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「改定常用漢字表」解剖 12

比留間 直和

 前回に続き、「新字体で追加される漢字」を見ていきます。いずれも人名用漢字から入ったものです。
 
 

 旧字体(康熙字典体)は「龜」。よく見えませんね。ちょっと拡大すると、

  

 こんな形です。辞書では「16画」とされますがとても手ですらすら書くことはできませんし、無理に覚えても次の日には忘れてしまいそうです。

 1951(昭和26)年に人名用漢字に入った略字の「亀」が広く定着しているため、現在ではこれが略字だと意識することもあまりありませんが、明治から昭和戦前期までは旧字体「龜」が使われていました。

 下の画像は1909(明治42)年9月1日朝刊。見出し、本文とも難しい「龜」が使われています。

  

 
 
 さすがに「龜」のままではあんまりだ、ということでしょう。臨時国語調査会が1923(大正12)年と1931(昭和6)年に発表した「常用漢字表」や、1942(昭和17)年の国語審答申「標準漢字表」では、簡易字体「亀」が本則とされました。

 朝日新聞が戦時中、一部の漢字に略字体を使っていたことは過去の回でも述べましたが、当時の紙面を調べてみると「亀」についても1940(昭和15)年初めごろから本文活字で略字体を使っていました。

 下は1940年1月16日朝刊に載った、東京・亀有の事故の記事です。今と同じ略字が使われています。

   

 
 
 ところで旧字の「龜」は、字体設計に多少の揺れがあります。

 常用漢字表では、通用字体(=標準の字体)のあとに丸ガッコ付きで「いわゆる康熙字典体」つまり旧字体が添えられています(字体差が小さなものを除く)。改定常用漢字表の「亀」もカッコ付きで「龜」が添えられているのですが、1次試案から答申に至るまで、その旧字の「龜」の形が微妙に揺らいでいました。
 
 

 
 1次試案では、“亀の足”が右側のハコの上辺・下辺とつながっていますが、2次試案では上の足とハコの上辺がずれています。試案の段階ではまだ細かい字形を詰めておらず、2次試案を作るときにフォントを変えたために微妙に変わってしまったようです。

 世の中のフォントではこういった形の違いはしばしばあることで、ふつうは問題にされません。例えばWindowsに搭載されているMS明朝・MSゴシックの「龜」も、Vistaや7では“つながった形”ですが、XPでは(MSフォントの更新をしていない限り)“ずれた形”です。

 ただ、さすがに常用漢字表に(標準の字体ではないにせよ)掲げられるとなると、“旧字体の標準”のように見なされる可能性があります。のちのち思わぬ影響が出ないとも限りません。

 「漢字筆順ハンドブック」(江守賢治著、三省堂)によれば、旧字の「龜」の書き順は以下の通りです。
 

 

 
 これで確かに漢和辞典の言うように「16画」になります。これに従うならば、横棒がつながった形で活字を設計するのが自然ということになるでしょう。

 結局、審議会内外の指摘もあり、答申ではつながった形に戻りました。康熙字典や一般の漢和辞典類もこの形を掲げています。(中央の縦棒2本のうち右側の画の下端がその下の横棒にぶつかるかどうかという違いもありますが、これはデザイン差と見なしてよいでしょう)
 
 
 ちなみに1978年の最初のJIS漢字では、真ん中がぽっかりあいた字体が例示されていましたが、1983年の改正後は横棒がつながった形になっています。

 

 
 先に示した明治時代の紙面の「大龜を捕ふ」の見出しを改めて見ると、不鮮明ではありますが、78JIS字体と同様真ん中があいているようにも見えます。明治から終戦までの活字字体の資料「明朝体活字字形一覧」(1999年、文化庁)を見ても、当時から両様の字体があったことが分かります。

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 蛇足ですが、現在の中国で示されている簡体字と繁体字は下のような字体。簡体字は子ガメのようにも見えますが、繁体字はぎょっとするような形です。

  

 この繁体字を見て、カメというよりヤモリか何かを連想してしまうのは筆者だけでしょうか。

 以前筆者が中国で取材した文字コード専門家によると、近年の古代漢字研究の成果としてわざわざ「亀の繁体字はこれ」としたのだそうです。なお、台湾で使われる漢字フォントはこんな形にはなっていません。
 
 
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 旧字体(康熙字典体)は「彌」ですが、「爾→尓」という新旧パターンは、従来の常用漢字の中にはありませんでした。つくりが「尓」の「称」はありますが、これの旧字体は「稱」なのでちょっと事情が異なります。

 「爾」を含むものでは、御名御璽の「璽」が当用漢字の時代から入っています。歴史的には上半分が「尓」になった略字もありますが、当用漢字や常用漢字では康熙字典体「璽」のまま。今回の「弥」が、「爾→尓」と簡略化する初めての常用漢字になるわけです。

 この字は1951年に人名用漢字に「弥」の字体で採用され、「弥生時代」「卑弥呼」などの表記が広く定着していますが、戦前の紙面ではいずれも「彌」が使われていました。
 
 

 

 
 
 ただし「弥」という字体もかなり昔からあり、康熙字典にも「彌」の同字扱いで記載されています。歴史的には「彌」よりもむしろ多く使われていたようです。

 前出の「明朝体活字字形一覧」を見ると、明治から終戦までの活字見本帳の一部に「弥」の字体も見られます。国の国語施策でも、国語審答申「標準漢字表」(1942年)で、許容の簡易字体という扱いで掲げられました。

 
 
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 康熙字典が掲げる字体は、下のように左側の横棒2本が右に突き出ています。

  

 しかし前出の「明朝体活字字形一覧」を見ると、明治以来、突き出たり突き出なかったりと揺れがありました。

 1976年に人名用漢字になって以降、“突き出ない形”が「新字体」、“突き出た形”が「旧字体」と見なされるようになりました。しかし戦前から両方あり、しかも比較的小さな差なので、他の新旧字体差と同列に扱うべきかは意見が分かれるかもしれません。

 2000年の国語審答申「表外漢字字体表」では、「那」を構成要素に含む漢字は1022字の本表に入らなかったため(「那」そのものは人名用漢字なので本表の対象外でした)、構成要素としての「那」の横棒が突き出るか否かが「表外漢字のデザイン差」かどうかは、示されませんでした。

 今回の改定常用漢字表でも「那」の横棒が出るかどうかは「デザイン差」に示されていません。「那」そのものの印刷文字字体は現在では“突き出ない形”でほぼ安定しているので、改定常用漢字表のデザイン差には入らないと解釈しておくのが妥当でしょう。

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 ところで、2004年9月の人名用漢字大量追加の際、木へんのついた「梛」(ダ、ナ、なぎ)が、「那」と同様“突き出ない形”で採用されました。この字体についてはちょっとした経緯がありました。

 このとき追加された漢字は、表外漢字字体表の趣旨にのっとり、原則として、同字体表に入っている字種はそこに示された字体、入っていない字種は漢和辞典等で正字体としている字体(いわゆる康熙字典体)を採ることにしていました。表外漢字字体表に入っていない「梛」は、追加の前に法務省が実施したパブリックコメントの資料では、康熙字典体の“突き出た形”になっていました。

 しかし、もしもその形で入るとJIS漢字の「梛」の例示字体を変えなければならなくなる――との指摘が文字コードの専門家からあり、当時の法制審議会人名用漢字部会で検討した結果、最終的にJIS漢字と同じ“突き出ない形”になったのでした。

 

 
 JIS漢字(JIS X0213)は、「表外漢字字体表」を反映させるための改正が2004年2月に行われたばかりでしたが、同字体表に示されなかった「梛」はJISの字体変更の対象外でした。人名用漢字の「梛」がJIS漢字と同じ形におさまってくれたおかげで、両者の間に字体上の齟齬が生じる事態は避けられました。

 「JIS漢字に左右されるとは」と批判する向きもあるかもしれませんが、この字体の揺れは昔から活字に存在していたものであり、そうである以上、度重なる規格改正で社会的コストを増大させるのは避けた方がよいという判断は、合理的であったと思います。

(つづく)

(比留間直和)