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「改定常用漢字表」解剖 13

比留間 直和

 改定常用漢字表の追加漢字をめぐる字体談議は今回がひとまず最後です。「従来の常用漢字と同様の新字体で追加される字」のラストは、こちらです。
 

 
 「ユウ、わく」です。漢音は「ヨウ」、呉音が「ユ・ユウ」ですが、「ユウ」の読みが一般的なのでこれが掲げられました。康熙字典では「涌」を本来の形とし「湧とも作る」としていますが、現代日本語では「涌く、涌出」よりも「湧く、湧出」の方が多く使われます。

 つくりの「勇」の成り立ちは、「マ+男」ではなく「甬+力」。漢和辞典では「田」の部分が「用」になった形か、または縦画が少し下に突き出た形を本来の字体としています。さんずいがついた「湧」も、多くの漢和辞典で同様の扱いです。

  

 ただ、「明朝体活字字形一覧」(1999年、文化庁)を見ると、「勇」も「湧」も実際の活字では明治時代から、「用」でなく、今のような「田」の形もあったことが分かります。そのため、他のはっきりした新旧字体差と同列に扱ってよいか微妙なところもあります。実際、戦前の朝日新聞を見ると、見出しの活字によって康熙体だったり新字体(「田」の形)だったりしています(本文活字はだいたい新字体のように見えますが、判別が困難です)。

 四つほど画像を掲げますので、見出しの「湧」がどちらの字体かご覧下さい。
 

    

    

 

 戦後の朝日新聞は、表内字の「勇」にそろえて表外漢字の「湧」も新字体に統一しました。当時、漢和辞典類はたいてい「用」のような形(田に3本の短い足が生えたような形)で掲げていましたが、1990年に「田」の形で人名用漢字入りしたことで、字体が事実上確定しました。最近の漢和辞典の多くは新旧両方の字体を掲げていますが、「学研新漢和大字典」のように新字体だけを掲げているものもあります。

 JIS漢字の例示字体は1978年の規格制定当初から新字体でしたので、一般のパソコンユーザーがこの字の微妙な字体差を意識することはほとんど無かったでしょうし、これからも無いでしょう。
 
 
 
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 ここまで「改定常用漢字表に康熙体で入る字」「新字体で入る字」を一通りみてきましたが、もうひとつちょっと特殊な事例を紹介しておきたいと思います。
 

 
 「もち」です。前々回、「しんにょうとしょくへん」のところで一度出てきましたが、ここで述べたいポイントはしょくへんではなく、つくりの「并」です。この「并」の形は、一般に新字体とみなされています。

 改定常用漢字表のなかで、「」の字は次のように示されています。
 

 
 三つの字体のうち左端が「通用字体」(=標準の字体)で、角カッコの中が「許容字体」、その下の丸カッコが「いわゆる康熙字典体」です。

 「許容字体」とは以前述べたとおり、しんにょうとしょくへんについて、従来の常用漢字と同じパターンの字体を現に印刷文字として用いている場合は改める必要はない、とするものです。

 「いわゆる康熙字典体」は要するに旧字体ですが、従来の常用漢字表、改定常用漢字表ともに「明治以来行われてきた活字の字体とのつながりを示すために参考として添えた」「著しい差異のないものは省いた」(「表の見方」)としています。
 
 
 通用字体の「」は、ご覧のとおり、いわゆる康熙字典体の「餠」と許容字体の「」の中間のような形になっています。これは表外漢字字体表(2000年国語審議会答申)が示した字体をそのまま引き継いだものです。

 康熙字典に正字体として載っているのは「餠」ですが、表外漢字字体表は「」を印刷標準字体と位置づけました。当時国語審議会では、表外漢字の字体の標準を決めるにあたり、大手印刷会社の頻度調査に基づき、原則として康熙字典体を印刷標準字体と位置づけました。例外として、「俗字体や略字体等が康熙字典体の5倍以上用いられている」といった条件をクリアした場合に限り、俗字体や略字体等を印刷標準字体と位置づけたのでした。

 このときの頻度調査では、康熙字典の正字体「餠」の出現回数が5回だったのに対し「」は1206回と、圧倒的な差がつきました。許容字体の「」は4回でした。
 
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 現代だけでなく、戦前の明朝体活字でも実は「」が一般的でした。「明朝体活字字形一覧」(前出)を見ると、明治から終戦直後までの23種の活字見本帳のうち22種が「」(残り1種は「餠」)になっています。

 実際、戦前・戦中の朝日新聞の紙面でも、この字の形は「」ばかりが目に付きます。下の画像は、関東大震災のあった年の暮れ、被災者のために大阪の女学生たちが餅をついているという記事(1923〈大正12〉年12月23日付)です。

 

 

 戦前・戦中の国語施策でも、やはり「」が示されていました。1923(大正12)年と1931(昭和6)年に臨時国語調査会が発表した「常用漢字表」では、康熙体の「餠」に対して簡易字体の「」を使うことを本則とし、さらに1942(昭和17)年の国語審答申「標準漢字表」に至っては、「餠」の字体に何の言及もなく、ただ「」だけを掲げています。

  

 この国語審答申「標準漢字表」では、構成要素が共通する「併」「屏」「塀」「瓶」についても新字体(并の形)だけが掲げられており、この一連の字については黙って新字体にそろえる、という方針が見て取れます。

 今回の改定常用漢字表で「いわゆる康熙字典体」として示された「餠」は、康熙字典の正字体ではあるものの、「明治以来行われてきた活字の字体とのつながりを示すために添えた」という説明はあまり当てはまりません。通用字体の「」そのものが、まさに「明治以来行われてきた活字の字体」にほかならないからです。

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 JIS漢字では、1978年の最初の規格では「、餠」の2字体が例示字体に入っていましたが、83年の改正で「」が「」(今回の許容字体)に変わり、「、餠」の2字体になりました。おかげで、書籍印刷で主流である「」が使いにくくなり、不満を漏らす出版関係者も少なくなかったようです。

 しかし2000年の表外漢字字体表を受けた2004年の JIS X0213 の改正で「」が「」に戻り、再び「、餠」の2字体となったのでした。

 こうした経緯で、Windows XP までの MSフォントには「、餠」、Vista以降だと「、餠」が搭載されています。

 
 一貫して搭載されてきたのが、明治の時代にもほとんど使われなかった「餠」であるというのは皮肉なことでした。

 

(比留間直和)