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文字@デジタル
(2010/08/02)
「追加漢字のうち、現行常用漢字と字体方針が異なるもの」のつづきです。
「便箋」「処方箋」の「せん」です。
現行常用漢字のなかで構成要素が共通するのは「残、浅、銭、践、桟」の5字。旧字(康熙字典体)はそれぞれ「殘、淺、錢、踐、棧」で、「戔」の部分が新字体ではいずれも「」と略されています。このうち「桟」は当用漢字には無く、1981年の常用漢字表で新たに追加された字種ですが、前の4字にならって略字が採用されました。
これに対し今回の「箋」は、表外漢字字体表(2000年)が印刷標準字体と位置づけた康熙字典体のまま常用漢字に入ります。現行常用型の「」は、デザイン差とは認められていません。
朝日新聞では戦後、表外漢字にも略字を使う方針をとっていたため、かつてはこの「箋」も表内字に合わせて「」と略していました。この略字は以前のJIS漢字には含まれていなかったのですが、朝日新聞以外でも使われていたことから、2000年に制定された「JIS X0213」の第4水準漢字に採録されました。
「学術用語集」の薬学編や医学編でも、「処方箋」の「せん」に略字の「」が使われています。
WindowsではVista以降のMSフォントが X0213 に対応しており、「箋」に加え「」も搭載されています。さすがに「びんせん」「しょほうせん」で変換しても略字は出てこず、単漢字変換や文字一覧で探す必要がありますが……。
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「戔→」という略し方は手書きに由来するものですが、国の国語施策のなかでも戦前からこのパターンの略字が示されていました。
「箋」の略字「」が示されたのは、1942(昭和17)年6月に国語審議会が答申した「標準漢字表」です。前書きに「近来わが国において漢字が無制限に使用せられ、社会生活上少なからぬ不便があるので、これを整理統制して、各官庁および一般社会において使用せらるべき漢字の標準を示したものである」と、漢字制限が目的であることをはっきりうたい、計2528字を常用漢字(1134字)、準常用漢字(1320字)、特別漢字(74字=皇室典範、帝国憲法、歴代天皇の追号など)の三つに分けて示しました。この表では戦後の新字体に似た簡易字体(略字)も併せて示され、簡易字体を本則とするもの78字、許容とするもの64字の計142字が挙げられています。「
」は準常用漢字に含まれ、簡易字体が本則とされました。ほかに「戔」を構成要素にもつ漢字では、「残、浅、銭」が常用漢字、「践、賎」が準常用漢字に、やはり簡易字体を本則とする形で掲げられています。
ただ、この答申内容は時勢の影響もあって批判を受け、同年12月に文部省が、
(1)漢字制限をうたうのをやめ、「概ね義務教育で習得する漢字の標準」と位置づけを変更
(2)常用漢字・準常用漢字・特別漢字の区分をやめ、141字を追加し計2669字に
(3)簡易字体を80字減らして62字に
……といった大幅な修正を加えて発表しました。「戔」関連では、修正で新たに加わった「棧」を含め、「戔→」という略し方の簡易字体は一切なくなり、いずれも康熙体で示されました。
標準漢字表はこうした経過をたどりましたが、漢字制限や略字化の試みはそれよりも前の大正期から行われていました。1923(大正12)年と1931(昭和6)年の2回にわたり、当時の臨時国語調査会が発表した「常用漢字表」がその柱です。このなかには「箋」は含まれていませんが、「戔」関連では「残、浅、銭、賎」が入り、簡易字体が採用されていました。
大正以来の漢字表で、「戔」を構成要素に含む字がどのかたちで掲げられたのかをまとめてみました。
「戔→」という略し方は、国語施策のなかでも戦前からそれなりの扱いを受けていたことが分かります。ただ、戦前・戦中の漢字制限策は十分な効果を上げることができず、簡易字体も印刷活字で主流にはなりませんでした。
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しかしこれらの簡易字体が出版物に全く使われなかったわけではありません。朝日新聞でも戦時中、一部の漢字については略字体を使っていました。ただし標準漢字表(国語審答申)やそれ以前の常用漢字表で示された簡易字体をそのまま採り入れたわけではなく、「戔」関連では「残、浅、銭、践、桟、賎」を略字にした一方、「箋」は略していなかったようです。
余談ですが、一連の略字のつくりの形である「」も、これでひとつの字として「銭」の略字に使われた時期がありました。
このころの紙面では、「○円○」と金額を示す場合だけでなく、「賽
」(賽銭)、「
湯」(銭湯)などの表記もありました。
いまの感覚ではちょっと読めない字面ですね。
(つづく)
(比留間直和)
(次回は8月23日掲載予定です)