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「改定常用漢字表」解剖 4

比留間 直和

 引き続き、改定常用漢字表の追加196字のなかから「現行の常用漢字と形が違うもの」を紹介していきます。今回は、ちょっとした変わり種です。

 危惧(きぐ)の「惧」です。
 つくりの「具」の部分は現行常用漢字の「具」と微妙に違い、縦棒が下にのび、横棒に接しています。単独字の「具」も康熙字典にあるのは「縦棒が下にのびて横棒に接した形」ですが、手書きでは昔から現在の「具」のようにも書かれてきました。

 2000年の国語審答申「表外漢字字体表」は、この「惧」とにんべんの「倶」について、「接した形」を印刷標準字体として掲げました。今回「惧」がその形で常用漢字に追加されることになったわけですが、表外漢字字体表では現行常用漢字型の「切れた形」も「表外漢字だけに適用されるデザイン差」に入れており、どちらを使ってもかまわないことになっていました。

 

 これに対し、今回の改定常用漢字表では、「惧」の「切れた形」はデザイン差としては認めず、手書き字形の例に掲げられているのみです。

 その結果、これらの字について我が国の国語施策(改定常用漢字表と表外漢字字体表)で認められる印刷文字字体は、

 ・「具」(前から常用漢字)=切れた形
 ・「惧」(今回常用に追加)=接した形(従来は切れた形もOKだったが今後はNG)
 ・「倶」(表外漢字のまま)=接した形でも切れた形でもよい

 ということになります。「具」を含む漢字で日常的に目にするのはこの3字ぐらいしかありませんが、印刷文字の形の許容範囲はみなバラバラです。

 実際に世の中の印刷物で使われている「惧」の字体をみると、そのほとんどは、今回採用された「接した形」になっています。JIS漢字が「接した形」を掲げていることも影響していると思われます。
 
 
 しかし中には、現行常用型の「切れた形」を使っているケースもあります。
 何を隠そう、朝日新聞です。 

  (画像は2009年11月30日付朝刊)
 
 朝日新聞では戦後、表外漢字の字体も当用漢字(当時)になるべくそろえる方針をとり、「倶」や「惧」は「切れた形」を採用しました。その後、表外漢字字体表の答申を受け、2007年1月に表外漢字の字体を大幅に変更しましたが、上述のように、つくりの「具」については「デザイン差」と認められていたことから、「切れた形」のままにしていました。しかし今回の改定常用漢字表ではNGとされたため、「惧」の字体は手当てが必要になりそうです。
 ちなみに諸橋大漢和も、「倶」や「惧」は現行常用型の「切れた形」を掲げています。

 なお、にんべんの「倶」の方は、もともとJIS漢字には(「惧」と違い)「切れた形」が入っており、さらに2004年のJIS改正で「接した形」が追加されました。そのため、Windows Vistaや7では「くらぶ」などと打って変換すると2種類の「倶」が出てきます(文字@デジタル「シカルとシカル 3」参照)。しかし「倶」は表外漢字字体表で「切れた形」を使ってもよいとされているので、以前からJIS漢字にありどの機器にも搭載されている「切れた形」が今後もかなり使われると思われます。
 
        ◇
 
 「惧」は、漢和辞典をみると「懼」の異体(俗字)とされています。しかし現代の日本語では「恐懼(きょうく)/危惧(きぐ)」のように「ク」か「グ」かで使い分けるのが一般的で、国語辞典でもたいていそのように書き分けています。

 表外漢字字体表は、1998年に出た「試案」の段階では「懼」と「惧」を同じ字として扱い、「懼」を印刷標準字体、「惧」を簡易慣用字体としていましたが、2000年の本答申ではこれを改め、「懼」と「惧」をそれぞれ独立の印刷標準字体として示しました。漢和辞典の記述よりも日本語での使用実態を重んじたわけです。
 

 

 

 
 そして今回「惧」だけが常用漢字に追加されることになりました。採用された読みは「グ」だけなので、やはり読みに応じて「懼」と使い分けることになります。
 
        ◇
 
 過去の朝日新聞を見たところ、明治期から「危惧(きぐ)」「疑惧(ぎぐ)」などと振り仮名つきで登場している例がありました。「危懼」「疑懼」も出ていますが、見た範囲では、「懼」の振り仮名は「ぐ」でなく「く」となっていました。もし使い分けをしないのであれば「懼」の活字だけ用意すればよいわけですから、ある程度は「読みによる使い分け」が行われていたと思われます。

 それよりも、明治期の紙面を見ていて、その活字字体の方に目を奪われました。

 下の画像は、1894(明治27)年11月27日の東京朝日新聞です。フランスがマダガスカルの植民地支配に乗り出した際の記事ですが、ご覧のように、危惧の「惧」のつくりが「目の下に大」になっています。

 
 この「『目の下に大』の惧」は明治・大正期の紙面に散見されますが、決して朝日新聞が勝手にこしらえた字体ではありません。明治以来の活字字体を集めた資料「明朝体活字字形一覧」(1999年・文化庁)を見ると、明治期にはこの字体がいくつもの活字セットに存在していたことが分かります。漢和辞典の中では、講談社「大字典」(上田万年ほか編)が「懼」の俗字としてこの字体を載せています。

 「具」という字は、手書きでは「目の下に大」や「目の下に六」のようにも書かれてきました。「惧」のつくりを「目の下に大」に設計するのは手書きの習慣が反映されたものと思われます。

 一方、「具」や「倶」では、「目の下に大」の字体は「明朝体活字字形一覧」には見あたりません。過去の朝日新聞でも、筆者が試みに探した範囲では、広告のロゴマークに見られる程度でした。

 なぜ「惧」に限って「目の下に大」の活字が多く使われたのでしょうか。

 「惧」は、実は康熙字典には(「懼」の俗字、という扱いでも)載っていません。かつて、明朝体活字の設計に際しては康熙字典を参照するのが一般的でした。康熙字典に「お手本」が載っていなかった「惧」は、康熙字典に(縦棒が下にのびて横棒に接する形で)載っている「具」や「倶」に比べ、手書き字形の影響を受けやすかったのかもしれません。
 
 
 さらに、下のようなケースもあります。左は1900(明治33)年7月6日、右は同年7月17日の東京朝日新聞。いずれも、この年中国で起きた「義和団事件」に関連する記事です。

 「芝罘」は現在の山東省煙台。「牛荘」は遼寧省営口近くの地名です。

 左の記事は、見出しは(縦棒が下にのびて横棒に接した)「惧」の形ですが、本文の字はつくりが「目の下に大」になっています。一方、右の記事の見出しは、よく見るとつくりの横棒が1本足りません。同じ時期の紙面でも、さまざまな字体が使われていたことが分かります。
 
        ◇
 
 「惧」は、昔はこのようにずいぶんと活字字体が揺れていました。しかし近年はほぼ安定し、表外漢字字体表そして今回の改定常用漢字表によって、国語施策上も字体が明確に定められました。
 ただ、その中身を細かく見ると、康熙字典に載っている「具」や「倶」は、国語施策上、康熙字典と異なる「切れた形」が標準とされたりデザイン差と認められたりしているのに対し、康熙字典に載っていない「惧」の方は康熙字典体(縦棒が下にのびて横棒に接した形)でなければならないという、いわば逆転現象が起きているのです。

(つづく)

(比留間直和)