メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

文字

文字@デジタル

癒す?癒やす? ― 常用漢字改定と送り仮名

比留間 直和

 「癒し」が時代のキーワードと呼ばれたのは、十何年も前のことでしょうか。それ以来、「癒やし系」と呼ばれるタレント・俳優に人気が集まり、「心の癒し」がもてはやされてきました。その影響か、昨年改定された常用漢字表には「癒」に「いやす」「いえる」という読みが追加されました。でも、まだまだ癒やしが足りないと思っている人も多いのでは……

 と、ここでお気づきかもしれませんが、わざと「いやす、いやし」の送り仮名をバラバラに書いてみました。さて、「いやす」は「癒す」「癒やす」のどちらで書くのが標準なのでしょうか。また、新聞ではどちらにしているか、ご存じですか。

 パソコンの仮名漢字変換では、「癒す」と「癒やす」の両方が出てくるものが多いようです。マイクロソフトが提供している仮名漢字変換システムの最新版「Microsoft Office IME 2010」でも、ご覧のように両方が出てきます。

       

 この「いやす」、新しい常用漢字表では「癒やす」という形で掲げられています。新聞でも、文書の引用や作家の寄稿など特殊な場合を除き、「癒やす」と「や」から送っています。

 朝日新聞では、記事入力に使うパソコンで「いやす」で変換したときには「癒やす」だけが出て「癒す」が出ないよう、仮名漢字変換辞書(マイクロソフトのIMEではありませんが)を調整しています。おそらく他の新聞社でも似た作業をしていると思います。
 
         ◇
 
 実は「いやす」という語の送り仮名は、つい最近まで、国の国語施策ではきちんと定められていませんでした。

 「癒」という漢字は当用漢字表には無く、1981年の常用漢字表で追加された95字のひとつですが、このとき入った読みは、音読みの「ユ」だけ。もっぱら「治癒」「癒着」などの漢語を書くためだったわけです。(しかしこれで新聞は「ゆ着」という交ぜ書きをせずに済むようになったのでした)

 国の国語施策で送り仮名の基準になっているのは、1973年に内閣告示された「送り仮名の付け方」です。それまでの基準だった「送りがなのつけ方」(1959年内閣告示)の改定版で、国語審議会の答申段階では「改定送り仮名の付け方」というタイトルだったので、内閣告示のほうも「改定送り仮名の付け方」と呼ばれることがあります。

 この「送り仮名の付け方」の前書きの冒頭には、こう書かれています。

一 この「送り仮名の付け方」は、法令・公用文書・新聞・雑誌・放送など、一般の社会生活において、「常用漢字表」の音訓によって現代の国語を書き表す場合の送り仮名の付け方のよりどころを示すものである。

 つまり、常用漢字表で示された音訓だけが対象で、表外の音訓については決めていないことになっているのです。《「いやす」をどう送るか》ということも、常用漢字表が改定されるまでは、「送り仮名の付け方」の対象外でした。

 ※1973年の内閣告示なのに「常用漢字表」と書かれているのは、漢字表が新しくなるたびに一部改正しているためです。当初は、「当用漢字音訓表」の音訓によって…と書かれていました。

 
         ◇
 
 「でも、新聞は去年の常用漢字改定より前から漢字を使って書いていたのでは?」

 その通り。1981年の常用漢字表では「表外訓」だった「いえる、いやす」ですが、朝日新聞では2002年春から読み仮名なしで漢字表記するようにしています。2001年秋に日本新聞協会が、新聞で常用漢字並みに扱う字種・音訓を増やす決定をしたのを受けたものです。

 このとき、新聞協会の検討の場では「いやす」の送り仮名について、二通りの意見が出されました。

 一つは、一般の慣用では「癒す」が優勢だから「す」だけでよい、というもの。確かに、当時、テレビや雑誌で見かける「いやし」はたいてい「癒し」という表記でした。

 そしてもう一つは、国の「送り仮名の付け方」のルールを準用すると「癒やす」になるはずだから、それに従うべきだというものでした。

 

 「送り仮名の付け方」には、「通則1」から「通則7」まで七つの原則が示されていますが、活用語の送り仮名については通則1と通則2で以下のように決めています(それぞれ「本則」のみを示します)。

通則1 活用のある語(通則2を適用する語を除く。)は、活用語尾を送る。
通則2 活用語尾以外の部分に他の語を含む語は、含まれている語の送り仮名の付け方によって送る。

 上記の通則1によって、例えば五段活用の「みのる」は活用語尾の「る」だけ送って「実る」、下一段活用の「たすける」は活用語尾の「ける」を送って「助ける」となります。

 一方、通則2は、例えば「うごかす」は「動く」に合わせて「動かす」と送る、「ひやす」は「冷える」に合わせて「冷やす」と送る、といったことを決めています。それぞれ活用語尾だけ送るとしたら「動す」「冷す」になりますが、通則2があることによって「動かす」「冷やす」になるわけです。

 このルールを「いえる」「いやす」に適用すると、「いえる」は通則1によって文句なしに「癒える」となり、「いやす」は通則2によって(つまり「癒える」があるために)「癒やす」となります。

 結局、日本新聞協会としては、この「送り仮名の付け方」のルールを準用した「癒やす」を採用し、朝日新聞を含む報道各社も「癒やす」と書くことにしたのでした。

 ただ、当時世間では「癒やす」でなく「癒す」が主流。気の小さい筆者などは「読者に違和感をもたれないだろうか…」と、ちょっぴり不安でした。
 

 
         ◇
 
 その後、国の常用漢字表の改定という話がもちあがり、昨年11月に出された新しい常用漢字表の「癒」の用例の欄には、新聞が使ってきたのと同じ「癒える」「癒やす」という表記が示されました。事実上、この送り方が標準と位置づけられたわけです。

 

 国語施策の整合性を考えれば「送り仮名の付け方」の原則に従った送り方になるのはごく当たり前なのですが、9年近く「癒やす」と送ってきた新聞業界の人間としては、ちゃんと同じ送り方になってくれて正直ホッとしたのでした。
 
         ◇
 
 次回も引き続き、新しい常用漢字表と送り仮名について。

(比留間直和)