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観字紀行
(2011/01/28)
宮城から京都へと巡った「釜」と「竈」の旅。今回は名古屋にやってきました。申し訳ないのですが、今回も紅葉の季節です。
実は、名古屋にも塩竈神社があると聞いたので、やってきました。
晩秋の名古屋では、ちょうど日本シリーズが開かれていました。地下街には「燃えよドラゴンズ」が鳴り響き、名古屋駅の名物・ナナちゃん人形はドラゴンズのユニホーム姿で応援しています。
塩竈神社は、名古屋市天白区にあります。名古屋へ来るのは数回目ですが、天白区に行くのは初めて。名古屋駅から地下鉄で30分とかからない高級住宅地というイメージです。大学もあって、駅前には学生の姿や学生向けのお店も多く見られます。
最寄りの駅は、地下鉄鶴舞線のその名も「塩釜口」。「釜」の字ですね。駅前の信号には「塩釜口」交差点とあります。
住宅地に入っていくと、徒歩10分ほどのところで坂道を上り始めます。階段でこそありませんが、かなりの急な坂です。宮城の塩竈神社を思い出します。坂道の両側にも住宅が並んでいます。地面の丸いでこぼこは車の滑り止めですね。
訪れたのは、七五三のシーズンに重なったようで、この坂で車が渋滞していました。普段は閑静な住宅地なのでしょうが、この時期は混むようです。
神社に着きました。「平成二十二年五月」につくられたという新しい鳥居が立っています。道中で見かけるのは「塩釜」や「塩竈」ばかりでしたが、予想したとおりの「鹽竈神社」です。予想していたよりこぢんまりとしていましたが、きれいな神社です。狭い境内は着飾った七五三の家族連れでにぎわっていました。
御由緒の立て札がありました。やはり由緒は宮城県塩釜市の陸奥国一ノ宮・鹽竈神社のようです。それによると、弘化年間(1844~48)に天白村(いまの天白区です)の豪農・山田善兵衛が分霊を賜り、奉祀(ほうし)したのが始まりだということです。「御祭神は鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)で……」と、この話はもうおなじみですね(今回から読み始めた方は「塩釜編」に詳しく説明しています)。安産と子どもの守護神として敬われ、七五三や、春の護児祭の時期に特ににぎわうそうです。
しかし、いくら「豪農」とはいえ、宮城から遠く離れた名古屋に個人で分霊を受けるとはすごいですね。山田善兵衛とはどういう人だったのでしょうね。知りたいと思ったのですが、現地ではこれ以上の手がかりはなく、戻って調べてみても、残念ながら分からずじまいでした。
これで、塩釜をめぐる旅は終わりです。
塩竈神社を信仰して離れた土地に神社を作った人、景色を再現しようと庭園をつくった人、と塩竈は昔から多くの人にとても愛されたのですね。ちなみに塩竈神社は、宮城、名古屋以外にもあるようです。お近くで探してみて、昔の人に思いを重ねてみてはいかがでしょうか。
(おわり……?)
(薬師知美)