのです。さてその字体はというと……

 

 答申案で掲げられている「叱」の字体は、「叱B=口へんに漢数字の七」。2000年の国語審答申「表外漢字字体表」が印刷標準字体として掲げたのと同じです。

 
 ただし「叱A=口へんに匕首の匕」を認めないわけではなく、「明朝体のデザイン差」と位置づけています。どちらの形でも差し支えない、ということです。「特定の字種に適用されるデザイン差」と分類されていますが、この扱いも「表外漢字字体表」と同様です。

 
 この答申案の一つ前の段階(「『改定常用漢字表』に関する試案」=いわゆる2次試案)までは、「叱A」がデザイン差に入っておらず、印刷文字としては「叱B」しか認められていませんでした。(情報機器への配慮として、表に掲げられたのと異なる字体しか使えない場合にはその使用を「妨げるものではない」との記述があり、「叱A」もこれに該当すると考えられましたが、あくまでやむを得ない場合の代替措置というニュアンスでした)。

 この2次試案に対して、昨年11~12月に行われたパブリックコメント(一般からの意見募集)では、「叱」の字体について、

 ・「叱A」を許容字体とすべきだ。

 ・「叱B」ではなく、「叱A」のほうを標準の字体とすべきだ。

 など、程度の差はあれ「叱A」を支持する意見があわせて十数件寄せられました。個別の字の字体に関する意見の集まり方としては、際立っていました。

 

 要因として、まず、「叱」は「掲出字体(叱B)よりも、そうでない字体(叱A)の方が多く使われている」ということが挙げられます。

 今回の常用漢字改定では、追加漢字選定のための基礎資料として、大手印刷会社「凸版印刷」による漢字頻度数調査(書籍860冊分)のデータが用いられました。一般に、大手印刷会社の書籍印刷ではJIS漢字の字形にはあまり影響されず、伝統的な字体(いわゆる康熙字典体)が多く使われてきました。「しかる」の場合は叱Bが本来の形といえるのですが、この頻度数調査では、

  叱A=1837位(出現2172回)
  叱B=2168位(出現1218回)

 と、明らかに叱Aが多く使われていました。明治以来の活字で叱Aの方が一般的だったことは前々回に触れたとおりですが、現代の出版物でもそれが続いているわけです。

 

 「叱」にはもう一つ、他の追加漢字と異なる点があります。それは、Unicodeのコードポイントにかかわることです。

 Unicodeの漢字には、コードポイントが16進法4けたで表現されるものと、16進法5けたで表現されるものとがありますが、答申案が採用している「叱B=20B9F」は後者です。Unicodeは当初、「0000~FFFF」つまり16進法4けたの範囲に世界中の文字を収めることを想定していましたが、途中で方針が変わり、領域が広げられました。「叱B=20B9F」などは、2001年にUnicodeに追加されたものです。

 こうした経緯から、アプリケーションによってはUnicodeが「0000~FFFF」の文字にしか対応していないものがまだあります。実は、朝日新聞の新聞製作システムもそのひとつ。文字コードにはUnicodeを採用していますが、今のところ「0000~FFFF」の範囲でないと扱うことができません。(ちなみに朝日新聞では、本来「叱A」のコードである「53F1」に「叱B」を置いて運用しています。この手法をとっている大手新聞社はほかにもあるようです)

 このほか、共同通信社がUnicodeをベースにつくった記事配信用文字コード「U-PRESS」も、コードは16進法4けたの範囲。「叱B」は本来の「20B9F」ではなく、Unicodeの私用領域に割り当てています。

 パソコンではUnicodeの拡張領域への対応が進んでいるものの、企業内システムなどを含めると「16進法5けた」に未対応のシステムが確実に存在しており、(たとえ朝日新聞が自社のシステムを更新したとしても)全体的な状況はしばらく変わらないと思われます。

 今回の改定で新たに常用漢字に入る196字のうち、掲出字体がJIS第1・第2水準外なのは「叱、填、剥、頬(のそれぞれの印刷標準字体)」の4字ですが、Unicodeが「16進法5けた」なのは「叱」ただ1字。情報機器における汎用性は、他の3字に比べてさらに低いと言えます。

 

 こうした一般からの意見を受け、国語分科会漢字小委員会では、「叱B」を掲出字体とすることは変えないものの、「叱A」を明朝体のデザイン差に掲げ、はっきり許容することにしたのでした。

 (筆者個人としては、字源にこだわることなく掲出字体を「叱A」に差し替えるべきだったと考えます。使用実態や文字コード上の条件からみて、最も混乱を小さくできる道だと思われるからです。しかし、その方策は採用されませんでした)

 

 さて、「叱」は今後どうなるのでしょうか。

 デザイン差とされた以上、「叱A」は今後も使われていくでしょう。情報機器での使いやすさを考えると、当分はこのまま「叱Aの方が優勢」という状態がつづくと思います。ただ、教科書などは漢字教育上の配慮から、掲出字体である「叱B」が使われるようになっていくのではないでしょうか。

 見た目がよく似ているので読み手にとってはどちらでもあまり気になりませんが、文字コード上は、叱Aと叱Bは別々の文字です。表外漢字ならともかく、常用漢字でデザイン差の範囲が複数のコードポイントにまたがるものは、ほかに例がありません。「コンピューターの世界では、改定常用漢字表の字数は2136字でなく2137字である」と言っても差し支えないでしょう。

 そして、仮名漢字変換です。改定常用漢字表の掲出字体を無視するわけにはいきませんし、一方で、携帯電話など「JIS第1・第2水準しか扱えない機器」や「Unicodeの0000~FFFFしか扱えないシステム」等への配慮も不可欠です。結局、変換候補には引き続き「叱A」と「叱B」の両方を出さざるを得ないと思います。

 常用漢字入りすれば、マスメディアを含め、社会全体における「叱」の使用頻度が上がっていきます。それにつれ、これまで「叱」という漢字を自分で使う機会が少なかった人たちも、だんだん使うようになってくるでしょう。そのとき、変換候補に現れる「ふたつのシカル」を目の当たりにして、どんな反応を示すでしょうか。

 

 シカルとシカルの物語。これからも続いていきそうです。

(比留間直和)